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春夏秋冬、風に吹かれて無常の世を漂い、旅する愛しき日々

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茨城県取手市が2月24日に早咲きの河津桜の開花宣言! 染井吉野はまだかいな?

季節・春

河津桜」の開花宣言 取手
 取手市役所本庁舎(寺田)の「河津桜」が咲き始めた。市民団体が十三年前に植樹した八本のうちの一本。市広報広聴課員が二十四日に一輪咲いているのを確認、開花宣言した。


 通常なら二月初旬に開花するが、ここ三年連続してやや遅れての咲き始め。比較的長い期間咲き続ける河津桜は、四月初旬まで楽しめそうだ。

 

鹿児島県龍郷町では1月に早くも「ヒカンザクラ」が花開き、開花宣言がありました。

2月19日には埼玉県蕨市南町にあるゴルフ場「蕨ゴルフクラブ」の敷地内で、「河津桜」が数輪開花し開花宣言がありました。そして取手市です。

ヒカンザクラ河津桜開花宣言があちこちで聞かれるようになりました。

2015年、2月は去り、いよいよ3月となりました。

本命の染井吉野の開花は例年より少し早めということなので今月3月には咲くことでしょう。

福岡、高知、伊豆、東京、どこから最初に染井吉野開花宣言が聞かれるのでしょうか。

楽しみですネ。

亀井勝一郎が「大和古寺風物詩」の中で奈良の薬師寺から唐招提寺までの歴史の小道の春風景を「由緒正しい春」というならばみちのくの春は「恋焦れる」春といえるでしょう。

もうすぐ春~ですね♪~ 恋をしてみませんか~♪ (キャンデーズ風に)


カワヅザクラ河津桜)は、日本にあるサクラの一種である。オオシマザクラ (Cerasus speciosa (Koidz.) H.Ohba, 1992 ) とカンヒザクラ (Cerasus campanulata (Maxim.) A.N. Vassiljeva, 1957 )の自然交雑種であると推定されている。
カワヅザクラ学名は Cerasus lannesiana Carrière, 1872 ‘Kawazu-zakura’

特徴

1月下旬から2月にかけて開花する早咲き桜である。花は桃色ないし淡紅色。
この桜はオオシマザクラ系とヒカンザクラ系の自然交配種と推定されるそうで、いわゆる[染井吉野]よりは紅色の濃い花が咲きます。まるで桃のような鮮やかなピンクの花が特徴的です。
また花期が1ヶ月と長い。

由来
1955年に飯田勝美が静岡県賀茂郡河津町田中で原木を偶然発見したことが由来である。当初、発見者の飯田氏の屋号から「小峰桜」と地元で言われてきたが、その後の学術調査で今までに無かった雑種起源の園芸品種であると判明し、1974年に「‘カワヅザクラ’(河津桜)」と命名され、1975年に河津町の木に指定された。

現在も原木はこの地に存在し、2007年現在で樹齢50~60年である。また、1968年頃からこのサクラが増殖されるようになった。

イベント
名前の由来となった河津町では1981年より、毎年2月10日前後から3月10日前後にかけて河津桜まつりが開催される。
河津駅近辺の河口から河津川にそって「河津桜並木」が約3km続いており、毎年この時期になると大勢の観光客でにぎわう。夜にはライトアップされる。

また、寒波などの影響で開花が遅れ、河津桜まつり閉幕後も河津桜が楽しめる年もある。このような年は河津町観光協会の判断により、特別イベントとして「かわづ春うららまつり」が1週間実施される(2012年・2013年に実施)

河津町(かわづちょう)は、静岡県の伊豆半島東岸の町。早春の2月に満開となる早咲きの桜「河津桜」で知られる。

染井吉野 ソメイヨシノ
ソメイヨシノ染井吉野学名: Cerasus × yedoensis (Matsum.) A.V.Vassil. ‘Somei-yoshino’)とはそれぞれ日本原産種のエドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれたと考えられる日本産の園芸品種である。ソメイヨシノはほぼ全てクローンである。

日本では明治の中頃より、サクラの中で圧倒的に多く植えられた品種であり、今日では、メディアなどで「桜が開花した」というときの「桜」はソメイヨシノ(の中の、気象台が定めるなどした特定の株)を意味するなど、現代の観賞用のサクラの代表種である。

学名
ソメイヨシノに限らず、サクラの属名はPrunus、和名ではサクラ属(「スモモ属」とも)とする分類と、Cerasus(サクラ属)とするものがある。日本では前者、分けてもサクラ亜属 (subg. Cerasus) とするものが多かったが、近年は後者が増えてきている。しかしCerasusとすることで決着した訳ではない。海外では、現在もPrunusに分類するのが主流である。

ソメイヨシノ学名がC.(もしくは P.)× yedoensisと、園芸品種名‘Somei-yoshino’無しで表記される事がある。しかしこれは、エドヒガンとオオシマザクラの間の雑種すべてを表す名前であり、ソメイヨシノのみを表すものではない。

学名の「×」は自然種間交雑種の表記であり、人工交配種には用いられない。ソメイヨシノが自然交雑種なのか、人工交配種なのかは不明だとしてこの学名の妥当性に疑問を呈する声もある。

命名の由来
江戸末期から明治初期に、江戸の染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成された。初めサクラの名所として古来名高く西行法師の和歌にもたびたび詠まれた大和の吉野山奈良県山岳部)にちなんで「吉野」「吉野桜」として売られ、広まったが、藤野寄命による上野公園のサクラの調査によってヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり(1900年)、この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるため、「日本園芸雑誌」において染井村の名を取り「染井吉野」と命名したという。翌年、松村任三が学名をつけた。

特徴
外見的特徴
花弁は5枚で葉が出る前に花が開き、満開となる。開花期は九州・四国地方で3月下旬ごろ。花色は蕾では萼等も含めて濃い赤に見えるが、咲き始めは淡紅色、満開になると白色に近づく。原種の一方であるエドヒガン系統と同じく満開時には花だけが密生して樹体全体を覆うが、エドヒガンよりも花が大きく派手である。エドヒガン系統の花が葉より先に咲く性質とオオシマザクラの大きくて整った花形を併せ持った品種である。

萼筒は紅色でつぼのような形をしている。樹高はおおよそ10-15m。若い木から花を咲かすために非常に良く植えられている。実は小さく、わずかに甘みもあるが、苦みと酸味が強いため食用には向かない。

繁殖
ソメイヨシノは種子では増えない。各地にある樹はすべて人の手で接木(つぎき)などで増やしたものである。

自家不和合性が強い品種である。よってソメイヨシノ同士では結実の可能性に劣り、結果純粋にソメイヨシノを両親とする種が発芽に至ることはない。このためソメイヨシノの純粋な子孫はありえない。不稔性ではなく、結実は見られる。ソメイヨシノ以外の桜との間で交配することは可能であり、実をつけその種が発芽することもある。これはソメイヨシノとは別種になる。

ソメイヨシノとその他の品種の桜の実生子孫としては、ミズタマザクラやウスゲオオシマ、ショウワザクラ、ソメイニオイ、ソトオリヒメなど100種近くの亜種が確認されている。ソメイヨシノの実生種からソメイヨシノに似て、より病害などに抵抗の強い品種を作ろうという試みも存在する。

すべてのソメイヨシノは元をたどればかなり限られた数の原木につながり、それらのクローンといえる。これはすべてのソメイヨシノが一斉に咲き一斉に花を散らす理由になっているが、特定の病気に掛かりやすく環境変化に弱い理由ともなっている。

森林総合研究所などによるDNAマーカーを用いた研究では、ソメイヨシノは単一のクローンである事を否定する材料は観測されなかった。

用途・人気
明治以降、日本では他のサクラを圧倒する人気種である。街路樹、河川敷、公園の植え込みなどに広く用いられている。また、全国の学校の校門近くにも植えられていることが多い。

ソメイヨシノは花を咲かす時期や、散らすまでの時間が早いために、学校などでは本種と本種より1週間程度花の咲いている期間の長いヤエザクラの両方を植えて、入学式にいずれかの桜を咲かせることができるようにしていることが多い。広く植えられている種であることから、花見に一番利用される木となっている。

葉より先に花が咲き開花が華やかであることや若木から花を咲かす特性が好まれ、明治以来徐々に広まった。さらに、第二次世界大戦後、若木から花を咲かせるソメイヨシノは爆発的な勢いで植樹され、日本でもっとも一般的な桜となった。

ソメイヨシノは街中では他種より目にする機会が圧倒的に多いことから、以前からその起源についてとともに、可否好悪についても愛桜家の間で論争の絶えなかった品種である。ソメイヨシノは多くの人に人気があり、多くの公園などで花見のための木になっている一方で、ソメイヨシノ一種ばかりが植えられている現状やソメイヨシノばかりが桜として取り上げられる状態を憂慮する声もある。

欧米には1902年にカンザンと共にわたっている。欧州やアメリカに多くのソメイヨシノが寄贈されており、ワシントンのポトマック川のタイダルベイスンで毎年春に行われる全米桜祭りでのソメイヨシノが有名である。

現在もほぼ日本全域に植えられている最もポピュラーな桜であり、さらにすべての個体が同一に近い特徴を持ち、その数が非常に多いため「さくらの開花予想」(桜前線)に主に使われるのもソメイヨシノである。

起源についての諸説
もっとも有力な説では、ソメイヨシノは江戸時代中期-末期に園芸品種として確立したとされている。系統的にはエドヒガン系統の桜とオオシマザクラの遺伝子的特徴をもつとされる。これらの条件をもとに、園芸家による人工的な品種改良作出説と自然交雑したものを園芸家が挿し木によって増やしたという説の2説が有力である。近年の研究によれば、このうち人工的な品種改良で作られたとする説が最も有力とされる。


取手市(とりでし)は、茨城県南部に位置する市である。

概要
地域の中央部を南北に水戸街道国道6号)が通り、利根川の水運とあいまって、古くは宿場町だった。また、1970年代から1980年代にかけて東京都心のベッドタウンとして開発され人口が増加。それ以降、いわゆる「茨城都民」と呼ばれる住民が多くなった。

1995年をピークとして以降、都心回帰現象の影響や、子供が成長して家を離れるケース(当初より核家族が目立った井野や戸頭では、団塊世代前後の夫婦のみが暮らし、子供は進学・就職・結婚等で取手を離れて他地域を生活拠点とするケース)も多く見受けられ、人口は減少傾向に推移している。その一方で世帯数は増加しており、少数世帯化・高齢化が進み、市内の小・中学校の大幅な統合が検討・実施されている。

2005年に北相馬郡藤代町との合併によって人口10万人を突破するとともに、茨城県の「まちづくり特例市」に認定され、土地利用や福祉関係等の県主要事務の権限移譲を受けており、現在取手駅周辺再開発・土地区画整理事業・宅地開発などが新たに行われている。

市内では、現在URによる常総ニュータウン取手ゆめみ野の開発が進められている(ゆめみ野の詳細は常総ニュータウンの項目を参照)。また、東京芸術大学取手キャンパスが市内にあることから、「アートのまち取手」としてまちづくりを展開しており、その一環として1999年より市民と取手市東京芸術大学の三者が共同で、取手アートプロジェクト(TAP=Toride Art Project略)を行っている。

地理
県庁所在地の水戸市まで60km、東京までは約40kmに位置する。JRや関東鉄道常総線の駅を中心に市街地が広がる一方、田園地帯も多く残る。また、古くは水戸街道の宿場町だったことから、それに関連した史跡・文化財が多数見られる。交通面は、鉄道ではJR常磐線関東鉄道常総線が、道路では国道6号と、そこから分岐する国道294号の事実上の始点があり、茨城県南地域の交通の要衝として機能している。

関東平野に位置し、利根川と小貝川に面していることから、かつては水害が多かった。現在でも、市南西部と南東部の台地上の地域を除くと、市域の多くで浸水の危険性が見られる。詳しくは浸水想定区域図を参照。しかし、近年は利根川、小貝川などの堤防の高機能化により、河川の氾濫に伴う浸水被害はほとんどなくなっている。一方、集中豪雨により市内の一部低地などでは道路が冠水するなどの被害が発生する。

●市内を流れる河川:利根川、小貝川、北浦川、相野谷川、谷田川、西浦川、大野川

1911年(明治44年)から1920年大正9年)の利根川河川改修によりできた、利根川を挟んだ千葉県側に「取手市小堀(おおほり)」と呼ばれる、いわゆる対岸飛地があり、市営渡し船である小堀の渡しによって結ばれている。また、小堀地区を循環するバスも運行されている。尚、この地区は古利根沼が千葉県我孫子市との境である。

「取手」の都市名の由来は、戦国時代に大鹿太郎左衛門の砦(大鹿城:現在の取手競輪場付近)があったことから名づけられたといわれている。ただし、平安時代末の11世紀には伊勢神宮の相馬御厨として、当市周辺の地名がすでに史料に記されており、さらに13世紀になると、稲村、戸頭、高井、大鹿などの地名も相馬氏の領地として史料に登場することから、正確な由来は判明していない。平将門が城堡(砦:とりで)を築いた事に由来するとの説もある。また、「取手」「鳥手」「鳥出」という標記がされている歴史書なども見受けられる。