風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

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3月4日はミシン、サッシ、三線、バウムクーヘンなどの日でありアザレアの日 

3月4日はミシンの日&サッシの日&三線の日&雑誌の日&バウムクーヘンの日&円の日などetc.たくさんの記念日が目白押しです。


・ミシンの日
「ミ(3)シン(4)」の語呂合わせから、日本家庭用ミシン工業会(現在は日本縫製機械工業会)が1990(平成2)年にミシン発明200周年を記念して制定しました。

・サッシの日
  YKKアーキテクチャルプロダクツ(YKK AP)が制定。
  「サッ(3)シ(4)」の語呂合せ。

 

三線の日
  沖縄県琉球放送が制定。
  「さん(3)し(4)ん」の語呂合せ。
  三線は、蛇味線とも呼ばれる沖縄の楽器で、三味線の元となったとされています。

 

・酸蝕歯(さんしょくし)の日
  酸蝕歯とは、食物中の酸によりエナメル質が侵食された歯のことで液体歯磨剤「シュミテクト」を販売するグラクソ・スミスクラインが制定しました。
  「さん(3)し(4)ょくし」の語呂合せ。

 

・雑誌の日
  富士山マガジンサービスが2008(平成20)年に制定。
  「ざっ(3)し(4)」の語呂合せ。

 

バウムクーヘンの日
  神戸のドイツ菓子製菓会社・ユーハイムが2010年に制定。
  1919年のこの日、広島県で行われたドイツ展示会で、同社を創業したドイツ人カール・ユーハイムが日本で初めてバウムクーヘンの製造販売を行いました。

 

・円の日
  1869(明治2)年、明治政府が貨幣を円形として金銀銅の貨幣を鋳造する円貨の制度を定めました。


★「3月4日はミシンの日」についてうん蓄を語ってみます。
ミシンの原型は1589年の機械式の毛糸編み機で、日本初のミシンは1869(明治2)年に日本人の手によって作られました。
  「ミシン」という名前は、 sawing machine(裁縫機械)のmachineがなまったものです。

■電動ミシンの種類

一昔前は足踏みミシンがカタカタと音を立てていましたが
近年では、電動式(=電動機を動力源とする)ミシンが主流となっている。一般に、電気で動くミシンは、さらに「電動ミシン」「電子ミシン」(電子速度制御ミシン)「コンピューターミシン」などに大別されている。
 
●ミシンの歴史

1589年、イギリスで、ウイリアム・リーが編み機を発明する。

1755年、イギリスのワイゼンソール(Charles Weisenthal)が、1790年、同じくイギリスのトーマス・セント(Thomas Saint)がそれぞれ別の仕組みのミシンを発明。ただし、どちらも量産はされなかった。

1810年、ドイツの靴職人クレムス(B. Krems)が針先端付近に針穴がついたミシン針を発明。近代ミシンの原理の基礎となる。

この後、フランスのバーシレミー・シモニア(Barthelemy Thimonnier)が1830年に特許をとったミシンが、軍服を縫う目的で1840年に80台生産されたが、失業を恐れた他の仕立て屋によって破壊されたという有名なエピソードが伝わっている。

アメリカ人のウォルター・ハントは、現在のミシンとほぼ同じ構造の、ミシン針の先端に穴があいていてそこに上糸を通すしくみのミシンを1830年代はじめに発明したが、特許をとらなかったため、この後、複数の業者による特許紛争の原因になった。ハントとほぼ同じ構造のものが、ハントの発明の後に同じアメリカのエリアス・ハウによって特許がとられている。

1850年、アイザック・メリット・シンガーは現在とほぼ同じ構造のミシンを発明。翌年特許をとり、I. M. シンガー社(のちのシンガー社)をつくった。

●日本のミシン
1854年にペリーが2度目の来航をしたときに、将軍家にミシンを送った、というものがもっとも古い記録である。この後、1860年にはジョン万次郎がアメリカからミシンを持ち帰っている。ちなみに、日本で最初にミシンを扱ったのは、天璋院だといわれている。

天璋院(てんしょういん) / 篤姫(あつひめ、天保6年12月19日(1836年2月5日) - 明治16年(1883年)11月20日)は、江戸時代後期から明治の女性で、薩摩藩島津家の一門に生まれ、島津本家の養女となり、五摂家筆頭近衛家の娘として徳川家に嫁ぎ、江戸幕府第13代将軍徳川家定御台所となった人物。

実父は薩摩藩主島津家の一門・今和泉(いまいずみ)領主・島津忠剛。母は島津久丙の娘・お幸。薩摩藩9代藩主・島津斉宣の孫である。

幼名は一(かつ、もしくは、いち)。本家当主で従兄・島津斉彬の養女になり本姓と諱は源 篤子(みなもと の あつこ)に、近衛忠煕の養女となった際には藤原 敬子(ふじわら の すみこ)と名を改めた(この際に篤の名は君号となり、篤君(あつぎみ)となった)。

 

ミシンが普及をはじめるのは明治期になってからである。初期は輸入のみで、修理などを通じて技術を取得した技術者によって、徐々に国内生産が開始された。最初の製造業者は、江戸時代までは大砲職人であった左口鉄造であるとされ、1881年に東京で開かれた第2回内国勧業博覧会に国産ミシン第1号として展示された。

日本のミシン製造の量産は、1921年に創業したパイン裁縫機械製作所(旧シンガー日鋼)によってはじめられた。このころ(大正時代)から、日本でもミシンの量産がはじまった。ただし、量・質ともに、シンガーなどの輸入品にはかなわなかった。

しかし、外国製品は故障が多く、加えて品質が安定していない点に、ミシンの修理で生計を立てていた安井正義、實一兄弟(ブラザー工業創始者)が着目。彼らは、性能の良い国産ミシンは売れると確信し、製造に着手した。

1928年(昭和3年)に「麦藁帽子製造用環縫ミシン」を発表し、販売し始める。発表年に因んで「昭三式ミシン」と呼ばれ、全く壊れないと大評判となり注文が殺到し、安井兄弟のミシンは瞬く間に広がった。耐久性の秘密はその「造り」にあると云われ、針があたっても壊れないよう「糸受け」を硬く加工しながらも内部に柔らかさを残す為、「浸炭焼入れ技術」という独自の方法を採用した。

第二次世界大戦が始まると家庭用ミシンの製造は禁止され、戦時中、ミシンは軍用ミシンのみ製作されることになる。

1945年に終戦を迎えると、ミシンの需要が飛躍的に増大した。これは、繊維製品(既製服)が日本の主な輸出品になったことが大きい。

1947年、家庭用ミシンの規格が統一され、1948年から規格に基づいた製品の出荷が始まった。また、国内販売分だけでなく、ミシンそのものも重要な日本の輸出品となった。ミシンは工業用のほか、家庭用が多く作られた。

当時、日本の女性は、結婚後は家庭外で労働しなかったため、内職に使用でき、副収入を得やすいミシンが嫁入り道具として多く使われたことも大きい。ただし、国内ミシンメーカーの家庭用ミシンの工場が、1970年あたりを境として中国や台湾などに移転し始め、現在は高級機種等を除き、国内では家庭用ミシンは殆ど製造されていない。

さらに、近年、工業用ミシンも低コスト化やアパレル産業の海外への移管などもあって、海外製造にシフトし始め減少傾向にあるが、ミシンは精密機械であるため、高精度の金属加工技術が要求され、部品の多くは依然日本で製造されている面もある。 しかし、近年はコストダウンのため海外(特に中国)で精密部品を生産することが主流である。

●ミシンの種類
家庭用ミシン
家庭の部屋に置ける大きさで、現代のものは通常、電気を動力源としている。古くは足踏み式や手回し式のものが多く使われ、直線縫いしか出来なかった。電気式のものは足元のフットコントローラーあるいは手元のパネルを用いて調節しながら駆動する。

家庭用ミシンは直線縫いの他に、多種類の模様縫いやボタン穴かがり、刺繍などのできる機能もある。模様縫いは、かつては「カム交換式」であったが、現在は「カム内蔵式(ダイヤルで切り換え)」か「コンピューター式(ボタンで選択)」となっている。最近のものは、一般に持ち運びでき、水平釜で自動糸調子や自動糸切り機能を搭載しているものも多く、使い勝手を中心に改良されている。ミシンを使うハードルが下がってきて、誰でも簡単に使えるようになってきた。

縫い速度はそれほど速くない(最高約700~1000針/分)。

しかし、縫い模様の多種類化・使い勝手・機能面を優先してきたため、プラスチックの多用・電子回路の採用・機構の複雑化を招いている。そのため耐用年数(耐久性)の減少や、複雑化多様化によるメンテナンスや整備の困難さの原因となっている。

また、戦後にごく一般的に使われていた黒い家庭用ミシンは、JIS規格によって寸法や材質などが定められており、使われている部品にはある程度の汎用性があった。一方、現在の多様化したミシンにおいては、メーカーが各自独自に製造しており、メーカーはいつまでも過去のミシン部品を製造しないため、数年以上前のミシンでは既に部品が無くなっているケースも多い。

さらに現在の電子化・複雑化・多様化したミシンでは自分で修理することは困難であり、メーカーに高額な修理費用を払って修理を依頼せざるを得ない状況があり、1台のミシンの使用年数低下に拍車をかけている面がある。

また、近年は既製服の値段も非常に廉価になり、その為需要が減少している上に、また家庭用ミシンは一般の家庭で使う事を念頭に置いている為、一般の人が購入出来ない様な価格帯に上げる事も出来ず、その上で職業用や工業用と異なり、一台でオールマイティな使い方が出来なければならないという板挟みとなっている。

この為、経営を成り立たせるのが非常に難しい商品であると言われている。大手メーカーでも家庭用ミシン関連部門は非常に厳しい経営状況であり存続が常に問題視されている。

職業用ミシン
仕立て屋やミシンの使用頻度の高い(洋裁をするような)個人向けの直線縫い専用ミシン。工業用ほどは巨大ではなく、特に最近のポータブル型職業用ミシンは軽金属を用い、持ち運びも出来るようになった。

家庭用で使われる2倍程度の速度(最高約1500針/分)で縫う事が出来、直線しか縫えないので構造が比較的簡単で、その分故障も発生しにくい。工業用ミシンほどではないが、各種業務にも使われるので高精度のミシン製造・金属加工技術が要求され、直線縫いだけにも関わらず比較的高価である。また、豊富な工業用アタッチメントの一部や工業用ミシン針が利用出来る。ジーンズなどの厚物でも、家庭用ミシンより綺麗に縫製出来る。

過去にはジグザグミシンもあった。

ハンドミシン
片手で布地を挟んで縫い合わせるミシン。小型で容易に持ち運びができる。

ロックミシン(小型)
裁ち目かがり(布の裁断面を、ほつれないよう包み込むように縫う)専用のミシン。ロックとは布の端をロックする(閉じる)の意味。通常のミシンのような直線縫いはできず、布の端のみを縫うことができる。

仕様によって糸を2本、3本、4本、5本使うものがある。小型ロックミシンは職業用的に使われていたが、洋裁をする人を中心に普及しつつある。最近は、「カット アンド ソー」といって、ニット地の縫い合わせにも使われる。

また、家庭用ミシンと同じように樹脂部品も多くなり、便利さでは難しいルーパー糸通しまで自動的にできる機種も出て来ている。しかし、それ以外も含めて構造がかなり複雑になっている。便利さなどを優先していくのと、メンテナンス性や耐久性とは、トレ-ドオフの関係である。

(小型)ロックミシンは、主にオーバーロック専用機を指すことが多いようであるがカバーステッチ専用機もある。またオーバーロックおよびカバーステッチの両方が可能な複合機もある。

工業用ミシン(産業用ミシン)

主に縫製(既製服)工場に備え付けられたもので、直線縫い、かがり縫い、ボタン付け用など用途ごとに専用ミシンがある。大型で重いために移動はきわめて困難である。各縫製工程を綺麗に便利に高速に縫うことが出来るように特化しているために、1台でただ1種類の動作しか行うことができない。

高速対応性は、針熱対策や自動給油システムや太い軸径、適した釜方式等の多く要素によって支えられている。また、低速な工業用ミシンもある。工業用ミシンの具体的な種類には、直線縫い専用ミシン、ボタン穴かがり専用ミシン、刺繍専用ミシン、すくい縫いミシン、インターロックミシン、オーバーロックミシンなどがある。


●日本の主なミシン製造業者
ヤマトミシン製造 - YAMATOブランド。高品質、高機能な工業用環縫いミシンを開発・製造・販売。
森本製作所 - KANSAI SPECIALブランド。工業用特殊二重環縫ミシン世界シェア1位。
ブラザー工業 - 工業用・家庭用ミシン全般が得意。
蛇の目ミシン工業 - 主に“ジャノメミシン”ブランドで展開。家庭用ミシンが得意。
JUKI - 工業用・職業用ミシン・小型ロックミシンが得意。
babylock ジューキ - 主にベビーロックシリーズを販売している会社。上記JUKIよりスピンアウト。
鈴木製作所 - 家庭用小型ロックミシン・ベビーロックを開発・製造しているメーカー。

ジャガーインターナショナルコーポレーション - ジャガーミシンを販売
アイシン販売 - トヨタミシンを販売(製造はアイシン精機
シンガーハッピージャパン(シンガーミシンは当初、"シンガー日鋼"(現在は解散)という会社が製販一貫して担当していた)
ペガサスミシングループ - ペガサスミシンを製造・販売している会社グループ。環縫いミシン専業で世界シェア1位。徳島・上板町にある子会社の美馬精機等でも製造を担当。
リッカー販売(旧リッカーが倒産し、ダイエーがスポンサーとなったが、ミシン製造からは撤退。現在はOMCカードに吸収)
三菱電機(名菱テクニカ) - 工業用ミシン
バルダン - 工業用自動刺繍ミシンのトップメーカー。
東海工業ミシン・タジマ工業 - 同じく工業用自動刺繍ミシンのトップメーカー。バルダンと世界市場を二分している。
アックスヤマザキ

 

■3月4日の誕生花アザレア
アザレア (Azalea, Rhododendron simsii cv) は、ツツジツツジ属に分類されるツツジ。別名を「西洋ツツジ」、「オランダツツジ」などと言う。

アザレアの花言葉

あなたに愛される幸せ
愛の楽しみ、恋の喜び
概要
もともと台湾のタイワンツツジベルギーのプラントハンターによってベルギーにもたらされた物を中心に、ケラマツツジ、サツキの園芸品種などと複雑に交雑させて園芸品種群として成立した。後に日本に輸入されたものが、通称:アザレアである。元来ツツジ類を海外では単に Azalea と呼ぶため、本項の植物群の物は、ベルギー・アザレア (Belgian Hybrid Azalea)と呼ぶのがより正確である。

常緑性の低木で、葉は厚みを持ち、毛がある。形は倒披針形で両端が尖る(先端ははっきりとは尖らない)。花は5弁の合弁花で、花色はピンク・赤などさまざまで八重咲きも多い。開花は春(4~5月頃)。

11月頃から2月頃と、冬に咲くこともある。南方系のツツジ類を親に持つ為、寒さに弱い(半耐寒性)。ただし無霜地帯では屋外で越冬する。挿し木で殖やすことが容易。

蜜をも含む植物体全体に、他のツツジ科植物と同様グラヤノトキシンとロードヤポニンを含み有毒。中毒症状は嘔吐・痙攣などだが、重症では昏睡に至る事もある。

文化
アザレアは川崎市の市花になっている。

日本での主な生産地は新潟県などで品種改良も盛ん。鉢植えとして冬頃に出回る。冷蔵処理をされているため、5月であるはずの本来の開花期とは違う時期に開花株が出回る。

●アザレア
アザレアはツツジ科の常緑低木。中国南部原産のシナノサツキと日本原産のサツキを、主にベルギーで交雑改良した園芸品種。季節は4〜5月。温室では2〜3月。花の色は、ピンク、白、紅、絞り。

アザレアはツツジツツジ属で、その名前の由来はラテン語のアザロス(乾燥)です。アザレアが乾燥した土地を好むからこの名前が付いたとも言われています。

アザレアは比較的に低温に強い植物で、最低でも5度以上の場所に起きます。暖房などの乾燥に弱いので、霧水します。水やりは、年間を通して鉢土の表面が乾いて来たら、鉢底から水が流れ出すくらいタップリあげます。肥料は花が終わったらあげます。

アザレアの植え替えの用土の割合は、鹿沼土7で腐葉土3の割合です。花やつぼみに花腐れ菌核病が出やすいので、スミチオンなどで防除します。

アザレアはとても美しい花で、「躑躅色(つつじいろ)」という色も存在します。やや紫がかった鮮やかな濃いピンクです。古くから日本に自生していて、交配品種もたくさんあります。春から初夏にかけて華やかに色を付けるアザレアは、たくさんの人々の印象に強く残っています。


■3月4日生まれのあなたの性格(女の子用)
  自立心が高く、時間を大切にする女の子。
  自分の好きな事に熱中し、興味がない事には見向きもしません。
  おとなしくて優しいので、男の子から人気があります。

・恋愛運
  好きになったら一直線。
  多少のライバルや障害があっても、気にせずに突き進みます。
  自分から好きになるのは得意だけど、人から告白されると戸惑って、どうしたら良いのか分からなくなります。

・友達運
  少し自分勝手な所がありますが、友達運が高くて親友と呼べる友達が何人もいます。
  自分の気持ちを押さえて友達の言葉に耳を傾ければ、さらに多くの友達が出来るでしょう。

・運勢の高まる月と日にち
 3月と9月 毎月の4日と13日

・相性の良い彼のタイプ
 おとなしいあなたには、世話好きで優しい男の子が良いでしょう。

・この日生まれの男の子へのアプローチ方法。
  この日生まれの男の子も自分の好きな事に熱中し、恋愛モードに入らないと女の子に興味が出ません。
  肩を叩くなどのスキンシップで、彼に恋愛を少しずつ意識させましょう。
  彼は一度恋愛モードに入ると、女の子にとても優しくなります。
  彼の好みは 『気さくな女の子』

・開運方法
  ラッキーカラー ワインレッド(wine red)     
  ラッキースポット 水族館
  ラッキーファッション スカート
 ラッキーナンバー 7.61.88
  ラッキーアイテム キラキラくちばしピン
 ラッキーフード ゼリービーンズ
 ラッキーフラワー(誕生花花言葉) アザレア(azalea) 愛の喜び  

・向いている仕事。
  好きな事に集中するので、専門的な仕事で実力を発揮します。
  パティシエ、プログラマーなど。

・ワンポイントチャームアップ
 キラキラしたアクセサリーでチャームアップ。