風に吹かれて旅するブログ

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2月14日朝ブラジル・サンパウロで行われたサンバカーニバルに、青森県五所川原市が寄贈した、高さ15mの「たちねぷた」が登場

ブラジル・サンパウロ(Sao Paulo)のアニェンビ・サンボドロム(Anhembi Sambadrome)で13日、毎年恒例のサンバカーニバルが開幕した。

 

2015年2月14日朝(日本時間2月14日夕方)、ブラジル・サンパウロで行われたサンバカーニバルに、青森県五所川原市が寄贈した、高さ15mの「たちねぷた」が出場した。

たちねぶた.jpg  

今回披露された「たちねぷた」は、東日本大震災後に復興の祈りをこめて制作された『復興祈願 鹿嶋大明神と地震鯰(じしんなまず)』で、これには、震災後の義援金や重機を使ったがれきの撤去、物資の寄贈など、様々な支援を行ったブラジルに対する感謝の気持ちが込められているとのこと。

 

「たちねぷた」は、40フィートコンテナ15台に分割された状態で1ヶ月半かけて船で運ばれ、1月にブラジルに到着した際から、現地で大きな話題となっていた。

サンバカーニバルに他国の祭事がそのまま持ち込まれるのは異例のことで、14日朝に山車の一つとしてねぷたが登場した際には、大きな歓声とともに迎えられた。

 「たちねぷた」が披露されたのは、サンパウロサンバカーニバル1部リーグの有力チームである「アギア・ジ・オウロ」の演目の中で1時間ほど。「アギア・ジ・オウロ」は、2015年が日ブラジル修好通商条約締結120周年にあたることから、演目テーマを『ブラジルと日本、120年の融合』としており、500名以上の日系人と、100名程の日本人を含む総勢約3,500人が、このテーマのもとに趣向を凝らした衣装と山車で日本を表現した。

 

発起人でもあり、衣装デザインを手がけたファッションデザイナーコシノジュンコや、平山誠五所川原市長も、ねぷたとともに出場しカーニバルを盛り上げた。

カーニバルの順位結果発表は、現地時間2月17日に行われる予定。

サンパウロたちねぷたプロジェクトとは 日伯修好通商条約締結120周年を迎える2015年に、160万人の日系人が暮らすブラジルで日本の本物の祭りを披露することで、日伯の文化交流に寄与するとともに、2016年リオデジャネイロオリンピック、及び、2020年東京オリンピック開催に向けて、サンパウロ市、ならびに五所川原市を中心とした東北全域への観光客誘致や経済の活性化に貢献することを目的に設立。

【起ちあがれ東北!ありがとうBRASIL!サンパウロたちねぷたプロジェクト2015 開催概要】

・ 実施期間:2015年2月13日(金)〜2月18日(水) ※「アギア・ジ・オウロ」出場 2月14日(土)4:55~6:00

・ 実施場所:ブラジル・サンパウロSambódromo do Anhembi (サンボードロモ・ド・アニェンビー)

・ 主催:起ちあがれ東北!ありがとうBRASIL!サンパウロたちねぷたプロジェクト2015実行委員会 (JUNKO KOSHINO株式会社、特定非営利活動法人 国際交流促進協議会ほか)

・ 共催:五所川原市独立行政法人 国際交流基金

・ 後援:外務省、観光庁青森県、駐日ブラジル大使館、在サンパウロ日本国総領事館一般社団法人在日ブラジル商業会議所、特定非営利活動法人在日ブラジル人を支援する会 ・ 協賛:株式会社商船三井、株式会社MOL JAPAN、鈴与株式会社、株式会社フジドリームエアラインズ、株式会社アゴーラ・ホスピタリティーズ、ブラデスコ銀行、味の素株式会社、ブルーツリー・ホテルズ&リゾーツ、ターキッシュ エアラインズ、株式会社JTB東北、株式会社アオイ、株式会社三修社、JUNKO KOSHINO株式会社、株式会社ブレイン、ほか ・ 特別協力:独立行政法人国際交流基金 ・公式ホーム:http://tatinepta-project.jp

 

サンバカーニバルとは、サンバを中心とした祭(カーニバル)。

五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)祭りとは、青森県五所川原市で8月4日から8月8日に開催される祭りです。 「青森のねぶた」と「弘前ねぷた」と並ぶ青森三大佞武多の一つで、高さが最大で20mを超える山車の壮大な運行が魅力です。 

弘前ねぷたまつり(ひろさきねぷたまつり)は、青森県弘前市で開催される弘前四大まつりのひとつである夏祭り。

大勢の市民が「ヤーヤドー」の掛け声とともに、武者絵が描かれた山車を引いて市内を練り歩く。弘前ねぷたには扇ねぷた(扇型)と組ねぷた(人形型)があり、総数約80台の県内最多のねぷたが運行される。

起源・歴史

ねぷたまつりの由来はさまざまある。
(伝説)平安時代の初期、征夷大将軍坂上田村麻呂が、敵をおびき出すために大きな人形を作った。
(伝承)文禄2年(1593年)7月に藩祖津軽為信が京都滞在中に盂蘭盆会で二間四方の大燈籠を出した。
(定説)江戸時代の元禄期後半からの「七夕祭りの松明流し・精霊流し・眠り流し」や「盆灯籠」などが融合変化し、現在の華麗なねぷたに発展してきた。

語源は、「眠り流し」→「ねむた流し」→「ねむた」→「ねぷた(ねぶた)」と転訛(表記は佞武多、禰ふたと様々ある)。「眠り流し」は日本各地で行われている。農作業の激しい夏期に襲ってくる睡魔を追い払い、厄災・邪悪を水に流して村の外に送り出す行事のひとつ。

明治から昭和初期にかけて、主に当時の弘前市内に複数あった、町道場に通う士族や平民の子弟らを中心とした若者達が作り練り歩いたねぷたでは、他の道場または町会のねぷたと出くわすと、相手のねぷたに石を投げつけたり、竹槍や木刀等(時には日本刀)で乱闘し、しばしば死傷者を出したため、何度も「ねぷた禁止令」[1]が出されたことがある。これを「けんかねぷた」という。(その名残が「石打無用」という言葉になってねぷたの肩部分などに記されているものもある)

日中戦争が始まった翌年の昭和13年(1938年)から中断していたが、昭和22年(1947年)に復活した。

昭和46年(1971年)には、陸奥新報社の創立25周年記念で、棟方志功がネプタ絵を描いた。昭和55年(1980年)に「弘前ねぷた」が国の重要無形民俗文化財に指定された。

昭和58年(1983年)には初めて日本国外(アメリカ・シアトル市)で運行され、平成8年(1996年)には弘前ねぷた囃子が「日本の音風景100選」に認定された。

平成23年(2011年)は東日本大震災犠牲者への鎮魂や弘前城築城400年祭記念などをテーマに、7月31日に特別運行・8月7日になぬか日スペシャルが行われた。

開催状況
例年8月1日から7日にかけて弘前ねぷたまつりとして行われる。最終日7日(午前運行)のことを「七日日(なぬかび)」と呼ぶ。まつりの主催者は弘前市弘前商工会議所、公益社団法人弘前観光コンベンション協会の3団体である。

企業主催のねぷたは少なく、町会・集落単位でのねぷたが多かったが、近年は任意に仲間たちが集まって参加しているグループねぷたが増加傾向にある。平成23年(2011年)は82団体の参加となった。

弘前市と友好都市の関係にある、群馬県太田市(旧・新田郡尾島町)と北海道斜里郡斜里町でもねぷた運行がされており、弘前ねぷたまつりに特別参加する年もある。また、弘前市長など弘前市関係者が太田市斜里町のまつりに参加する場合もある。

期間中、1日平均約50団体が参加するが、土・日などの開催日には参加団体が多い場合がある。平成18年(2006年)の場合、木曜日の8月3日に59団体、土曜日の5日には62団体と集中したため、両日は出発時間を30分早い、午後6時半からとした。
平成26年(2014年)8月5日、参加者がねぷたの昇降機に頭を挟まれて死亡する事故が発生したため、事故翌日以降の開催は全面中止となった。事故による中止は、ねぷたの「合同運行」を開始した1958年以来初めてのこと。

ねぷたに使われる題材・構造

表面の鏡絵や人形の部分では、中国物として三国志水滸伝、漢楚軍談、呉越軍談等、また和物としては源平盛衰記津軽為信などがあるが、時に世相を風刺したものも登場する。裏面中央の見送り絵には唐美人や西王母、楽女のような女性、左右には袖絵が描かれる。表面と裏面の絵をつなぐ真横の部分は肩と呼ばれ、町内会・団体名などが書かれる。

鏡絵や人形の下にある三角形(台形)の開きと呼ばれる部分はねぷたを支える受け皿の役割をしており、弘前藩の家紋である牡丹の花が描かれる。開きの下にある(四角形)の額の正面には天の川を意味する「雲漢」と書かれる。左面・右面・後面には武将の絵が描かれ、左・右面の絵の武将の眼は進行方向を向いている。使用される紙は『ねぷた和紙』等の専用紙の他、「ロンテックス」に代表される業務用障子紙等の、長尺のロール状紙が用いられる。

弘前ねぷたの運行

1団体につき、先頭に町内会名や団体名を記した前灯籠・町印、その次に大型ねぷたの前座である前ねぷた(角灯籠や小型ねぷた)、ねぷた本体につないだ綱を引く曳き手、そして大型ねぷた(扇や組)、太鼓・笛などの囃子方という順番で運行されるのが一般的である。ねぷた囃子は、進行・休止・戻りの3種類がある。掛け声は、進行がヤーヤドー、戻りがねーぷたーのもんどりこ、ヤーレヤレヤーレヤー。

また、3代藩主信義(のぶよし)が、お国自慢で作らせたという伝説に基づいて1970年に津軽情っ張り大太鼓保存後援会により制作された、津軽情っ張り大太鼓(つがるじょっぱりおおだいこ)とよばれる直径3.3mの大太鼓が合同運行の先陣を切り、その他にも直径4mの津軽剛情張大太鼓(つがるごうじょっぱりおおだいこ)、直径3.5mの弘前度天太鼓(ひろさきどってんたいこ)が運行している。

弘前ねぷたと同様のまつりで比較的大きなものとしては黒石ねぷたが7月30日、平川ねぷたが8月2日から行われている。

弘前高校のように文化祭(弘高祭)時に各ホームルーム単位で弘前市内を運行する弘高ねぷたや保育園・幼稚園、小・中学校の行事で園内・校内を運行するなど学校単位で運行する場合もある。

現在では会員の高齢化や後継者不足、財政難、少子化による参加者不足等の理由であまり見られなくなったが、集落内で組織をつくりその集落を運行するねぷた(「村ねぷた」と呼ばれる)などもある。現在もごく僅かではあるが、合同運行には参加せず近隣集落や町内を回る「村ねぷた」は存在し、20年以上続いている団体もある。

友好都市との交流で運行していたものが、地域の祭りとして変化したものもあり、太田市尾島地区(旧・尾島町)では、尾島ねぷたとして当地で運行されており、毎年8月14日・15日に開催され、弘前市も参加している。また、北海道斜里町では、しれとこ斜里ねぷたとして毎年7月21・22日に開催され、大小約15台の扇ねぷたが町内約2.5kmを運行している。

★青森ねぶたとの違い
弘前ねぷたが「neputa」であるのに対し、青森のねぶたは、「nebuta」と表記ならびに発音が固定化されたのは昭和55年(1980年)の国の重要無形民俗文化財に指定されてからのことで、現在でもどちらもねぷた、ねぶたと両方の呼ばれ方がある。
形状としては、弘前は扇型が主体で、青森は人形の灯籠というイメージがあるが、弘前の扇形ねぷたは明治以降の形態であり、それ以前は箱型や人形型(組ねぷた)の灯籠が主体だった。現在でも組ねぷたを製作する団体が6団体ほどあり、主催者も組ねぷたを推奨している。弘前の組ねぷたは、上部から人形、高覧、蛇腹、板隠し、開き、額で構成されており、後面には扇ねぷたと同様に見送り絵が描かれている。
運行区間が城下町特有の道路の狭さゆえに、おおむね、幅は1車線分か2車線分しか取れない。また、電線に引っかからないように、扇ねぷたでは、扇の最も高い部分である、ためを外側に折り曲げたり、扇部分を昇降するようにして運行可能にしている。また、電動昇降装置付きねぷたが一般化した現在では必要性はほとんど無いが、さしまたと呼ばれる電線を持ち上げる道具も、かつて蝋燭照明が主流だった頃に、度々起こったねぷたの火災を消す為に使われた“ささら”と共に、古いねぷた運行形態の名残として持ち歩かれることがある。

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