風に吹かれて旅するブログ

日々のニュースや出来事・暦・記念日・季節祭事・時事・情報・雑感等を風に吹かれながらまったりとお知らせしています。

スポンサーリンク

澤穂希のゴールでニュージーランドに勝利「苦しい時は私の背中を見て」 だから云ったじゃないの♪~

◆ なでしこジャパンは前半24分、1年ぶりに代表復帰した澤穂希(36)=INAC神戸=が先制点を挙げNZに勝利。

MS&ADなでしこカップ2015 日本―ニュージーランド(24日・丸亀競技場)

 前半24分、左CKで宮間あや(30)=岡山湯郷=がエリア中央へあげると、走り込んだ澤が右足で合わせゴール。3年ぶりの国内での代表戦ゴールを決めた。

「苦しい時は私の背中を見て」

大黒柱が決めた! なでしこジャパン、澤のゴールでNZに勝利


【なでしこジャパン1-0ニュージーランド 国際親善試合】

  MS&ADなでしこカップ2015が24日に行われ、なでしこジャパンはニュージーランド代表と対戦した。

  なでしこジャパンは岩清水梓、熊谷紗希、宮間あや、大儀見優季ら不可欠な存在がスタメンに名を連ねた。また大黒柱の澤穂希もスタートからの出場となった。

  11分、ニュージーランドに最初のシュートを打たれるも、山根恵里奈が正面でセーブする。

  ニュージーランドのプレスに引っかかる場面が多いなでしこジャパン。阪口夢穂がいないため、ボランチのところで起点が作れない。

  そんな中で迎えた23分、なでしこジャパンが先制する。宮間あやからの左CKに走り込み、澤が右足で合わせてネットを揺らした。1年ぶりの代表復帰を果たした背番号10が期待に応えた。

  その後も宮間あやが精度の高いキックでチャンスを演出するも、追加点は奪えない。44分には、宮間あやのパスから大儀見が遠目から狙うも枠を外れた。

  1点リードのなでしこジャパンは、後半開始から川澄奈穂美に代えて大野忍を投入する。

  48分、熊谷がエリア内でファウルを冒し、ニュージーランドにPKを献上。しかし、ウィルキンソンがこれを外し、なでしこジャパンは事なきを得た。58分には相手のベッドを岩清水がクリアして見せた。

  なでしこジャパンは63分、安藤梢に代えて菅澤優衣香、67分には川村優理に代えて宇津木瑠美を投入する。

 終盤には宇津木をアンカーに据える4-1-4-1も試したが、不用意なミスが目立った。それでも前半の澤のゴールが決勝点となり、なでしこジャパンがニュージーランドを1-0で下した。

 【得点者】
23分 1-0 澤穂希(なでしこジャパン)


だから云ったじゃないの♪~「澤を出せ~」

 

だから云ったじゃないの

だから云ったじゃないの

 

 

沢の居ないなでしこはアルガルベ杯は屈辱の9位。

カナダで行われる女子W杯に臨む23名のメンバーを発表した時に

佐々木監督に「澤の力が必要」 と言わしめ

沢はようやく2014年5月に開催されたアジアカップ以来となる代表復帰を果たした。

そして澤のゴールでMS&ADなでしこカップNZに勝利。

今のなでしこでは沢がいなくて外国勢と戦えるわけがない。

 

ウィルキンソンがPKを外したのはジェフユナイテッド市原・千葉レディース所属のGK山根恵里奈の威圧感もあるが澤穂希の陰なるアシストのせいもある。


澤穂希はただ単になでしこの一選手ではない。

他の選手の心の支えなのである。

再三再四私がネットで「澤を出せ~」と叫んでいたことがようやく実った試合だった。

ただカナダのW杯でのなでしこの優勝はかなり厳しいものとなる。

 

他国のチームが打倒なでしこをかかげ相当研究してきてかなりレベルが上がっている。

 

今後のなでしこに期待したいものである。

 

★澤穂希(さわ ほまれ サワホマレ SAWA Homare)


愛称
ホマ、ほーさん


サワ ホマレ


SAWA Homare

基本情報


国籍日本

生年月日
1978年9月6日(36歳)

出身地
東京都府中市

身長
164cm

体重
55kg

選手情報


在籍チーム
日本の旗 INAC神戸レオネッサ

ポジション
MF(OH, CH)

背番号
8

利き足
両足
 



クラブ 出場 (得点)

1991-1998
 読売SCベレーザ
/読売JSCベレーザ/読売西友ベレーザ
/読売ベレーザ 136 (79)

1999-2000
 C・D・ダイヤモンズ  

アトランタ・ビート 55 (13)

2004-2008
 日テレ・ベレーザ 85 (47)

2009-2010
 ワシントン・フリーダム 41 (6)

2009-2010
 日テレ・ベレーザ 4 (2)

2011-
 INAC神戸レオネッサ 75 (10)

代表歴2


1993-
 日本 197 (82)

 

 
獲得メダル 
 
 
澤 穂希(さわ ほまれ、1978年9月6日 - )は、東京都府中市出身の女子サッカー選手。日本女子サッカーリーグ・INAC神戸レオネッサ所属。ポジションはミッドフィールダー。主にセンターハーフを務めることが多い。

アジア人史上初の「FIFA最優秀選手賞」受賞者で、日本女子代表では歴代トップの出場数とゴール数を記録している。


経歴・人物

東京都立南野高等学校(現:東京都立若葉総合高等学校)を経て帝京大学文学部中退。左利き。

日本代表になるまで

小学2年のとき、東京府中市にある「符ロクサッカークラブ」に兄とともに入団を希望する。女の子ということで入団を渋られるが、母の努力により仮入団となる。その後、地元の「狛江杯」で、コーチの勧めにより試合に出場。いきなりゴールを決め、地元紙のニュースに取り上げられ、以後、正式に入団となる。また、チームメイトも澤を女の子として扱わなくなったと言う。このころは練習も遊びも歳上の男子ばかりであり、それが女子としては突出したキック力やスキルが身に付いた理由だと本人が述べている。

 

中学に入学すると同時に、当時の日本代表が多く所属する強豪チーム、読売サッカークラブ女子・ベレーザに入団する。通常,中学生は下部組織のメニーナで実力をつけてから昇格するが、当時の監督であった竹本一彦の判断で、最初からトップチームに引き上げられる。本人は、「同じようにプレーできなかったことが悔しくて」と述べているが、そのため一人で毎日居残り練習を行い、結果として大きく実力が磨かれる。中学一年の夏、Lリーグ(現在はなでしこリーグ)に出場、3試合目に初ゴールを決める。このあと日本代表に選出された。

 

2011FIFA女子ワールドカップ優勝まで

1993年、15歳で日本女子代表に招集されて初出場を果たしデビュー戦で4得点を挙げる。その年のリーグベストイレブンに初めて選ばれその後も度々選出され、リーグを代表する選手となる。

 

1990年代末は、Lリーグに所属する企業が次々と女子サッカー部の廃部を決める。サッカーができなくなることを危ぶみ、1999年に大学を中退、米国に渡る決意をする。 1999年にコロラド・デンバー・ダイアモンズに所属。2000年にアトランタ・ビートに移籍する。このとき、米国選手とのスピード、パワーの差に驚くが、同時に自分自身の技術で、生きていく道が見えたと述べている。米国でも高い技術で実力を発揮し、「クイック・サワ」との異名を取る。

 

また、米国滞在中、結婚を考えたが、2003年9月アメリカ女子プロリーグ休止にともない、帰国する道を決断する。

 

2004年にL・リーグに「ノンアマ(プロ契約)選手」として復帰。同年、アジア年間最優秀選手賞を受賞。その後も日本国外のチームからのオファーを受けるが、なでしこジャパンの選手としてベレーザでのプレーを続け、チームの優勝にも貢献。

 

2006年、2008年にはなでしこリーグMVPにも選ばれる。なお、2004年7月に、サッカー日本女子代表の愛称が「なでしこジャパン」に決定し、記者会見を行った際、発表用に「なでしこジャパン」と毛筆で記したのは澤だった。

 

主にトップ下で司令塔としての役割を果たしていたが、2007年に女子代表の監督に佐々木則夫が就任して以降は、ボール奪取能力の高さや展開力、予測に長けている事を評価されセンターハーフにコンバートされ、女子代表の攻守の要となった。

 

2008年オフ、2009年開幕予定であったWPSからドラフト指名を受け、2009年1月にワシントン・フリーダムへ移籍した。ワシントンでは20試合に出場し、3得点を挙げた。同年8月、古巣の日テレに一時的に復帰することになった。

2011年、経営難の日テレからプロ契約の打ち切りを宣告され、1月5日大野忍、近賀ゆかり、南山千明とともにINAC神戸レオネッサへ移籍した。

 

移籍後には「サッカーに専念出来るINACに来てから凄くコンディションがいい。」と語るなど、満を持して迎えた2011 FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会ではキャプテンとして出場。グループリーグ・メキシコ戦でのハットトリック(1得点目は決勝点)、準々決勝ドイツ戦での決勝点のアシスト、準決勝スウェーデン戦での決勝点、決勝アメリカ戦での延長後半12分の同点ゴールの計5ゴール1アシストを記録し、日本サッカー史上初のW杯優勝に大きく貢献、自身も日本人初となるW杯での得点王とMVPの二冠を達成した。

 

世界ランク一位のアメリカを決勝で下した試合によって、日本だけでなく,世界中のメディアが、ナデシコジャパンを賞賛する。英国のザ・タイムズ紙は、「鉄の意志のチーム」と表現する。ニューヨークタイムズ紙は「復興への希望の上に築かれた勝利で、大震災で打撃を受けた国を盛り上げた」と賞賛している。

 

また、アメリカチームを率いたスンダーゲ監督は、「私たちは今日、観客にいい試合を見せられた。PKにまで及んだこの決勝戦を、ずっと覚えていただけるのではないか」とコメントした。

尚、メキシコ戦でのハットトリックは自身の国際Aマッチでの記録としては2001年12月4日のシンガポール戦以来およそ10年ぶりのハットトリックであった。

2011FIFA女子ワールドカップ優勝以降

2012年1月9日、2011年度のFIFA年間表彰式にて男女を通じてアジア人では史上初となる「FIFA最優秀選手賞」を受賞した。

同月、全国のサッカー担当記者の投票によって選出される日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)を、長友佑都や香川真司らを抑え、女子選手としては初めて受賞した。

3月、ポルトガルで開催されたアルガルヴェ・カップ2012での遠征中に体調不良を訴え、帰国後検査を受け、「良性発作性頭位めまい症」と診断された。以降、日韓女子リーグチャンピオンシップやキリンチャレンジカップを欠場し、4月22日のなでしこリーグ第2節福岡J・アンクラス戦で実戦復帰を果たした。

病のことを聞きつけたアメリカ代表のエース・ストライカーで在米時代の元チームメイト、アビー・ワンバックは、まだウォーキングしかできない澤をキャンプ地の鹿児島まで訪れ、「絶対に克服できる。また五輪で戦おう。でも次はやられないよ」と激励し、感激で号泣した澤は、復活への勇気を得た。

2012年8月のロンドンオリンピックでは、決勝戦でアメリカに敗れるも、自身4度目のオリンピック出場で日本女子代表の史上初のメダル(銀メダル)獲得に貢献した。

2014年11月21日、AFC初代殿堂入りを果たした。

2015FIFA女子ワールドカップ

2014年5月に開催されたアジアカップ以後、代表から外されていたが選出された。澤6度目のワールド・カップであり男女を通して世界史上最多出場選手となる。

佐々木監督は選考の理由として「(リーグで)誰よりも体を張って戦っており現在のパフォーマンスは問題ない。澤のプレーは小手先でなく90分集中して戦っている。なでしこの姿勢そのものであり(選手の)模範である」ことをあげた。

語録
「苦しい時は私の背中を見て」… 北京オリンピック、三位決定戦であるドイツ戦に臨む直前のミーティングで。
「夢は見るものでなく、叶えるもの」… 座右の銘として度々、発言。

競技歴
小学生時に安満サッカークラブに入団。のち府ロクサッカー少年団に所属。なお府ロクサッカー少年団では澤の2年後輩に、中村憲剛(現川崎フロンターレ)が居た。
1991年 読売クラブ女子・メニーナ入団。1か月後にベレーザへ昇格
7月7日 フジタ天台SCマーキュリー戦で日本女子サッカーリーグデビュー
7月28日 新光精工FCクレール戦で初得点

1993年12月6日 第9回アジア女子選手権(マレーシア)・フィリピン戦で代表デビューし4得点を記録
1996年 アトランタオリンピック女子サッカー競技に出場
1999年 帝京大学を中退し、アメリカWリーグのデンバー・ダイアモンズ (Denver Diamonds) に移籍
2000年 アメリカ女子サッカーリーグ (WUSA)、アトランタ・ビート (Atlanta Beat) に移籍
2004年 WUSA休止によりアメリカから帰国し日テレ・ベレーザに再入団
怪我をおしてアテネオリンピック女子サッカー競技の予選に出場、最多得点を記録
アテネオリンピック本選ではなでしこジャパンの一員として全試合フル出場を果たす

2005年 5月21日 キリンチャレンジカップ2005・ニュージーランド戦で女子代表最多となる通算52ゴール目を記録
7月11日 スペランツァF.C.高槻戦でL・リーグ通算得点ランクトップとなる105ゴール目を記録

2006年2月18日 キリンチャレンジカップ2006・ロシア戦で国際Aマッチ100試合出場を達成
2011年7月1日 FIFA女子ワールドカップ・メキシコ戦で通算76ゴール目を記録。釜本邦茂を超え、男女を通じての代表最多得点記録保持者となった[15]。また、この試合では自身としても男女通じてとしても初の「ワールドカップ」でのハットトリックを達成。このハットトリックは1999年にブラジルのシシーがメキシコ戦で達成した女子ワールドカップでの最年長記録である「32歳と17日」を「281日」更新して「32歳と298日」でのハットトリックとなった。
2011年7月17日、 FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会決勝戦のアメリカ戦にて、延長後半12分にゴールを決め、代表通算80点目を記録


個人
FIFA最優秀選手賞:1回 (2011)
2011 FIFA女子ワールドカップ:大会最優秀選手、得点王、オールスターチーム(優秀選手)
アルガルヴェ・カップ 大会最優秀選手:1回 (2011)
アジア年間最優秀選手賞:2回 (2004, 2008)
AFC女子アジアカップ 大会最優秀選手:1回 (2008)
東アジアカップ 大会最優秀選手:2回 (2008, 2010)
日本年間最優秀選手賞:1回 (2011)
日本女子サッカーリーグ最優秀選手賞:2回 (2006, 2008)
日本女子サッカーリーグベストイレブン:11回 (1993, 1995, 1996, 1997, 1998, 2005, 2006, 2007, 2008, 2011, 2012)
日本女子サッカーリーグ最多アシスト:1回 (1998)
日本女子サッカーリーグ敢闘賞:2回 (1991, 1992)

表彰
栄誉賞 東京都栄誉賞 (2011年)
都民スポーツ大賞 (2011年)
府中市市民栄誉賞 (2011年、第1号)
国民栄誉賞 (2011年、代表メンバーの一員として)

その他 第59回菊池寛賞 (2011年)


代表歴

出場大会
日本代表 1993年 - 1993 AFC女子選手権 (3位)
1994年 - 1994年アジア競技大会 (準優勝)
1995年 - 1995 FIFA女子ワールドカップ (ベスト8)
1995年 - 1995 AFC女子選手権 (準優勝)
1996年 - アトランタオリンピック (グループリーグ敗退)
1997年 - 1997 AFC女子選手権 (3位)
1998年 - 1998年アジア競技大会 (3位)
1999年 - 1999 FIFA女子ワールドカップ (グループリーグ敗退)
2001年 - 2001 AFC女子選手権 (準優勝)
2002年 - 2002年アジア競技大会 (3位)
2003年 - 2003 AFC女子選手権 (4位)
2003年 - 2003 FIFA女子ワールドカップ (グループリーグ敗退)
2004年 - アテネオリンピック (ベスト8)
2006年 - 2006 AFC女子アジアカップ (4位)
2006年 - 2006年アジア競技大会 (準優勝)
2007年 - 2007 FIFA女子ワールドカップ (グループリーグ敗退)
2008年 - 2008 AFC女子アジアカップ (3位)
2008年 - 北京オリンピック (4位)
2010年 - 2010 AFC女子アジアカップ (3位)
2010年 - 2010年アジア競技大会 (優勝)
2011年 - 2011 FIFA女子ワールドカップ (優勝)
2012年 - ロンドンオリンピック (準優勝)
2014年 - 2014 AFC女子アジアカップ (優勝)