3月21日土曜日は春分の日であり、国際人種差別撤廃デー、世界詩歌記念日、世界ダウン症の日、ランドセルの日、、催眠術の日、カラー映画の日、ツイッター誕生日などの記念日です。
春分の日(しゅんぶんのひ)は、日本の国民の祝日の一つであり、春分日(天文観測により春分が起こるとされる日)が選定される。通例、3月20日から3月21日ごろのいずれか1日。
しばしば、「昼と夜の長さが同じになる。」といわれるが、実際は昼の方が長い。
「暑さ寒さも彼岸迄」
もうすぐ春ですね♪~(キャンディーズ)
ところで欧州の一部地域では20日、天体に関する3つの現象が重なることになる。スーパームーンと皆既日食、春分の日だ。
日食はめったにないが、月が地球に接近して通常よりも大きく見えるスーパームーンは年に数回見られる可能性がある。春分の日は年に一回で、北半球では春の到来を意味する。しかし、この3つの現象が同時に起こるのは極めてまれで、天文愛好家は興奮気味だ。
英国王立グリニッジ天文台では20日に、特別に調整した12台の望遠鏡を用意するという。
皆既日食は地球上のどこかでは平均18カ月に一回の割合で起こっているが、同一地点で発生するのは360~410年に一度だ。月は太陽よりも400倍小さいが、地球に400倍近いことから、地球から見るとほぼ同じ大きさに見え、皆既日食の際には太陽がほぼ全面的に月に隠れる。
皆既日食を見ることができる帯状の地域(および海域)を示す皆既帯は、長さが通常1万マイル(約1万6000キロ)あるが、幅は約100マイル(約160キロ)に過ぎない。
北極圏の一部と欧州の極北地域では20日に皆既日食を目撃できるはずだが、欧州の大半とアフリカ北部の一部地域では部分日食となる。英国の大部分では、月が太陽の85%を覆う。
米国で次に皆既日食が見られるのは2017年8月21日だ。
スーパームーンはいわゆる錯覚のようなものだ。月の軌道のために、地球から見た場合、満月の大きさが違って見える。例えば日食が通過する英国のスコットランド北方沖にあるフェロー諸島などでは、20日はスーパームーンのために日食の見え方が影響を受ける。この日は月が地球に近いことから太陽の隠れる部分が通常より若干大きくなる。
天文学ファンには朗報ですね。
●国際人種差別撤廃デー(International Day for the Elimination of Racial Discrimination)
1966年の国連総会で制定。国際デーの一つ。
1960(昭和35)年のこの日、南アフリカのシャープビルで、人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対する平和的デモ行進に対し警官隊が発砲し、69人が死亡した。この事件が国連が人種差別に取り組む契機となった。
界中で人種差別の撤廃を求める運動が展開される。
●世界詩歌記念日(World Poetry Day)
ユネスコが1999年に制定。世界全体で詩歌に関する活動を増進させることを目的としている。
●世界ダウン症の日
世界ダウン症連合が2006年に制定。
ダウン症が通常は2本の21番染色体が3本ある異常によって発症することから。
●ランドセルの日
ランドセルをミニサイズに加工する店「スキップ」の増田利正さんが提唱。
3+2+1が小学校の修業年数の6になることから。
●催眠術の日
催眠術をかける時のかけ声「3、2、1」から。
●カラー映画の日
1951(昭和26)年のこの日、初の国産総天然色(カラー)映画『カルメン故郷に帰る』が公開された。
●ツイッター誕生日
2006年のこの日、ミニブログサービス「ツイッター(twitter)」の一番最初の「つぶやき」(書き込み) が行われた。
1990年のこの日、ナミビアが南アフリカ共和国の不法統治から独立した。
●人権の日 [南アフリカ]
真言宗の開祖・空海[くうかい]が835(承和2)年に高野山・奥の院で入寂した日。真言宗では「御影供」と呼ばれる。
※和泉式部忌
越前守大江雅致[まさむね]と越中守平保衡[やすひら]の娘の子で、和泉守橘道貞[みちさだ]と結婚して「和泉式部」と呼ばれるようになった。
式部の恋愛事件により、道貞と離別して藤原保昌[やすまさ]と再婚し、藤原道長に「うかれめ」と揶揄された。
■カラー映画の日について
1951(昭和26)年のこの日、初の国産総天然色(カラー)映画『カルメン故郷に帰る』が公開された。
★『カルメン故郷に帰る』(カルメンこきょうにかえる)は、1951年の松竹大船撮影所製作の日本映画、および高峰秀子による同名の主題歌。
監督 木下惠介
脚本 木下惠介
製作 月森仙之助
製作総指揮 高村潔
音楽
木下忠司
黛敏郎(主題歌)
撮影楠田浩之
製作会社 松竹大船
配給 松竹
公開 1951年3月21日
上映時間 86分
製作国 日本
言語 日本語
興行収入 6800万円 (大成功)
次作 カルメン純情す
★木下 惠介(きのした けいすけ、新字体:恵介、1912年12月5日 - 1998年12月30日)は、日本の映画監督、脚本家。本名は同じ(旧名:正吉)。
日本映画の黄金期を築いた一人で、抒情的な作風で知られ、数多くの名作・話題作を生み出した。弟は作曲家の木下忠司、妹は脚本家の楠田芳子。
木下監督は生涯に渡り、日本人の強さ、弱さ、美しさ、喜びや悲しみの物語を通して「本当の人間」を描き続けました。
木下監督は、生涯に49本の映画作品を撮りました。
“コメディの天才”と称される喜劇の数々、“泣かせの木下”とも言われた抒情的作品、革新的で実験性に富んだアート作、 世の中に疑問を投げかける社会派作品など、そのジャンルや作品の多様性は類をみません。
また、テレビ界では、一世を風靡した「木下恵介アワー」「木下恵介劇場」で日本のテレビドラマの礎を築きました。 映画、テレビにわたりバラエティに富んだ木下作品は、見る者を飽きさせません。
それらの作品の根底には一貫して、木下監督の見つめ続けた「本当の人間」の姿が描かれています。
★高峰秀子
高峰 秀子(たかみね ひでこ、1924年3月27日 - 2010年12月28日)は、日本の女優・歌手・エッセイスト。本名は松山 秀子(まつやま ひでこ)、旧姓は平山(ひらやま)。愛称はデコちゃん。北海道函館市出身。松山善三は夫にあたる。
1929年に映画『母』への出演で子役デビューして以降、戦前・戦後を通じて日本映画界で活躍した大女優の一人。木下惠介、成瀬巳喜男、夫の松山善三監督作品で活躍したほか、小津安二郎、豊田四郎、稲垣浩、五所平之助など日本映画界を彩る巨匠監督の名作に数多く出演した。1979年(昭和54年)に女優を引退した後にはエッセイストなどとしても活動した。
2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター」で読者選出の日本女優部門の第1位に輝いた。
受賞
主演女優賞
1954年『二十四の瞳』、『女の園』、『この広い空のどこかに』
その他の賞
キネマ旬報賞 女優賞
1955年『浮雲』
毎日映画コンクール
女優主演賞
1954年『二十四の瞳』、『女の園』、『この広い空のどこかに』、『悪の愉しさ』
1955年『浮雲』
1957年『喜びも悲しみも幾歳月』、『あらくれ』
1961年『永遠の人』、『名もなく貧しく美しく』
芸術選奨
1962年