風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

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7月9日~7月10日まで浅草ほおずき市が開催 4万6千日分(約126年分)の御利益あり

7月9日はジェットコースターの日、毎月9日はクジラの日、パソコン検定の日、等の記念日ですが浅草ほおずき市が7月9日~7月10日まで開催されます。


○ジェットコースターの日

1955年のこの日開園した後楽園遊園地に日本初の本格的なジェットコースターが設置された。


▽独立宣言の日 [アルゼンチン]

1816年のこの日、アルゼンチンがスペインから独立した。

▽憲法記念日 [パラオ]

1980年のこの日、アメリカ信託統治下のパラオで住民投票により憲法が採択された。

※鴎外忌

小説家・森鴎外[もりおうがい]の1922年の忌日。

 

毎月9日

○クジラの日

○パソコン検定の日

○クレープの日

 

●歴史
1575年 - 長篠の戦い。
1854年江戸幕府が日章旗を日本国惣船印とすることを決定。(新暦8月2日)
1917年東京YMCAに日本初の室内温水プールが開場。
1958年 - アラスカ州のリツヤ湾で高さ500メートルの観測史上最大の津波を観測。(リツヤ湾大津波)
1982年キヤノンが世界初の完全自動化カメラ「スナッピィ50」を発売。
1985年 - 徳島ラジオ商殺し事件で、日本の刑事事件初の死後再審により徳島地裁が無罪判決。
1994年山梨サリン事件。上九一色村のオウム真理教の施設近くの住民から「悪臭がする」と警察に届け出。後に一帯の土壌などからサリン生成の残留物質が検出される。

●年中行事
○ほおずき市( 日本 浅草寺)
四万六千日(7月9・10日) - この日に参詣すると4万6,000日分のご利益があるとされるほおずき市が行われる。

 

●誕生花
アイビーゼラニウム Ivyleaved Geranium花言葉:真実の愛情
鬼灯[ほおずき] Ground cherry花言葉:欺瞞
リアトリス(瑠璃薊[るりあざみ]) Blazing star花言葉:燃える思い


●誕生日
1908年朝比奈隆[あさひな・たかし] (指揮者)1994年文化勲章[2001年12月29日歿]
1928年ビンセント・エドワーズ (米:俳優『ベン・ケーシー』)Vincent Edwards[1996年3月11日歿]
1942年松山英太郎[まつやま・えいたろう] (俳優)[1991年1月11日歿]
1956年トム・ハンクス (米:俳優)Tom Hanks
1958年久本雅美[ひさもと・まさみ] (タレント,女優)
1960年浅野ゆう子[あさの・ゆうこ] (女優,歌手)
1962年高見知佳[たかみ・ちか] (タレント,歌手)
1964年可愛かずみ[かわい・かずみ] (女優)[1997年5月9日歿]
1968年 - 松下由樹、女優
1974年草彅剛[くさなぎ・つよし] (歌手,俳優(SMAP))彅は{弓剪}
1982年 - 安藤梢、サッカー選手

●忌日
1612年濃姫(帰蝶)[のうひめ] (織田信長の妻,齋藤道三の子) <77歳>[1535年生]
1922年森鷗外[もり・おうがい] (小説家,戯曲家,軍医『舞姫』『山椒大夫』) <60歳>鷗は「鴎」の正字({區鳥})[1862年1月19日生]
2007年ロッド・スタイガー (米:俳優『夜の大捜査線』) <82歳>Rod Steiger[1925年4月14日生]
2012年山田五十鈴[やまだ・いすず] (女優) <95歳>2000年文化勲章[1917年2月5日生]

 

■7月9日~7月10日の浅草ほおずき市について


創建は628年、都内最古といわれる浅草寺。
地元の人々から愛されているだけでなく、全国から多数の観光客が訪れる人気スポットです。


7月10日に参拝すると、4万6千日お参りしたのと同じご利益があるとされ、古くからこの日の参拝も盛んでした。


現在は境内にほおずきを売る店が約120も並び、風鈴の涼しげな音色、ほおずきの鮮やかな朱色、そして色とりどりの浴衣姿でそぞろ歩きを楽しむ人々で、浅草寺は下町の市らしい華やぎを見せます。

 

7月10日に浅草寺に参拝すると4万6千日分(約126年分)お参りしたのと同じ御利益があると言われているので、ほおずき市へ行ったら参拝するのを忘れないようにしましょう。

 

ほおずき市開催の2日間に限り、黄色の掛け紙の祈祷札「黄札」と「雷除札(かみなりよけ)」が授与されます。


境内には約120軒のほおずきの露店が並び、2日間で約55万~60万人もの人出があるようです。


夏の風物詩「ほおずき市」始まる 東京・浅草寺(14/07/09) - YouTube

●浅草ほおずき市2015開催時間と日程

・日程(毎年7月9日と7月10日の両日)

7月9日(木)
7月10日(金)

・開催時間

 本堂:午前6時~午後8時頃
  ほおずき市:午前8時頃~午後9時頃

・雨天決行、荒天中止

●ほおずきの値段
ほおずきの値段は、風鈴とセットで1鉢2500円です。

浅草ほおずき市では価格協定がある為、どのお店でも同じ値段で販売しています。

でもね♪~

そこは出店ですから値切りをまず切り出し、更にオマケをおねだりするのが常套手段ですね。

丸秘情報ですがが、2000円までは値切れるようです。


また、7月10日(金)の最終日の遅い時間帯に行って売れ残りがある場合は、値引きされた値段で販売されています。


●其の他 鉢植えが要らない人向けに
・枝ほおずき(枝についたままのほおずき)は、1000円程度
・ほおずきの実 袋詰めは、500円程度
・ひごほおずき(竹ひごに1つほおずきがついたもの)は50円程度

で販売されています。

●宅配
浅草ほおずき市でほおずき風鈴セットをおみやげとして複数購入する場合には

どのお店で買っても、配達料は必要ですが、ヤマト運輸が ほおずき市専用の箱に入れて宅配してくれます。

●場所 浅草寺
最寄り駅
 東武スカイツリーライン「浅草駅」から徒歩5分
 東京メトロ銀座線「浅草駅」から徒歩5分
つくばエクスプレス「浅草駅」から徒歩5分
 都営地下鉄浅草線「浅草駅」から徒歩5分
です。

 


★浅草寺(せんそうじ)とは、東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺である。山号は金龍山。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。

●創建 - 平安時代

『浅草寺縁起』等にみえる伝承によると、浅草寺の草創の由来は以下のとおりである。

推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも、「土師真中知」(はじのまなかち)とも)は出家し、自宅を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。その後大化元年(645年)、勝海上人という僧が寺を整備し観音の夢告により本尊を秘仏と定めた。

観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像と伝わるが、公開されることのない秘仏のためその実体は明らかでない。平安時代初期の天安元年(857年。天長5年(828年)とも)、延暦寺の僧・円仁(慈覚大師)が来寺して「お前立ち」(秘仏の代わりに人々が拝むための像)の観音像を造ったという。これらを機に浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開山と称している。天慶5年(942年)、安房守平公雅が武蔵守に任ぜられた際に七堂伽藍を整備したとの伝えがあり、雷門、仁王門(現・宝蔵門)などはこの時の創建といわれる。

一説に、本尊の聖観音像は、現在の埼玉東京の県境に近い飯能市岩淵にある成木川沿いにある岩井堂に安置されていた観音像が大水で流されたものとする伝承がある。

 

雷門

表参道入口の門。切妻造の八脚門で向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから正式には「風雷神門」というが「雷門」の通称で通っている。慶応元年(1865年)に焼失後、長らく仮設の門が建てられていたが昭和35年(1960年)、約1世紀ぶりに鉄筋コンクリート造で再建された。実業家・松下幸之助が浅草観音に祈願して病気平癒した報恩のために寄進したものである。門内には松下電器産業(現パナソニック)寄贈の大提灯がある。三社祭の時と台風到来の時だけ提灯が畳まれる。

風神雷神像は頭部のみが古く、体部は慶応元年(1865年)の火災で焼失後、明治7年(1874年)に補作。昭和35年(1960年)の門再建時に補修と彩色が加えられている。門の背面の間には、「金龍・天龍」の像を安置する。西の金龍(女神)は仏師・菅原安男、東の天龍(男神)は彫刻家・平櫛田中の作で、昭和53年(1978年)に奉納されたものである。

仲見世

雷門から宝蔵門に至る表参道の両側にはみやげ物、菓子などを売る商店が立ち並び、「仲見世」と呼ばれている。商店は東側に54店、西側に35店を数える。寺院建築風の外観を持つ店舗は、関東大震災による被災後、大正14年(1925年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。

宝蔵門

雷門をくぐり、「仲見世」の商店街を抜けた先にある。入母屋造の二重門(2階建てで、外観上も屋根が上下二重になっている門)である。現在の門は昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造で、実業家・大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられたものである。門の左右に金剛力士(仁王)像を安置することからかつては「仁王門」と呼ばれていたが、昭和の再建後は宝蔵門と称している。その名の通り、門の上層は文化財の収蔵庫となっている。

2体の金剛力士像のうち、向かって左(西)の阿形(あぎょう)は仏師・錦戸新観、右(東)の吽形(うんぎょう)像は木彫家・村岡久作の作である。阿形像のモデルは力士の北の湖、吽形像のモデルは明武谷と言われている。門の背面左右には、魔除けの意味をもつ巨大なわらじが吊り下げられている。これは、前述の村岡久作が山形県村山市出身である縁から、同市の奉賛会により製作奉納されているもので、わら2,500kgを使用している。

耐震性の向上と参拝客に対する安全確保のため平成19年(2007年)に屋根改修工事を行い、軽量さと耐食性に優れたチタン成型瓦を全国ではじめて採用した。使用したチタンは表面にアルミナブラスト加工を施したものでそれらをランダムに配置することで土瓦特有の「まだら感」を再現し、瓦と変わらない外観となっている。また、主棟・隅棟・降棟・妻降棟すべての鬼飾もチタンで製作された。

本堂

本尊の聖観音像を安置するため観音堂とも呼ばれる。旧堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。外陣には川端龍子(かわばたりゅうし)筆「龍の図」、堂本印象筆「天人散華の図」の天井画がある。

内陣中央には本尊を安置する間口4.5メートル、高さ6メートルの宮殿(くうでん、「厨子」と同義)がある。宮殿内部は下段の間(手前)と上段の間(奥)に分かれ、下段の間には前立本尊の観音像(伝・円仁作)、上段の間には秘仏本尊像をそれぞれ安置する。浅草寺貫主を務めた網野宥俊によれば、宮殿内は、床は漆塗り、壁や扉は金箔押しで、上段の間・下段の間には繧繝縁(うんげんべり)の小畳を各2枚敷いている。上段の間には秘仏本尊を納めた厨子のほか、東福門院、徳川家康、徳川家光、公遵法親王がそれぞれ奉納した観音像が安置され、かつてはその他の寺宝類もここに納められていたという。

宮殿の扉の前には「御戸張」と称する、刺繍を施した帳(とばり)が掛けられていて、時々デザインの違うものに掛け替えられている。毎年12月13日に開扉法要が行われ、短時間開扉されるほか、特別な行事の際などに開扉が行われる場合があるが、その際も参拝者が目にすることができるのは「お前立ち」像のみで秘仏本尊像は公開されることはない。宮殿の手前左右には脇侍の梵天・帝釈天像、宮殿の裏には秘仏本尊と同じ姿という聖観音像(通称裏観音)、堂内後方左右の厨子内には不動明王像と愛染明王像[4]を安置する。

2009年2月から2010年12月にかけて、「平成本堂大営繕」が行われた。屋根の葺き替えは昭和33年(1958年)の再建以来50年ぶり。宝蔵門の改修工事でも用いたチタン成型瓦を採用。使用色も2色から3色に増やし、より粘土瓦に近い風合いを醸し出している。

五重塔

再建前の塔は慶安元年(1648年)の建立で本堂と同様、関東大震災では倒壊しなかったが昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。現在の塔は本堂の西側、寛永8年(1631年)に焼失した三重塔の跡地付近に場所を移して、昭和48年(1973年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルである。基壇内部には永代供養のための位牌を納めた霊牌殿などがあり、塔の最上層にはスリランカ・アヌラーダプラのイスルムニヤ寺院から招来した仏舎利を安置している。なお、再建以前の塔は東側にあった。その位置(交番前辺り)には「塔」と刻まれた標石が埋め込まれていたが、平成21年(2009年)、新たに「旧五重塔跡」と記された石碑が設置された。周辺には木が植えられ、憩いの場となっている。

二天門

重要文化財。本堂の東側に東向きに建つ、切妻造の八脚門である。元和4年(1618年)の建築で、第二次世界大戦にも焼け残った貴重な建造物である。この門は、本来は浅草寺境内にあった東照宮(徳川家康を祀る神社)への門として建てられたものである(東照宮は寛永19年(1642年)に焼失後、再建されていない)。現在、門の左右に安置する二天(持国天、増長天)は上野の寛永寺墓地にある厳有院(徳川家綱)霊廟から移されたものである。平成22年(2010年)、改修により創建当初の様式に戻された。

浅草神社

本堂の東側にある。拝殿、幣殿、本殿は重要文化財。浅草寺の草創に関わった3人を祭神として祀る神社である。明治の神仏分離以降は浅草寺とは別法人になっている。

伝法院(でんぼういん)
宝蔵門の手前西側にあり、浅草寺の本坊である。小堀遠州の作と伝えられる回遊式庭園がある。通常、一般には公開していないが、特別公開されることがある。平成23年(2011年)、国の名勝に指定された。院内にある天祐庵は表千家不審庵写しの茶室で、江戸時代後期の建立。もとは名古屋にあった。

●先祖供養

浅草寺では先祖供養も出来る。

霊験あらたかと言われる浅草寺では毎日、家の宗派と無関係に先祖供養を受け付けている。
浅草界隈を長年取材している五木寛之によれば、宗派を問わず全く無関係な人でも供養を申し込めるため、五重塔内の位牌には昭和天皇・マザーテレサ・ダイアナ妃の位牌まで存在するという。

毎日6時(10月から3月は6時半)、10時、14時から先祖供養、厄よけ、等の祈祷が行われる。

 特定の個人の名前で受け付ける他、○○家先祖代々、という形でも受け付ける。
 志納金は3,000円から。


●おもな年中行事

ほおずき市の屋台針供養(2月8日)淡島堂で行われる。
金龍の舞 - 3月18日の観音示現会(じげんえ)、10月18日の菊供養の際に披露される。
三社祭(5月17・18日頃) - 浅草神社(三社権現)の祭礼であり、東京を代表する祭りとして有名。豪壮な神輿渡御と、「びんざさら舞」で知られる。
四万六千日(7月9・10日) - この日に参詣すると4万6,000日分のご利益があるとされる。ほおずき市が行われる。
万霊燈籠供養会(8月15日) - お盆の先祖供養のためにも営まれている。1体3,000円でお願いすることができる。
歳の市(12月17〜19日) - 毎月18日は観音菩薩の縁日であるが、特に年末の縁日を歳の市と称している。羽子板市が行われる。

●観音さまのご縁日は「毎月18日」ですが、これとは別に室町時代以降に「功徳日(くどくび)」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。

月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰されてきました。

中でも7月10日の功徳は千日分と最も多く、「千日詣」と呼ばれていましたが、浅草寺では享保年間(1716~36)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は46,000日分(約126年分)に相当するといわれるようになりました(この数については「米一升分の米粒の数が46,000粒にあたり、一升と一生をかけた」など諸説ございますが、定説はありません)。
   なお、この10日を待って一番乗りで参拝したいという民衆の思いから、前日の9日より人出があって、7月9・10日の両日が四万六千日のご縁日と受け止められるようになりました。

   また、この両日には「ほおずき市」が「四万六千日」のご縁日にちなんで開かれます。そもそもこの市は、芝の愛宕(あたご)神社の縁日に始まり、「ほおずきを水で鵜呑(うの)みにすると、大人は癪(しゃく)を切り、子どもは虫の気を去る」といわれるなど薬草として評判であったようです。

その愛宕神社の縁日は観音さまの功徳日にならい四万六千日と呼んでいたのですが、やがて「四万六千日ならば浅草寺が本家本元」とされ、ほおずきの市が浅草寺境内にも立つようになり、かえって愛宕神社をしのぎ盛大になったと伝えられています。

   一方、江戸の昔、落雷のあった農家で「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが無事であったことから、文化年間(1804~18)以後に「雷除(かみなりよけ)」として赤とうもろこしが売られるようになりました。
ところが明治初年に不作が原因で赤とうもろこしの出店ができなかったことから、人々の要望により「四万六千日」のご縁日に「雷除」のお札が浅草寺から授与されるようになり、今日に至っています。