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春夏秋冬、風に吹かれて無常の世を漂い、旅するさすらいの日々

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5月26日は東名高速道路全通記念日ですが宮城県沖地震の日であり、ジョン・ウェインの誕生日

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5月26日は東名高速道路全通記念日ですが宮城県沖地震の日であり、ジョン・ウェインの誕生日


5月26日は東名高速道路全通記念日、ラッキーゾーンの日、ル・マンの日などの記念日です。

○東名高速道路全通記念日

1969年のこの日、大井松田IC~御殿場ICが開通し、東京から愛知県小牧市まで346kmにおよぶ東名高速道路が全線開通した。

小牧ICで、4年前に完成していた名神自動車道と接続し、関東・中京・関西を結ぶ日本の大動脈となった。

○ラッキーゾーンの日

1947年のこの日、甲子園球場にラッキーゾーンが設置された。

広すぎてホームランが出にくいとの理由で設置されたが、1992年に撤去された。


○ル・マンの日

1923年のこの日、自動車耐久レースの最高峰、ル・マン24時間耐久レースの第1回大会が、フランス北西部の町ル・マンで開催された。

○県民防災の日 [秋田県]

1983年のこの日、秋田県沖で日本海中部地震が発生した。


誕生花
オリーブ Olive花言葉:平和
カーネーション Carnation花言葉:哀れな我が心よ
ゼラニウム(天竺葵[てんじくあおい]) Fosh geranium花言葉:尊敬と信頼,愛情


■5月26日はジョン・ウェインの誕生日


ジョン・ウェイン(John Wayne,1907年5月26日 - 1979年6月11日)は、アメリカの俳優、映画プロデューサー、映画監督。「デューク」(Duke)の愛称で呼ばれた。本名はマリオン・ロバート・モリソン(Marion Robert Morrison)。


本名Marion Robert Morrison

生年月日1907年5月26日

没年月日1979年6月11日(満72歳没)

 

国籍アメリカ合衆国

職業俳優

配偶者
ジョゼフィン・アリシア・シーンズ (1933–1945)
エスペランザ・バウアー (1946–1953)
パイラー・パレット (1954–1979)
 
受賞
アカデミー賞

アカデミー主演男優賞
1969年『勇気ある追跡』

ゴールデングローブ賞

主演男優賞 (ドラマ部門)
1969年『勇気ある追跡』
 
来歴
●生い立ち
ジョン・ウェインはアイオワ州ウィンターセットで生まれ、マリオン・ロバート・モリソンと命名された。実家は薬屋で、薬剤師の息子でもある。しかし両親が彼の弟をロバートと名付けることを決め、マリオン・マイケル・モリソンと名付けられた。

 

一家は1911年にカリフォルニア州グレンデールに転居したが、ウェインはどこへ行くにもエアデール・テリアの「リトル・デューク」を連れていたため、隣人が「ビッグ・デューク」と呼び始めた。以後ずっとウェインは愛称「デューク」を本名の「マリオン」より好んでいたという。

 

高校卒業後海軍兵学校へ出願するが入校できず、南カリフォルニア大学に入学した。そこで彼は伝説のコーチ、ハワード・ジョーンズの下、フットボールに取り組んだ。しかし水泳中に負った怪我が元で競技生命が絶たれてしまう。彼は怪我の原因が明らかになった時のジョーンズの反応を恐れたと後に記している。

 

●ハリウッド時代
大学在学中、ウェインは田舎の映画スタジオで働き始めた。西部劇のスター、トム・ミックスはフットボールのチケットと交換に夏の間、大道具係の仕事を彼に世話してやった。ウェインは大道具係から1928年には映画の端役に選ばれ、1930年、ウェインの最初のクレジット入り映画であるラオール・ウォルシュ監督の超大作『ビッグ・トレイル』に主役として抜擢された。

 

ウオルシュがアメリカ独立戦争での将軍、"マッド・アンソニー"・ウェインから取った「ジョン・ウェイン」の芸名を彼に与えた。当初はそのままアンソニー・ウェインの芸名を与える予定だったが、「イタリア風に聞こえる」という指摘があったために名をアメリカ風の「ジョン」と改めたのである。

 

『ビッグ・トレイル』は商業的に失敗し、ウェインは『駅馬車』がヒットするまでの間、B級活劇専門俳優として長い不遇の時代を過ごした。しかしその間に、射撃、乗馬、格闘技を修得。不遇期間に主演したなかには『歌うカウボーイ、シンギング・サンディシリーズ』などというものもあり、馬にのりながら歌うシーンが残っている。


『ジョン・フォード監督生誕120年!「駅馬車」「静かなる男」デジタル・リマスター版上映』オリジナル ...

 

●ジョン・フォードとの出会い
1939年、端役時代から友情を固めていたジョン・フォード監督の大ヒット作『駅馬車』に主演。

 

 

やがてウェインはヘンリー・フォンダと並んでフォード作品の看板役者となる。その後も多くの作品を生み出し、幾つかはウェインの代表作となった。続く35年間で『アパッチ砦』、『黄色いリボン』、『リオ・グランデの砦』、『静かなる男』、『捜索者』、『荒鷲の翼』、『リバティ・バランスを射った男』と言ったフォードの映画20作以上に出演した。

 

ウェインは多くの戦争映画に出演し「アメリカの英雄」として賞賛されたが、現実には兵役には就かなかった。1940年に徴兵が復活し、1945年に第二次世界大戦が終了するまでウェインはハリウッドに残って21作の映画に出演した。1941年の真珠湾攻撃当時、彼は34歳で徴兵の該当年齢であったが、家族依存の理由で3-Aに分類され徴兵猶予を申請し受理された。これには国中の興味が集まり、後に2-Aに変更された。

 

ウェインは西部劇や戦争映画に、俳優としての信念を賭けていたため、強く英雄的な役割を多く演じ、逞しく深みのあるヒーロー像を築いていった。生涯出演した154本もの映画のうち、79本は西部劇であった。
その一方でコメディ映画やNBCのコメディ『ラフ・イン』にピンクのウサギの着ぐるみで出演するなどユーモアの感覚も持ち合わせていた。

 

●スターの座を獲得
1948年のハワード・ホークス監督『赤い河』の大ヒットにより、翌年初めてボックス・オフィス・スターの4位にランクインし、名実共にスターの座を獲得。以後20年以上、ベスト10の座を守り続けた。

 

一方で自他ともに認める愛国主義者である彼は、リベラル思考の観客からは典型的タカ派俳優として非難の対象ともなり、特にベトナム戦争が泥沼化した一時期には人気を落としたが、それに対抗するように製作・監督・主演兼任で映画『グリーン・ベレー』を完成させ、ベトナムで特殊作戦に従事するアメリカ兵を描いた。

 

多くの作品に出演したウェインは『硫黄島の砂』で主演男優賞、監督した『アラモ』で最優秀作品賞と2度のアカデミー賞ノミネートを受けていた。だが、そんな中ウェインは1964年に肺癌を宣告され、片肺を失うも闘病を宣言して俳優活動を続けていった。そして1969年の『勇気ある追跡』で粗野で酒飲みな隻眼の保安官を演じ、ようやく最優秀主演男優賞を受賞した。念願のオスカーを手にしたウェインは人気を取り戻し、以後遺作となった『ラスト・シューティスト』まで精力的に活躍した。

また、俳優時代には俳優組合長も務めていた。

 

●死去
ウェインは胃癌の悪化で1979年5月1日よりカリフォルニア州ニューポートビーチのカリフォルニア大学ロサンゼルス校医療センターに入院し治療を続けていたが、72歳の誕生日を迎えて17日目の6月11日午後5時35分(日本時間12日午前9時35分)に死去した。ウェインの遺体はカリフォルニア州オレンジ郡のコロナ・デル・マールにあるパシフィック・ビュー・メモリアル・パーク墓地に埋葬された。

 

日本でも、毎日新聞に『ミスター・アメリカ死す』を始め、大きな見出しで出された。アメリカ各地で半旗が掲げられた。

 

入院期間中の6月5日には当時アメリカ大統領だったジミー・カーターがウェインの見舞いに訪れた。現職の大統領が映画俳優を見舞うのは異例のことであった。

 

ウェインの死因である癌の原因の一つとして、ネバダ核実験場の100マイル風下で『征服者』の撮影が行われたことを挙げる者もある。

葬儀に際し、次期アメリカ大統領となったロナルド・レーガン(ハリウッド俳優出身)は、「実生活でも卓越した巨人だった。体躯、態度、信念に不屈の強さを感じた。思いやりのある誠実な人柄は、利己的なハリウッドではめったにお目にかかれぬ存在だ」と語った。

 

●私生活
ウェインはジョゼフィン・アリシア・シーンズ、エスペランザ・バウアー、パイラー・パレットと3回結婚した。ウェインにはジョゼフィンとの間に4人、パイラーとの間に3人の子供がいた。最も有名なのは俳優のパトリック・ウェインである。ウェインの子供のうち1人を除いて全員が映画俳優となった。

 

大変な酒豪であり「船を浮かべるほど、日にリットル単位」で飲んでいたが、アルコールが入った状態で仕事をした事は一度もなかった。

 

ジョン・ウェインは明るく楽しい俳優でした。

美人女優 モーリン・オハラとの競演が印象的でした。

★ モーリン・オハラ(Maureen O'Hara、1920年8月17日 - )はアイルランドのダブリン出身の女優。

 

 

■5月26日の出来事

2003年5月26日宮城県沖地震

宮城県沖地震(みやぎけんおきじしん)は、2003年5月26日18時24分に発生した宮城県沖を震源とする地震。

概説

本震は宮城県気仙沼沖の深さ72kmを震源として発生した。

岩手県大船渡市、江刺市(現:奥州市)、衣川村(同)、平泉町、室根村(現:一関市)、宮城県の石巻市、涌谷町、栗駒町(現:栗原市)、高清水町(同)、金成町(同)、桃生町(現:石巻市)で震度6弱を観測した。マグニチュード3から5、最大震度4に達する余震が続いた。

地震の名称は「宮城県沖地震」のほか、「三陸南地震」、「東北地震」、「東北地方地震」もしくは「宮城県北部沖地震」などと呼ばれている。

太平洋プレートの内部で、南北約30から40kmが上下20kmにわたってひび割れ、縦方向に約2mずれたとみられる(独立行政法人防災科学技術研究所)。震源の深さや発震機構が異なるため、地震調査研究推進本部は地震調査委員会で想定している宮城県沖地震とは異なるとしている。

この地震は被害が少なかった。ただ、北海道・東北地方・関東地方など、広い範囲で揺れを感じた。

被害
死亡者なし。負傷者は重傷11人を含む104人。仙台市内で火災あり。
水沢江刺〜盛岡間の23箇所で東北新幹線の橋梁の橋脚の外壁が剥げ、鉄骨がむき出しになった。

震源地のほぼ真上の気仙沼でがけ崩れ。築館町(現:栗原市)では、沢筋を盛り土造成した農地で平均勾配10゜という緩斜面で有りながら地すべりが発生。

震度4を観測した山形市飯田西では電線破断により停電が発生。震度5強を観測した中山町では国道112号の橋梁の舗装部分が一部隆起したほか、震度5弱を観測した村山市楯岡の市道でも隆起が確認された。

地震発生の経緯
5月26日 午後6時24分 - 地震発生
東北新幹線や在来線の一部が運転を見合わせる。東北新幹線水沢江刺-盛岡間の高架橋橋脚が23本損傷、仙山線の仙山トンネルでは壁の剥離が数カ所はがれているのが確認され見合わせが長引いた。

仙台近郊では、一般電話は不通であったが携帯電話は使用可能で、インターネットへのモバイルでの接続が可能だった(地震直後)。 一部IP電話、ADSLなどのインターネット回線も、一時不通となった。


5月27日 午後6時 - 東北新幹線が全面復旧。宮城県内の在来線でも午前中までダイヤの乱れが続いた。