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風に吹かれて旅するブログ

日々のニュースや出来事・暦・記念日・季節祭事・時事・情報・雑感等を風に吹かれながらまったりとお知らせしています。

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8月2日は金銀の日 1928年アムステルダムオリンピックで、織田幹雄が三段跳びで日本人初の金メダル、陸上800mの人見絹枝が日本人女性初の銀メダルを獲得

8月2日はカレーうどんの日、金銀の日、ホコ天記念日、博多人形の日、パンツの日、ハーブの日、ビーズの日、バズの日等の記念日です。

更に二十四節気・雑節等 七十二候の36候 大雨時々降る。

 

○カレーうどんの日

「カレーうどん100年革新プロジェクト」チームが、カレーうどんが全国浸透してから100周年となる2010(平成22)年に制定。

6月2日が「カレーの日」、7月2日が「うどんの日」であることから。

○金銀の日

1928年の8月2日この日、アムステルダムオリンピックで、陸上三段跳びの織田幹雄が日本人初の金メダル、陸上800mの人見絹枝が日本人女性初のメダルとなる銀メダルを獲得した。

○ホコ天記念日

1970年のこの日、銀座・新宿等で初めて歩行者天国が実施された。

警視庁が、「人間性を取り戻す政策」として週末の銀座・新宿・池袋・浅草で自動車の交通を遮断して歩行者天国を実施した。


○博多人形の日

博多人形商工業協同組合が博多人形誕生400年を記念して2000年に制定。

「博多人形」の「は」(8)「に」(2)の語呂合せ。

 

○パンツの日

下着メーカーの磯貝布帛工業(現在のイソカイ)が1984年に、自社ブランド『シルビー802』の商品名に因んで制定。後に、トランクスメーカーのオグランも「パン(8)ツ(2)」の語呂合せでこの日を記念日とした。

女性が本命の男性にこっそりパンツをプレゼントする日。


○ハーブの日

ハーブを使った化粧品を販売している会社・コスメハーブが制定。

「ハ(8)ーブ(2)」の語呂合せ。

○ビーズの日

ビーズアクセサリーキットを製造するビーズマニア株式会社が制定。

82が「B(ビー)2(ツー)」に見えることから。

○バズの日

広告代理店アサツーディ・ケイが制定。

広告手法の一つである「バズ(buzz、噂)」について考える日。

「バ(8)ズ(2)」の語呂合せ。

○学制発布記念日1872年(明治5年)のこの日の太政官布告が近代的教育制度の基礎となったことによる。新学制により寺子屋式から小学校へ。

◆みかんの日毎月第1日曜日

●8月2日歴史・出来事
BC46年ゼラの戦い。ユリウス・カエサルが元老院に、ポントス攻略成功を伝える手紙「Veni vidi vici.(来た、見た、勝った)」を出す。
1721年徳川吉宗の命で江戸・評定所の門前に目安箱を設置。(新暦9月23日)
1854年(嘉永7年7月9日) - 江戸幕府が日章旗を日本国惣船印とすることを決定。
1869年(明治2年6月25日) - 明治政府が身分制度を再編。大名・公卿を「華族」、武士を「士」と「卒」、農・工・商を「平民」とする。
1897年日本勧業銀行(第一勧業銀行の前身)が開業。
1928年アムステルダム五輪の三段跳びで織田幹雄が優勝。日本人初の金メダル。
1945年 - 第二次世界大戦: ポツダム会談が終了。
1967年日本チェーンストア協会設立。
1970年銀座・新宿・池袋・浅草で初めて歩行者天国を実施。
1972年カシオ計算機がパーソナル電卓・カシオミニを発売。低価格で人気となり電卓が個人にも普及。

 


●8月2日誕生花
矢車草[やぐるまそう] Corn Flower花言葉:幸福
白粉花[おしろいばな](夕化粧[ゆうげしょう]) Four-o'clock花言葉:内気
鹿の子百合[かのこゆり] Brikkiant lily花言葉:荘厳
シャクナゲ(石楠花) 威厳、荘厳
ノコギリソウ、アキレア 戦い
ハマユウ(浜木綿) あなたを信じます、汚れがない
ワックスフラワー 可愛らしさ
ヤグルマギク(矢車菊) 優雅、繊細な心、独身生活、教育、信頼
カンナcanna Yallow Brikkiant lily 戦い 荘厳 情熱・堅実な未来

 

●8月2日誕生日
1903年中野好夫[なかの・よしお] (評論家,イギリス文学者)[1985年2月20日歿]
1914年木下順二[きのした・じゅんじ] (劇作家『夕鶴』)[2006年10月30日歿]
1922年中内功[なかうち・いさお] (経営者,ダイエー創業)[2005年9月19日歿]
1924年キャロル・オコナー (米:俳優)Carroll O'Connor[2001年6月21日歿]
1932年ピーター・オトゥール (アイルランド:俳優)Peter O'Toole[2013年12月14日歿]
1935年高橋悦史[たかはし・えつし] (俳優)[1996年5月19日歿]
1938年須田開代子[すだ・かよこ] (ボウリング)[1995年11月20日歿]
1941年ポール牧[ポールまき] (タレント,僧侶)[2005年4月22日歿]
1945年 - ジョアンナ・キャシディ、女優
1973年友近[ともちか] (お笑い芸人)


●8月2日忌日
683年(天武天皇12年7月5日) - 鏡王女、藤原鎌足の正妻、歌人
1611年(慶長16年6月24日) - 加藤清正、安土桃山時代の武将、熊本藩主(* 1562年)
1876年ワイルド・ビル・ヒコック(ジミー・バトラー・ヒコック) (米:ガンマン) <39歳>Wild Bill Hickok(James Butler Hickok)[1837年5月27日生]
1922年グラハム・ベル (英・米:教育者,電話発明) <75歳>Alexander Graham Bell[1847年3月3日生]
1931年人見絹枝[ひとみ・きぬえ] (陸上競技(短距離,走り幅跳び),アムステルダム五輪で日本女子初のメダル獲得) <24歳>[1907年1月1日生]
2001年宝とも子(寶登茂子)[たから・ともこ] (女優(宝塚歌劇(23期)),ラテン歌手) <79歳>[1921年9月23日生]
2008年赤塚不二夫[あかつか・ふじお] (漫画家『おそ松くん』『天才バカボン』) <72歳>[1935年9月14日生]
2008年服部正[はっとり・ただし] (作曲家) <100歳>[1908年3月17日生]
2009年古橋廣之進[ふるはし・ひろのしん] (水泳,JOC会長「フジヤマのトビウオ」) <80歳>2008年文化勲章[1928年9月16日生]
2010年今野雄二[こんの・ゆうじ] (映画・音楽評論家) <66歳>自殺[1943年10月5日生]


●イベント
青森ねぶた(青森県青森市、8月2日 - 8月7日)
湯河原やっさ祭り(神奈川県足柄下郡湯河原町、8月2日 - 8月3日)

 

 

◆8月2日の「金銀の日」について


1928年(昭和3年)の8月2日、この日、アムステルダムオリンピックで、陸上三段跳びの織田幹雄が日本人初の金メダル、陸上800mの人見絹枝が日本人女性初のメダルとなる銀メダルを獲得した。

★織田幹雄
織田 幹雄(おだ みきお、1905年(明治38年)3月30日 - 1998年(平成10年)12月2日)は、日本の元陸上選手、指導者。広島県安芸郡海田町出身。1928年アムステルダムオリンピック三段跳金メダリスト。満93歳没 

陸上競技選手。 1931年早稲田大学卒業。『朝日新聞』記者を経て早稲田大学教授を務めた。日本陸上競技連盟,国際陸上競技連盟などの要職を歴任,のち日本陸連名誉会長。 1924年パリ・オリンピック競技大会で三段跳び6位入賞,1928年同アムステルダム大会に出場し,同種目で優勝,日本人初の金メダリストになった。

1928年の8月2日この日、アムステルダムオリンピックで、陸上三段跳びの織田幹雄が日本人初の金メダル

人物

「日本人初のオリンピック金メダリスト」であり、アジア人としても個人初のオリンピック金メダリストである。

織田の金メダルにより、日本陸上は一躍世界の第一線に躍り出たと言われる。

当時英語で「ホップ・ステップ・アンド・ジャンプ」(現在はトリプルジャンプ)と呼ばれた競技名を「三段跳」と訳した。
三段跳では、織田(1928年五輪)・南部忠平(1932年五輪)・田島直人(1936年五輪)と3大会連続で金メダルを獲得したことから当時日本のお家芸とも言われた。

なお、南部と織田は終生の友人であり、田島は織田の影響で三段跳を始めた関係でもある。
「陸上の神様」、あるいは「日本陸上界の父」と呼ばれ、戦後日本全国で陸上競技を指導普及したいわば育ての親のような存在である。国際オリンピック委員会(IOC)オリンピック功労賞受賞。

文化功労者、広島県名誉県民、安芸郡海田町名誉町民、東京都名誉都民、渋谷区名誉区民。最終学歴は早稲田大学商学部卒業。朝日新聞社に入社し最終的には朝日新聞運動部部長、のち早稲田大学教授を務めた。

実兄は元中国電力筆頭理事で小水力発電メーカーを立ち上げた実業家の織田史郎。妻は貴族院議員・中村純九郎の三女。
実業家で第7代住友財閥総理事の古田俊之助は義兄。
妻の伯母は天文学者・寺尾寿の先妻。
長男の正雄と次男の和雄は共に父・幹雄関連の著書で名を連ね関連イベントに登場する。
正雄は日独協会理事を務めドイツ関連の書籍をいくつか出している。
一方で二人は、天皇明仁の学友(正雄は学習院中等科で同級生、和雄は2歳後輩のテニス仲間であり常陸宮正仁親王と同級生)として知られ、皇后美智子とを繋いだ関係者でもある。

晩年、色紙にはこの言葉を好んで書いた。

「強い者は美しい」

 

・名言

「スポーツは勝負である」

「競技は頭で考えた理屈ではなく体の感覚で覚えるもの」

 

★人見 絹枝 (短い生涯を駆け抜けた女性ランナー)
人見 絹枝(ひとみ きぬえ、1907年(明治40年)1月1日 - 1931年(昭和6年)8月2日)は、岡山県御津郡(現:岡山市)出身の陸上競技選手、ジャーナリスト。日本人女性初のオリンピックメダリスト。100m、200m、走幅跳の元世界記録保持者。

 

1928年、第9回オリンピック競技大会(アムステルダム)で、日本女性初のオリンピアンが誕生した。人見絹枝選手である。56名の日本代表選手団の中で、たった1人の女性であった。

1931年8月2日、肺炎のため息を引き取ってしまう。24歳7カ月の短い生涯であった。

1928年アムステルダムオリンピックに出場。女子の個人種目全て(100m、800m、円盤投、走高跳)にエントリーした(走幅跳は採用されず、事実上100m一本に絞っていた)

アムステルダム大会では人見絹枝が一番得意とする走り幅跳(当時、世界記録保持者であった)が女子のオリンピック種目にならなかった。

。7月30日、100m予選は1着で通過したものの、同日準決勝は12秒8で4着。決勝進出を逃した。

8月1日、800m予選を2分26秒2で通過。
8月2日、800m決勝は2分17秒6でドイツのリナ・ラトケ(世界記録 2分16秒8)に次ぐ2着。日本人女性初のオリンピックメダリスト(銀メダル)となった。
8月5日、走高跳の予選に出場。1m40で予選落ち。

 

※エピソード
オリンピック出場を決めていた人見の実家に「人前で太ももをさらすなど日本女性にはあってはならない」「日本女性の個性を破壊する」などといった文面の書簡が送られて来ていたという。

当時、国内での女子陸上への偏見は厳しいものであったことをうかがわせる。
それに対して人見は女子陸上競技に関する記事にて「いくらでも罵れ!私はそれを甘んじて受ける。しかし私の後から生まれてくる若い女子選手や、日本女子競技会には指一つ触れさせない」と書いている。

後年、TV番組で人見のこの言葉が紹介された時、ゲストで出演していた有森裕子はコメントを求められるも、大粒の涙を流し声を詰まらせていた。

メダル・トロフィー類は戦時中金属類回収令によりすべて供出されたと考えられていたが、オリンピックの銀メダルは2000年になって発見された。人見の使用していた寝具の中に、隠すようにして仕舞ってあったという。

 

※日本女性初のオリンピック金メダリストは和歌山県出身の前畑秀子です。(水泳)


前畑秀子は1936年ベルリン大会において競泳女子200m平泳ぎで日本女子初の金メダル を獲得した。


1933年(昭和8年)9月30日に前畑秀子は1日に2万メートル泳ぎきる猛練習を重ね、200m平泳ぎの世界新記録を樹立する。

3年後の1936年(昭和11年)、ナチス体制下のドイツで開かれたベルリンオリンピックの200m平泳ぎに出場し、地元ドイツのマルタ・ゲネンゲルとデッドヒートを繰り広げて、1秒差で見事勝利を収める。

日本人女性として五輪史上初めてとなる金メダルを獲得した。この試合をラジオ中継で実況したNHKの河西三省アナウンサーは、中継開始予定時刻の午前0時を過ぎたため「スイッチを切らないでください」という言葉から始めた。

河西アナは、興奮のあまり途中から「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」と20回以上も絶叫し、真夜中にラジオ中継を聴いていた当時の日本人を熱狂させた。

1937年(昭和12年)、前畑は名古屋医科大学(後の名古屋帝国大学、現在の名古屋大学医学部)助手の兵藤正彦とお見合い結婚をして兵藤姓となる。

※高橋尚子はオリンピック陸上競技で日本人女性として始めて金メダルを取った女性です。(陸上)

 

◆学制発布記念日
学制

 1871年(明治4年)に文部省[もんぶしょう]から出された法律で、全国を8つの大学区に分け、それぞれに大学1、中学校32、各中学校区に小学校を210つくろうとしたものです。義務教育は8年と定められていました。 しかし、費用は住民の負担にしたため、学制に反対する一揆[いっき]が起こり、1879年(明治12年)に廃止になりました。

1872年(明治5年)8月2日、太政官布告が近代的教育制度の基礎となったことにゆらいします。
 この学制発布記念日によって、近代的な教育制度となり、子供の教育は、寺子屋式から小学校になりました。
 ちなみに、当時は下等小学4年間、高等小学4年間の4・4制でしたが、幾多の変遷を経て1947(昭和22)年に現在の小学6年間、中学3年間となりました。

 


※付録のオマケ

1928年(昭和3年)について


●出来事

「第12回衆議院選挙(第1回普通選挙)実施」
   25歳以上の男子に選挙権が与えられた初の選挙。有権者総数はそれまでの4倍に。
   (それまでは、納税額により選挙資格が制限されていた。)
  野党の選挙運動へは大きな干渉が行われ、立会演説会では、警察官によって、
   弁士の発言を止めさせる「弁士中止」の命令が連発された。 
 「三・一五事件」
   日本共産党員に対する一斉検挙。全国各地の警察官を動員約1600人を検挙した。
   当時の田中義一内閣は、この事件をきっかけに「改正治安維持法」を公布。
   共産党と何らかの関わりがあると当局に判断された人がすべて処罰の対象になった。
 「昭和天皇即位大礼」
   京都御所で挙行される。
 「満州某重大事件(張作霖爆殺事件)」
   奉天市内の瀋陽駅の手前で中国の軍閥政治家・張作霖が列車爆破で殺害された事件。
   日本の助けで満州を支配した張が蒋介石の国民革命軍との戦いに敗れて満州に戻る途中、
   満州を支配下におこうと考えた関東軍参謀の計画で実行された爆発で殺されたもの。
   当時は、中国革命軍の仕業にするため、日本政府により真相が伏せられた。
 「済南事件」
   中国済南市に進攻してきた国民革命軍と日本人居留民保護の警備にあたる日本軍が衝突。
   日本軍が中国軍を追い出すことに成功し、関東軍独走のきっかけとなった。
 


●世相
「モボ・モガ」
   ダンスホールやカフェーなど新しい盛り場に登場した、流行の最先端をいく洋装の男女。
   モガは、後髪を刈り上げ前髪をおろしたおかっぱ頭でフェルト帽を目深にかぶり、
   膝丈のショートスカートに絹の靴下でハイヒールをはき、化粧は白粉に細い眉と濃い口紅。
   モボは、お釜帽をかぶり、ロイド眼鏡をかけ、裾広のラッパズボンに細いステッキを持つ。 
 「マネキンガール」
   高島屋呉服店が開いた東京博覧会で日本初のマネキンが登場。人形でなく人だった。
   本来はフランス語「マヌカン」だが「招金」に通じることから英語読みの「マネキン」に。
   大卒サラリーマンの月給70~80円時代に平均200円という職業婦人の最高給とりで、
   ファッションモデルの草分けとしてモダンガールを先導する役割を果たした。
 「受験地獄」
   進学希望者が増える反面、学校数が増えず進学できない生徒が急増。
   産業・経済の発展により、俸給生活を目指して資格を得ようという進学希望者が増えたため。

●ヒット商品
「蓄音機」
   動力にぜんまいを2個使用。いっぱい巻くとSPレコード二枚分聴けた。重さ約14キロ。60円。
 「赤線入り棒状体温計」
   従来の目盛りが読み取りにくく水銀柱の振り下げが簡単でないという欠点を改良したもの。
 「即席カレー」
   粉末状で純カレー粉に小麦粉を配合。45グラム入り10銭。当時子供たちのごちそうだった。 

●流行語
 「テレビジョン」
   浜松高等工業学校の高柳健次郎がブラウン管受像方式の実験を公開し注目される。
 「光の号外」
   電球を点灯して文字や像を作ってニュースや広告を伝えるもの。電光ニュースともいう。
 「インテリ」
   ロシア語のインテリゲンチャの略。特に体制に批判的な知識人をさす。
   日本では、議論ばかりで実践の伴わない学生や知識人の呼び名に。
 「陸の王者」
   慶応義塾大学のこと。東京六大学野球の早慶戦人気から広まる。応援歌「陸の王者」に由来。
 「彼氏」
   徳川夢声が「彼女」に対して「彼」も2文字にしようとつくった言葉
 「せまいながらも楽しいわが家」
   流行歌「私の青空」の一節で、アメリカ式合理的生活を求めた庶民の生活意識を象徴している。
 「フラッパー」
   英語のフラップ(flap)「ヒラヒラ動く」からできた言葉で、明るく軽薄なお転婆娘の意味で使われる。  

 

★青森ねぶた祭
青森ねぶた祭(あおもりねぶたまつり)は、青森県青森市で8月2〜7日に開催される夏祭りであり、毎年、延べ300万人以上の観光客が訪れる。1980年には国の重要無形民俗文化財に指定された。東北四大祭りの一つ。 

東北の夏を彩る青森ねぶた祭が8月2日、青森市で開幕する。

 

2015年青森ねぶた祭とスター・ウォーズ


今年は映画「スター・ウォーズ」を題材にしたねぶたの初登場に注目が集まるが、祭り本番では運行されず、展示のみ。「伝統に合わない」と地元が難色を示したためで、市民から「青森をPRするいいチャンスになったのに」と残念がる声も出ている。

●2015年青森ねぶた祭スケジュール

8月1日

18:00~21:00頃 (会場:青い海公園特設ステージ)
 前夜祭
19:00~20:40頃 (会場:浅虫温泉)
 第67回浅虫温泉花火大会

8月2日・3日

19:10~21:00
子どもねぶた(約15台予定)・大型ねぶた(約15台予定)の運行

8月4日~6日

19:10~21:00
大型ねぶたの運行(約20台運行予定)

8月6日はねぶた大賞他、各賞を発表。
★6日は受賞したねぶたをご覧になれます。

8月7日

13:00~15:00
  大型ねぶたの運行(約20台運行予定)
19:15~21:00頃 (会場:青森港)
   第61回青森花火大会・ねぶた海上運行

※ 海上運行ねぶたは浜町埠頭出発18:30、青い海公園沖を19:00から20:00まで運行、浜町埠頭着岸が20:40頃となります。

受賞したねぶたが青森港を運行し、花火とともにネブタ祭のフィナーレを飾ります。
※8月7日はねぶた海上運行(6台予定)がございます。
 海上を行き交う幻想的なねぶたと、みちのくの短い夏の夜空を焦がす大輪の花火をぜひご観覧ください。
 
運行方法

8月2日~6日までは運行コース上にねぶたが待機し、一斉に全てのねぶたが動き出します。場所によっては、ねぶたが目の前を通るまで10~15分かかる場合があります。
 号砲の合図でねぶた運行終了となります。(ねぶた全台がコースを一周していなくても21:00で祭り終了)
 但し、21:00(7日は15:00)前に、各ねぶたが運行コースを一周した場合は、その時点で祭り終了となります。


●東北四大祭り&6大まつり
仙台七夕まつり(宮城県仙台市。会場) 68.4万人/日
青森ねぶた祭(青森県青森市。会場) 53.2万人/日
秋田竿燈まつり(秋田県秋田市。会場) 33.5万人/日
(以上が東北3大祭り)
山形花笠まつり(山形県山形市)を加えて東北四大祭りという

1962年(昭和37年)からは「竿燈・ねぶた・七夕」の順で巡るツアーが組まれるようになり、「東北三大祭り」が首都圏で人気の観光商品となった。

また岩手県盛岡市の盛岡さんさ踊り、あるいは福島県郡山市の郡山うねめまつり
(又は福島市の福島わらじまつり)を加えて「東北六大祭」とする例も見られる。