風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

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3月13日は青函トンネル開業記念日です。津軽海峡冬景色♪~は遠い過去

3月13日は新選組の日、サンドイッチデー、青函トンネル開業記念日、漁業法記念日です。

 

青函トンネル開業が開通する前に青森へ営業所の手伝いに行ったことがあります。

冬の時期でボタン雪がものすごく降っていました。
2-3メーター先が見えません。青函連絡船のドラの音と霧笛が物寂しい雰囲気をかもし出し、ココロさびしくなりました。

津軽海峡冬景色♪~

洞爺丸事故のことが思い出され思わず手を合わせてしまいました。

まもなく北海道新幹線(ほっかいどうしんかんせん)が走ります。

青森と札幌間が新幹線で繋がるのもまじかとなることでしょう。


北海道経済連合会では、札幌まで開業した場合、大宮 - 札幌間の最高速度を360km/h、途中停車駅を大宮、仙台、盛岡、新青森新函館北斗の5か所と仮定して、新青森 - 札幌間が1時間19分、東京 - 札幌間が3時間57分で結ばれると想定しています。

なお、2016年の新函館北斗開業時の段階では、東京 - 新函館北斗間を最短で4時間10分程度で結ぶことを目指していることをJR北海道が明らかにしています。


青函トンネル(せいかんトンネル)は、本州の青森県東津軽郡今別町浜名と北海道上磯郡知内町湯の里を結ぶ北海道旅客鉄道JR北海道)の鉄道トンネルである。


起点
青森県東津軽郡今別町浜名

終点
北海道上磯郡知内町湯の里

運用
建設開始
1961年(昭和36年)3月23日

開通
1988年(昭和63年)3月13日

概要
津軽海峡の海底下約100mの地中を穿って設けられたトンネルで、全長は53.85 kmである。これは1988年(昭和63年)の開業以来、交通機関用のトンネルとして世界一の長さを保っているが、全長57.091kmの鉄道トンネルとして建設中のスイスのゴッタルドベーストンネルが開業すると、世界一の座はそちらに譲ることになる。

また、全長が約53.9kmであることからゾーン539の愛称がある。なお、青函ずい道と表記されていたこともあるほか、トンネル出入口の扁額には青函隧道と表記されている。

青函トンネル木古内駅方には、非常に短いシェルターで覆われたコモナイ川橋梁、さらに長さ約1.2kmの第1湯の里トンネルが続き青函トンネルに一体化しており、これらを含めたトンネル状構造物の総延長は約55kmになる。

青函トンネルを含む区間は海峡線となっており、北海道函館市青森県青森市を結ぶ津軽海峡線の一部だが、新幹線規格で建設されており、2014年より北海道新幹線が試験走行をしている。

長大なトンネル内の安全設備として、列車火災事故などに対処するため、青函トンネル途中(海岸直下から僅かに海底寄り)に消防用設備や脱出路を設けた「定点」という施設が2箇所設置された。


これは1972年(昭和47年)11月6日に日本国有鉄道国鉄北陸本線の北陸トンネル内で発生した列車火災事故を教訓にしたものである。また、開業後はこの定点をトンネル施設の見学ルートとしても利用する事になり、吉岡海底駅竜飛海底駅と命名された。


この2つの駅は、見学を行う一部の列車の乗客に限り乗降できる特殊な駅であったが、吉岡海底駅は2006年8月28日に長期休止となったほか、竜飛海底駅も2013年11月10日をもって休止となった。
なお、この両海底駅は2014年3月15日に駅としては廃止され、現在は「吉岡定点」、「竜飛定点」となっている。トンネルの最深地点には青色と緑色の蛍光灯による目印がある。

 

また、青函トンネルは通信の大動脈でもある。青函トンネルの中には開通当時の日本テレコム(現在のソフトバンクテレコム)が光ファイバーケーブルを敷設しており、北海道と本州を結ぶ電信・電話の重要な管路となっている。

青函トンネルは「世界最長の海底トンネル」という特殊条件であることから、万が一の事故・災害防止のために厳重な安全対策が施されており、トンネル内は終日禁煙・火気使用厳禁となっている。

トンネル内には一般建物用より高感度の煙・熱感知器が多数設置されているので、微量な煙を感知しただけでも列車の運行が止まってしまう。なお、開業初日には3か所の火災検知器が誤作動を起こし、快速「海峡」などが最大39分遅れるトラブルが発生している。

日本鉄道建設公団により建設工事が行われ、公団を引き継いだ独立行政法人である鉄道建設・運輸施設整備支援機構がトンネルを所有している。トンネルを走行する列車を運行しているJR北海道は、機構に対してトンネルの使用料を払っている。その額は租税および管理費程度とされており、年額4億円である。

また、トンネル内の鉄道敷設部分についてはJR北海道所有として整備されており、この部分の維持管理費は年間約8億円となっている。1999年度(平成11年度)から改修事業が行われており、事業費のうち3分の2を国の補助金でまかない、3分の1をJR北海道が負担している。


海底にあるため施設の老朽化が早く、線区を管轄するJR北海道にとって、青函トンネルの保守管理は大きな問題になっている。

また、開業当初は、乗車券のみで乗れた青函連絡船の代替という意味もあり、主たる輸送が快速「海峡」にて行われ、特急「はつかり」は一部速達性を要する時間帯のみであったが、2002年(平成14年)12月1日の東北新幹線八戸開業に伴い列車体系が大幅に変更され、特急・急行列車のみとなった。

ちなみに、青函トンネルの中央部は、公海下の建造物ということで、開業前にその帰属および固定資産税の課税の可否が問題となったが、トンネル内には領土と同様に日本の主権が及ぶものと判断された。それに伴い各自治体へ編入され、固定資産税もそれに応じて課税されることとなった。

全工程においての殉職者は34名。竜飛崎に殉職者の碑が建っている。

§経緯
かつて青森駅と函館駅を結ぶ鉄道連絡船として、日本国有鉄道国鉄)により青函航路(青函連絡船)が運航されていた。しかし、1950年代には、朝鮮戦争によるものと見られる浮流機雷がしばしば津軽海峡に流入、また1954年(昭和29年)9月26日、台風接近下に誤った気象判断によって出航し、暴風雨の中、函館港外で遭難した洞爺丸他4隻の事故(洞爺丸事故)など、航路の安全が脅かされる事態が相次いで発生した。

これらを受けて、太平洋戦争前からあった本州と北海道をトンネルで結ぶ構想が一気に具体化し、船舶輸送の代替手段として、長期間の工期と巨額の工費を費やして建設されることとなった。

青森県東津軽郡三厩村(現在の外ヶ浜町)と北海道松前郡福島町を結ぶ西ルート、青森県下北郡大間町と北海道亀田郡戸井町(現在の函館市)を結ぶ東ルートが検討され、当初は距離が短い東ルートが有力視されたが、東ルートは西ルートよりも水深が深い上、海底の地質調査で掘削に適さない部分が多いと判定されたため、西ルートでの建設と決定した。
なお、もし東ルートに決定していれば、かつて青函連絡船代替航路として建設されていた未成線(大間線と戸井線)の建設が再開され、開通していたとも言われている。

当初は在来線規格での設計であったが、整備新幹線計画に合わせて新幹線規格に変更され建設された。整備新幹線計画が凍結された後、暫定的に在来線として開業することになったものの、軌間や架線電圧の違いを除けば、保安装置(ATC-L型)も含めて新幹線規格を踏襲しており、のちに考案されるスーパー特急方式の原型となった。

トンネルは在来工法(一部TBM工法・新オーストリアトンネル工法)により建設された。トンネル本体の建設費は計画段階で5,384億円であったが、実際には7,455億円を要している。取り付け線を含めた海峡線としての建設費は計画段階で6,890億円、実際には9,000億円に上る。

しかし、完成時には北海道新幹線の建設が凍結になっており、また関東以西と北海道が鉄道と青函航路で結ばれていた着工当時と打って変わり関東から北海道への旅客輸送は既に航空機が9割を占めており、さらに完成後も大量の湧水を汲み上げる必要があるなど維持コストも大きいことから、巨額な投資といえども埋没費用とみなし放棄した方が経済的であるとされた。そのため「昭和三大馬鹿査定」発言において言及され、「無用の長物」、「泥沼トンネル」などと揶揄されたこともあった。

トンネルの有効活用としては「道路用に転用すべきだ」、「キノコの栽培をすべきだ」、「石油の貯蔵庫にすべきだ」などのアイデアも報じられたが、結局は在来線で暫定使用を行う事になった。なおこの時、「青函トンネルカートレイン構想」としてカートレインの運行を行うことも定められていたが、実現には至っていない。

しかし、開通後は北海道と本州の貨物輸送に重要な役割を果たしており、一日に21往復(定期列車。臨時列車も含めると上下合わせて約50本)もの貨物列車が設定されている。天候に影響されない安定した安全輸送が可能となったことの効果は大きい。

特に北海道の基幹産業である農産物の輸送量が飛躍的に増加したとされる。また首都圏で印刷された雑誌類の北海道での発売日のタイムラグが短縮されるなど、JR北海道にとっては赤字事業であるものの外部効果は高いといえる。

対照的に、旅客は航空輸送の高度化・価格破壊などから減少が進んでいる。2007年(平成19年)9月1日には青森・函館間を1時間45分で結ぶ高速船ナッチャンReraが、2008年(平成20年)5月2日にはナッチャンWorldが就航し、青函トンネル旅客輸送における新たな競合相手となっていたが、これらは2008年(平成20年)11月1日で運航休止[注 7]となった。このような状況ではあるが、今後は北海道新幹線開業による輸送量増加が期待される。

 


新選組の日

東京都日野市観光協会が制定。

1863(文久3)年のこの日、京都・壬生に詰めていた新選組の前身「壬生浪士組」に、会津藩主で京都守護職松平容保から会津藩預りとする連絡が入り、新選組が正式に発足した。

元々壬生浪士隊は、清河八郎の提案で、事件が頻発している京都の警護に当る為に幕府が江戸で募集をしたものである。1863年2月に江戸を出発したが、京都に着いた途端、清河が壬生浪士組の目的は尊皇攘夷だと言い出したため、浪士組は空中分解してしまった。

まもなく幕府の帰還命令を受けて清川ら209名は江戸に戻ったが、近藤勇芹沢鴨土方歳三ら24名はそのまま京都に残留した。松平容保の配下に入り、8月に「新選組」と改称した。その後、約4年間にわたり、京都で尊皇攘夷派・倒幕派の弾圧を行った。

○サンドイッチデー

1が3で挟まれている(サンド1=サンドイッチ)ことから。

この日とは別に、サンドウィッチの生みの親とされるイギリスのサンドウィッチ伯爵の誕生日・11月3日が「サンドウィッチの日」となっている。


青函トンネル開業記念日

1988(昭和63)年のこの日、青函トンネルを通るJR津軽海峡線が開業した。

同時に青函連絡船が80年の歴史の幕を閉じた。

青函トンネルは、全長53.85km、全長の43%が海底である。長らく世界最長のトンネルであったが、2010年10月にアルプス山脈を通る57kmのゴッタルドベーストンネルが貫通した。


○漁業法記念日

1949(昭和24)年のこの日、現行の「漁業法」が施行された。

これとは別に、1901年に旧「漁業法」が制定された4月13日が「水産デー」となっている。