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5月14日は種痘記念日 イギリスの外科医ジェンナーが初めて種痘の接種に成功

5月14日は種痘記念日、温度計の日、などの記念日です。

○種痘記念日

1796年のこの日、イギリスの外科医ジェンナーが初めて種痘の接種に成功した。

種痘の登場以前は、天然痘は最も恐ろしい病気の一つだった。発症すると、高熱に引き続いて、全身に化膿性の発疹ができるため、運良く治った人もあばた面になった。

以前より、一度天然痘にかかった人は、二度とこの病気にならないことが知られていた。また、ジェンナーは、乳絞りの女性から牛痘にかかると天然痘には罹からないことを聞いた。

そこで、牛痘にかかった乳絞りの女性サラ・ネルムズの手の水疱からとった膿を、近所に住んでいた8歳の男児フィップスの腕に接種した。

10日後に発症したがすぐに治癒し、その後天然痘を接種しても感染しなかった。この実験は、学会には認められなかったが、ジェンナーは貧しい人たちに無料で種痘の接種を行い、次第に認められるようになった。

天然痘による死亡者は劇的に減少し、1979(昭和54)年10月末に世界保健機構(WHO)によって根絶が確認された。

○温度計の日

水銀温度計を発明し、華氏温度目盛り(°F)に名前を残すドイツの物理学者ファーレンハイトの、1686年の誕生日。

なお、この日附はユリウス暦によるものであるが、ファーレンハイトの生地ダンツィヒ(グダニスク)では既にグレゴリオ暦に改暦しており、それによれば5月24日となる。

華氏温度は、塩化アンモニウムを寒剤として得られる当時人間が作り出せた最低温度を0度、人間の平均体温を96度とし、その間を等分して得られる。この温度目盛りによると、水が凍る温度は32度、沸騰する温度は212度となる。ファーレンハイトが1724年に発表し、現在では主にアメリカ・カナダ・イギリスで用いられている。

中国では、ファーレンハイトに華倫海の字を当てたことから、「華氏」と呼ばれるようになった。

■温度
温度は熱エネルギーの状態を数値化したものです。

▽イエローデー [韓国]

4月14日の「ブラックデー」を過ぎても恋人ができなかった男性は、この日に黄色い服を着てカレーライスを食べないと恋人ができないと言われている。
関聯記念日 •ブラックデー <4月14日>

▽ローズデー [韓国]

2月14日のバレンタインデー、3月14日のホワイトデー、4月14日のブラックデーを経て、この日までにカップルになった男女が、この時期に満開となる薔薇を贈りあう日。

誕生花
苧環[おだまき] Columbine花言葉:勝利の誓い
アキレア(鋸草[のこぎりそう]) Yarrow花言葉:戦い
芍薬[しゃくやく] Chinese peony花言葉:はにかみ

★種痘(しゅとう)とは、天然痘の予防接種のことである。ワクチンをY字型の器具(二又針)に付着させて人の上腕部に刺し、円形の傷を付けて皮下に接種する。現在天然痘ウイルスは自然界に存在しないものとされているため、1976年を境に日本では行われていない。

ワクチン
古くから西アジアや中国では、天然痘患者の膿を健康人に接種して軽度の天然痘を起こさせて免疫を得る人痘法が行なわれていたが、安全性は充分でなかった。1796年にイギリスの医師エドワード・ジェンナーが、ウシが感染する牛痘の膿を用いた安全な牛痘法を考案し、これが世界中に広まり、天然痘の流行の抑制に効果が大きかった。

ワクチンという言葉もこの時用いられたものである。その後、さらに優れたワクチンとして、天然痘ウイルスをウサギの睾丸を通して弱毒化した後に牛に接種して作った牛化人痘ワクチンが開発され、広く用いられた。

日本への伝来と普及
日本では秋月藩の藩医だった緒方春朔が1790年に種痘を行っているが、これはジェンナーが考案した牛痘を用いる方法ではなく、天然痘の瘡蓋(かさぶた)の粉末を接種する方法を緒方自身によって改良を加えたものだった。

1810年にはロシアに拉致された中川五郎治が、帰国後に牛痘を用いた種痘法を実践。1814年には安芸国の漂流民・久蔵が種痘法を覚え、牛痘を日本に持ち帰って効果を広島藩主に進言しているが一笑され実現化に至らなかった。

その後、1849年には佐賀藩の医師・楢林宗健と長崎のオランダ人医師オットー・モーニッケが種痘を実施し、ようやく日本全国に種痘が普及し始める。

同年には日野鼎哉が京都に、緒方洪庵が大坂に、「除痘館」という種痘所をそれぞれ開いている。江戸ではやや遅れた1858年に伊東玄朴・箕作阮甫・林洞海・戸塚静海・石井宗謙・大槻俊斎・杉田玄端・手塚良仙ら蘭方医83名の資金拠出により、神田松枝町(現・東京都千代田区神田岩本町2丁目)の川路聖謨の屋敷内に「お玉が池種痘所」が設立された(東京大学の前身)。

日本では種痘は1909年の「種痘法」によって国民に定着。

種痘法(明治42年法律35号)は全文20条で、その規定内容は、定期種痘および臨時種痘の実施、市町村の定期種痘の実施義務、種痘を受けるべき者の保護者の義務、医師の種痘証、痘瘡経過証、違反者に対する罰則である。

なお関係法規として、種痘法施行規則(明治42年内務省令26号)、種痘施術心得(明治42年内務省告示179号)、種痘法第八条ニ依ル符号記入方(明治42年司法省令22号)、伝染病研究所痘苗、血清等販売規程(大正4年文部省令13号)、痘苗及血清其他細菌学的予防治療品製造取締規則(明治36年内務省令5号)があり、植民地においては特別法規が実施された。

天然痘の撲滅が確認された1976年以降、日本では基本的に接種は行われていない。

種痘後脳炎
種痘は天然痘の撲滅に貢献した。だが、種痘後に脳炎を起こす事例が頻発し、「種痘後脳炎」と呼ばれるようになった。1940年代後半には医師の間では広く知られるようになっており、その被害規模は無視できない数にのぼり、1947年と1948年の強力痘苗だけに限定しても、犠牲者はおよそ600人と推計されており、天然痘のこの2年間の患者数405人を超えてしまっていた。医原病である。

さらに犠牲者のほとんどは乳幼児であり、子供を失ったり、脳の正常な機能は失われてしまい障害者となってしまった子供をかかえた被害者は、接種を強制した日本の行政から何ら援助も保障も提供されなかった。

1970年に、北海道小樽市の種痘後遺症被害者が日本の行政機関を相手取り、損害賠償の訴訟を起こした。

同時期に立ち上がった「全国予防接種事故防止推進会」の精力的な活動も幸いして、「種痘禍」は報道機関でも取り上げられ、その実態が国民に広く知られるようになった。1972年の夏ごろに種痘接種は全国的に中止され、同時に個別接種方式の導入と接種年齢見直しが図られた。

現在の種痘接種
天然痘が撲滅されたことから一般には行われていないが、生物兵器の対策として、現在も海外派遣される軍隊(自衛隊含む)に対しては集団接種が行われることがある。
なお、免疫力の低下した人やアトピー性皮膚炎の既往がある場合は天然痘様の症状を起こすことがあるため接種は禁忌であり、また接種後しばらくは外部に接触しないように留意する必要がある。


★エドワード・ジェンナー(Edward Jenner、1749年5月17日 - 1823年1月26日)は、イギリスの医学者。種痘法を開発した近代免疫学の父。

経歴

元々はジョン・ハンターのもとで医学の教えを受けた田舎の開業医だった。

この時代、イギリスでは天然痘はしばしば流行していた。これに対する予防法としては18世紀初頭に、天然痘患者の膿疱から抽出した液を健康な人間に接種するという人痘法がアラブ世界からもたらされたが、この予防法では接種を受けた者の2パーセントは重症化して死亡するなど、危険を伴うものであった。

ジェンナーが医師として活動していた頃には、牛の乳搾りなどをして牛と接することによって自然に牛痘にかかった人間は、その後天然痘にかからないという農民の言い伝えがあった[1] 。天然痘に比べると、牛痘ははるかに安全な病気であった。

ジェンナーはこれが天然痘の予防に使えないかと、1778年から18年にわたって研究を続け、1796年5月14日、ジェンナーの使用人の子であるジェームズ・フィップス(w:James Phipps)という8歳の少年に牛痘を接種した。少年は若干の発熱と不快感を訴えたがその程度にとどまり、深刻な症状はなかった。6週間後にジェンナーは少年に天然痘を接種したが少年は天然痘にはかからず、牛痘による天然痘予防法が成功した。

一部の伝記や偉人伝等では「自分の息子に試した」「フィップスはジェンナーの実の息子」と記述されている場合があるが、自分の息子に試したのは、この牛痘接種の7年前の天然痘接種であり、混同して言い伝えられているものである。

1798年、これを発表し、その後、種痘法はヨーロッパ中にひろまり1802年、イギリス議会より賞金が贈られたが医学界はこの名誉をなかなか認めなかった。また一部の町村では、牛痘を接種すると牛になると言われて苦労したが、接種を「神の乗った牛の聖なる液」と説明したと言われる。

しかしその後の天然痘の大流行を機にジェンナーの種痘法は急速に普及し、彼は「近代免疫学の父」と呼ばれるようになった。その後天然痘ワクチンは改良されて世界で使われ、1980年には天然痘の根絶が宣言された。

鳥の習性にも造詣が深く、カッコウの托卵や鳥の渡りを研究した事でも知られている。

著書邦訳
『牛痘の原因及び作用に関する研究-種痘法の発見』長野泰一,佐伯潔訳編 大日本出版 科学古典叢書 1944
『牛痘についてのその後の観察』添川正夫訳 近代出版 1981
『牛痘の原因および作用に関する研究』梅田敏郎訳 講談社 1983

伝記など
『ジェンナー 種痘の父』平野威馬雄 ポプラ社 偉人伝文庫 1951
『少年少女世界伝記全集 4(イギリス編) ジェンナー 真鍋呉夫著 講談社 1961
『ジェンナー(善那先生)の頌徳碑』朝枝善照 永田文昌堂 1991
『おもしろ科学史ライブラリー 9 <人体・医学>伝染病とたたかう 「ジェンナー」「パスツール」千葉省三 あかね書房 1994
『ジェンナーの贈り物 天然痘から人類を守った人』加藤四郎 菜根出版 1997