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風に吹かれて旅するブログ

日々のニュースや出来事・暦・記念日・季節祭事・時事・情報・雑感等を風に吹かれながらまったりとお知らせしています。

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7月17日はあじさい忌 あじさいの花が好きで雨男だった石原裕次郎の命日

7月17日は国際司法の日、漫画の日、東京の日、あじさい忌などの記念日です。

○国際司法の日(World Day for International Justice)

1998年のこの日、国連全権外交使節会議において「国際刑事裁判所ローマ規程」が採択された。

○漫画の日

1841年のこの日、イギリスの絵入り諷刺週刊誌『パンチ』が発刊された。

1992年に終刊になるまで151年間発行されていた。

日本では、1862(文久2)年に日本語版の『ジャパン・パンチ』が刊行された。
関連記念日 •まんがの日 <11月3日>
•漫画の日 <2月9日>

○理学療法の日

日本理学療法士協会が制定。

1966年のこの日、110名の理学療法士により日本理学療法士協会が結成された。

○東京の日

1868(慶応4)年のこの日、明治天皇の詔勅により「江戸」が「東亰[とうけい]」に改称された。

▽制憲節 [韓国]

韓国の4つの国慶日(国家の慶事を記念する日)の一つ。

1948年のこの日、大韓民国憲法が制定された。


▽独立宣言記念日 [スロバキア]

1992年のこの日、チェコスロバキアのスロバキア国民議会がスロバキア共和国の国家主権宣言を採択した。

▽国王誕生日 [レソト]

レソト国王・レツィエ3世の1963年の誕生日。

※あじさい忌

俳優・石原裕次郎の1987年の忌日。

石原裕次郎があじさいの花が好きだったことから「あじさい忌」と呼ばれるようになった。


※茅舍忌

俳人・川端茅舍[かわばたぼうしゃ]の1941年の忌日。
7月16日は国土交通Day、虹の日、籔入り、盆送り火、閻魔賽日[えんまさいじつ]等の記念日です。

●歴史
864年富士山が大噴火。西湖と精進湖ができる
1615年江戸幕府が「禁中並公家諸法度」を発布。皇室・公家の行動を規制。(新暦9月9日)
1868年詔勅により江戸を東亰[とうけい]に改称。(新暦9月3日)
1899年ウエスタン・エレクトリック社との日本初の国際合弁会社として日本電気(NEC)設立。
1916年 - 牧田らく・黒田チカの2人が東北帝国大学理科大学を卒業。日本女性初の学士号を得る。
1945年ポツダム会談。ドイツのポツダムで米・英・中国の代表がドイツの占領管理問題と日本の扱いについて会談。26日に「ポツダム宣言」を発表
1953年紀州大水害 翌日にかけて和歌山県北部で梅雨前線による豪雨。死者615人、行方不明者431人。
1956年 - 「もはや戦後ではない」の文言が記された『経済白書』が発表され、経済面での戦後は終わったと宣言。
1966年 - 『ウルトラマン』の放送がTBS系各局で開始。
1971年今井通子がグランド・ジョラス北壁に登頂。女性初のアルプス三大北壁登頂を達成
1977年 - 人気絶頂中のアイドルグループキャンディーズが日比谷野外音楽堂でのコンサート中に突然の解散宣言。「普通の女の子に戻りたい」が流行語になる。
2005年 - 北海道の知床半島(知床)がユネスコの世界遺産に登録される。
2011年サッカー女子ワールドカップで日本代表(なでしこジャパン)が優勝。男女あわせて日本代表チームの初優勝

●誕生花
薔薇[ばら]<白> White Rose花言葉:尊敬
薔薇[ばら]<白> Rose花言葉:清らかな愛
ヘリクリサム(帝王貝細工[ていおうかいざいく]) Strawflower / Everlasting花言葉:永遠の思い出


●誕生日
1604年徳川家光[とくがわ・いえみつ] (江戸幕府将軍(3代))[1651年4月20日歿]
1796年ジャン=バティスト・カミーユ・コロー (仏:画家)Jean-Baptiste Camille Corot[1875年2月22日歿]
1899年 - ジェームズ・キャグニー、俳優(+ 1986年)
1922年丹波哲郎[たんば・てつろう] (俳優)[2006年9月24日歿]
1932年青島幸男[あおしま・ゆきお] (タレント,小説家『人間万事塞翁が丙午』,参議院議員[元],東京都知事[元])1981年上期直木賞[2006年12月20日歿]
1933年 - 淡路恵子、女優(+ 2014年)
1941年三浦布美子[みうら・ふみこ] (女優)
1943年 - 峰岸徹、俳優(+ 2008年)
1947年カミラ (英:王族,チャールズ王太子夫人)Camilla,Duchess of Cornwall
1951年三林京子[みつばやし・きょうこ] (女優)
1957年大竹しのぶ[おおたけ・しのぶ] (女優)
1969年北村一輝[きたむら・かずき] (俳優)
1970年宅間孝行[たくま・たかゆき] (俳優,脚本家)
1971年田中律子[たなか・りつこ] (女優)
1974年シルビア・グラブ (女優,高嶋政宏の妻)

●忌日
1600年細川ガラシヤ(細川玉)[ほそかわ・ガラシヤ] (細川忠興の妻,明智光秀の子) <数え38歳>[1563年生]
1790年アダム・スミス (英:経済学者,哲学者『国富論』) <67歳>Adam Smith[1723年6月5日生]
1795年圓山應擧[まるやま・おうきょ] (絵師) <数え63歳>[1733年5月1日生]
1918年アナスタシア (露:皇帝(ロマノフ朝19代),ロシア最後の皇帝) <17歳>Anastasia Nikolayevnaロシア革命で家族とともに虐殺[1901年6月5日生]
1959年ビリー・ホリディ (米:歌手) <44歳>Billie Holiday(Lady Day)[1915年4月7日生]
1967年ジョン・コルトレーン (米:ジャズサックス奏者) <40歳>John William Coltrane[1926年9月23日生]
1969年8代目市川雷蔵[いちかわ・らいぞう8] (俳優『破戒』『眠狂四郎』) <37歳>[1931年8月29日生]
1981年水原秋桜子[みずはら・しゅうおうし] (俳人,医学者) <88歳>[1892年10月9日生]
1987年石原裕次郎[いしはら・ゆうじろう] (俳優,歌手) <52歳>[1934年12月28日生]
2005年 - ジェラルディン・フィッツジェラルド、女優(* 1913年)
2010年石井好子[いしい・よしこ] (シャンソン歌手) <87歳>[1922年8月4日生]

 

■1868年のこの日、東京が誕生しました。生みの親は大久保利通、由来は「京」の字が首都を意味することから東の京、また「西の京都」に対して「東の京都」などと諸説があります。
1868(慶応4)年のこの日、江戸が東京府に改称されました。
  1893(明治26)年には、伊豆七島や三多摩を含む、ほぼ現在の地域が確定しています。
  また、1889(明治22)年に成立した東京市15区は、1943(昭和18)年に府が東京都になることによって消滅、1948(昭和23)年に現在の23区制が敷かれました。

 

■7月17日は 石原裕次郎の命日 あじさい忌 

石原裕次郎があじさいの花が好きだったことから「あじさい忌」と呼ばれるようになった。

 

裕次郎が亡くなった日の祭壇には、”生前にこよなく愛したアジサイが飾られた。以来、7月17日の命日は「あじさい忌」と言われる。
”裕次郎さんは「雨男」で、命日の行事はいつも雨で、いつしか「裕次郎雨」と呼ばれるようになった”ともいう。
アジサイ(紫陽花)は、雨の多い梅雨の時期にぴったりの花。
しかも、裕次郎は、1934(昭和9)年12月28日、兵庫県神戸市須磨区にて石原家の次男として生まれている。アジサイ(紫陽花)は彼が生まれた神戸市の市花でもある。


★石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年(昭和9年)12月28日 - 1987年(昭和62年)7月17日)は、日本の俳優、声優、歌手であり、司会者やモデルといったマルチタレント。実業家・ヨットマンとしても活動していた。身長178cm、血液型はA型。愛称はタフガイ・裕ちゃん・ボス・ユージロー。石原軍団総帥、石原プロモーション元代表取締役社長(初代)兼会長。

兄は政治家で作家の石原慎太郎。


いしはら ゆうじろう石原 裕次郎


本名石原裕次郎

生年月日1934年12月28日

没年月日1987年7月17日(満52歳没)

出生地 日本 兵庫県神戸市須磨区

死没地 日本 東京都新宿区信濃町

民族日本人

身長178 cm

血液型A型

職業俳優、歌手、声優、司会者、モデル、実業家、ヨットマン

活動期間1956年 - 1987年

活動内容1956年:『太陽の季節』でデビュー。

配偶者石原まき子(北原三枝)

著名な家族
父:石原潔
 母:石原光子
 兄:石原慎太郎


主な作品

映画
 『太陽の季節』
 『狂った果実』
 『嵐を呼ぶ男』
テレビ
『太陽にほえろ!』
 「大都会」シリーズ
「西部警察」シリーズ


受賞
ブルーリボン賞

(新人賞:1957年)(企画賞:1964年)

その他の賞
毎日映画コンクール(特別賞:死後)
ゴールデン・アロー賞(特別功労賞:死後)
映画制作者協会(新人賞:1957年)
国民映画賞(新人賞:1957年)
 
 
概要

兵庫県神戸市須磨区、北海道小樽市、神奈川県逗子市に育つ。父・石原潔(山下汽船社員)は愛媛県、母・光子は広島県宮島の出身。

 

マリア幼稚園(現在の小樽藤幼稚園)卒園、稲穂国民学校時代に競泳や天狗山 でスキーに親しむ。逗子中学校時代からはバスケットボールに熱中した。その後、慶應義塾高等学校を目指すが受験に失敗し、慶應義塾農業高等学校に籍を置くが、1951年に慶應義塾高等学校に編入学。卒業後は慶應義塾大学法学部政治学科に内部進学するが、放蕩生活に明け暮れる。

大学在学中から、俳優を目指し東宝と大映、日活のオーディションを受けるも全て不合格。
しかし1956年に、映画プロデューサー水の江瀧子と兄・慎太郎の推薦があって、慎太郎の芥川賞受賞作『太陽の季節』の映画化の端役で映画デビュー。

その後、慶応義塾大学を中退して日活に入社。『太陽の季節』に続いて製作された、同じく慎太郎原作の映画化作品『狂った果実』では、後に妻となる北原三枝を相手役に主演。
その後は歌手・俳優として活躍し、主演映画が連続ヒットし、瞬く間に昭和を代表する日本最高のスターの一人となったが、ケガや病気に苦しんだ一生でもあった。

1963年に石原プロモーションを設立。1970年代以降は映画から離れ『太陽にほえろ!』、『大都会』などテレビドラマで活躍した。戒名は陽光院天真寛裕大居士。墓は万成石五輪塔で神奈川県横浜市鶴見区にある總持寺に立てられている。墓碑には妻直筆で次のような言葉で綴られている。

「美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く。」


1987年4月 - ハワイから帰国直後に慶應義塾大学病院へ検査入院。5月に一旦退院した(カテーテル治療)ものの、間もなくして再入院。

しかし容態悪化(高熱)、ついには幻覚症状(肝性脳症)を発する。そして7月17日金曜日午後4時26分肝細胞癌のため死去。52歳没。

エピソード

人物


映画デビューについて父が亡くなった頃にショックから自暴自棄になった裕次郎は、家から金目の物を持ち出しては換金し、その金で銀座などへ繰り出す遊行三昧の日々を送り、兄・石原慎太郎から心配された。

そんな頃に兄は水の江瀧子より『太陽の季節』の映画化を促されたため、「裕次郎って弟がいるんだけど、遊び人でどうしょうもない奴で…弟を出してくれるんなら」という条件を提示した。

瀧子はその条件を呑み、裕次郎は同作品で俳優デビューし、脇役ではあったが主演格に匹敵するダイナミックな存在感で注目されることとなる。裕次郎本人は「太陽の季節」への出演は至って遊び感覚で、迎えの車に乗り初めて日活撮影所へ降り立った時は素肌にヨット・パーカーを羽織り、海水パンツにゴム草履履きといったいでたちに、その場に居合わせた宍戸錠と小林旭は「何だ!ありゃあ?!?」と仰天したという。

1956年3月28日、日活撮影所内の理容室で『太陽の季節』の撮影に際し、太陽族に扮する連中の「慎太郎刈り」のモデルを引き受けたのが日活での初仕事であった。
『狂った果実』が映画化されることとなり、シナリオを書き上げるため有楽町の日活ホテルに缶詰状態だった兄は左手で書くのは早かった。

しかし読み難かったため裕次郎が「俺が清書しなきゃあ誰も読めない!」と付きっ切りで清書しながらも自身が演ずる役のセリフを少なくするよう慎太郎に催促するという具合であった。だが兄弟で一つの仕事を成し終えるその姿に世間は「太陽族の美しい兄弟愛」と褒め称えた。
仕事に対する姿勢俳優業について、しばしば「男子一生の仕事にあらず」と語っていた。

セリフ覚えが悪いことで知られ、開いた状態の台本を机の中に置いて演技を行ったこともあるという。その代わり、NGを出すことはほとんどなかったともいわれる。
ロケ先などで女学生に囲まれサインをねだられても断ることが多かった。理由は「真っ白な紙に名前だけ書いて渡すなんて試験の答案のようなもの」であることから。

「銀座の恋の物語」、「二人の世界」、「夜霧よ今夜も有難う」などの数々のヒット曲がある裕次郎だが、『紅白歌合戦』には1957年・第8回に雪村いづみの応援ゲストとして出演したことはあるものの、歌手としては生涯出場しなかった。

「歌は素人」という理由で毎年、歌手としての出場を辞退していたといわれている。
ヒット曲を多数持つスター歌手が他人の持ち歌をカバーすることに消極的だった時代に、積極的に他人の持ち歌(当時のヒット曲や古い流行歌など)をレコードに吹き込んだ。ただ一曲、梶芽衣子の「怨み節」のカバーについては断られたという。

性格など
性格として今で言う体育会系の気質があり、車の中や外、店の隅(外)・店内で運転手を待たせることや、自分の車の中に1人でも人が残ることを嫌っていたという。また人前で食事をすることも嫌っていた。

困っていることがあると自ら率先して動くタイプであった。また、「人の悪口は絶対に口にするな、人にしてあげたことはすぐ忘れろ、人にして貰ったことは生涯(一生)忘れるな。」というポリシーを持っていた。

スポーツ界や政財界などを問わず広い交友関係を楽しんだ人物で、誰かに会ったときは必ず、上下関係分け隔てなく、あいさつのときは立ち上がり、握手をするという礼儀正しさでもよく知られていた。

気遣いのできる優しい性格と豪快な人柄から石原プロモーション所属の俳優達からはもちろん、『西部警察』で共演した三浦友和および柴俊夫らからも『石原社長』と呼ばれていた。さらに石原プロが倒産の危機のときには家のない社員全員に家を建ててプレゼントとしたことがある。また、現在でも石原プロのイベントなどで名物となっている炊き出しは、裕次郎が考案したものである。

好きなもの、趣味など
食べることが好きで、懐石料理・カレーライス・ビーフステーキ、葉山コロッケなどを好み、和洋中問わず好物は多かった。また、料理好きでもあり、別荘やヨットハーバーでバーベキューや手弁当を楽しんだ。

嫌いな物は鶏肉だったという。大病後は妻の食事管理の下玄米のパンと野菜サラダのみの生活を送っていたという。また晩年には毎日30錠の薬を規則正しく服用し、食事制限(特に塩分制限6グラム、小さじ1杯)も実行したとも言われる。

チェーンスモーカーであり、また大病を患う前は、休暇中には朝食にビールを飲むほどの酒豪であった。撮影所には、「ビールは酒ではない、水である」という名分で冷蔵庫が置かれていた。

また、赤坂東急ホテルのバーカウンター端の席で飲んで、その後飲食街に繰り出すことが多かった。大動脈瘤手術後は身内のパーティではビールをコップ1杯程度にしていたといわれ、喫煙も控えていたが、甥の良純によるとハワイの別荘で夫人の目を盗んでの「お相伴」に付き合わされたという。

兄の影響により、ヨットにかける情熱は俳優活動よりも強かったともいわれる。
日本では力道山と三橋美智也と裕次郎の3人だけと言われるメルセデス・ベンツ・300SL(〈W198〉ガルウィングクーペのオーナーだった。シートは深紅。車体はシルバー[注釈 1])を所有していたほか、ロールス・ロイス・シルヴァースピリットやキャデラックなど複数の高級車を所有するカーマニアであった。