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梶田隆章氏がニュートリノに質量があることを証明した功績で2015年のノーベル物理学賞を受賞 妻曰「普通のおじさん」です

2015年のノーベル物理学賞の受賞者に、物質のもとになる最も基本的な粒子のひとつ「ニュートリノ」に質量があることを世界で初めて観測によって証明し、「ニュートリノ」には質量がないと考えられてきたそれまでの素粒子物理学の定説を覆した東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章氏が選ばれました。

合わせて、カナダのクイーンズ大学の名誉教授、アーサー・マクドナルド氏も選ばれました。

素粒子ニュートリノに質量があることを証明した功績だが、ニュートリノ「発見」では02年に小柴昌俊・東京大名誉特別栄誉教授が受賞している。師弟で受賞だ。

日本人がノーベル賞を受賞するのは、アメリカ国籍を取得した人を含め、5日に医学・生理学賞の受賞が決まった大村智さんに続いて24人目で、物理学賞の受賞は、去年の赤崎勇さんと天野浩さん、中村修二さんに続いて11人目となります。

梶田さんは、埼玉県東松山市の出身で56歳。昭和56年に埼玉大学理学部を卒業したあと、東京大学大学院で、後にノーベル賞を受賞した小柴昌俊さんの教えを受けました。
平成11年に東京大学宇宙線研究所の教授になり、平成20年からは所長を務めています。

この間、梶田さんは小柴さんらと共に、物質のもとになる最も基本的な粒子である「素粒子」のひとつ「ニュートリノ」の研究を続けました。そして、岐阜県飛騨市神岡町の地下深くに設けられた観測施設「スーパーカミオカンデ」で、大気中から飛来した「ニュートリノ」の様子を詳しく観測することに成功しました。

その結果、「ニュートリノ」に質量、つまり「重さ」があることを世界で初めて突き止め、平成10年に開かれた国際学会で発表しました。

この研究成果は、「ニュートリノ」には質量がないと考えられてきたそれまでの素粒子物理学の定説を覆すもので、世界の研究者を驚かせました。
梶田さんはこの研究成果で、平成11年に物理学の大きな業績に与えられる「仁科記念賞」を受賞したほか、平成24年には、すべての学術分野の中から特に大きな業績をあげた研究者に贈られる日本学士院賞も受賞しています。

日本人がノーベル賞を受賞するのは、アメリカ国籍を取得した人を含め、5日に医学・生理学賞の受賞が決まった大村智さんに続いて24人目で、物理学賞の受賞は、去年の赤崎勇さんと天野浩さん、中村修二さんに続いて11人目となります。

梶田さんの受賞と合わせて、カナダのクイーンズ大学の名誉教授、アーサー・マクドナルド氏もことしの物理学賞の受賞者に選ばれました。

■スウェーデンの王立科学アカデミーは6日、2015年のノーベル物理学賞を、重さがないと考えられていた素粒子「ニュートリノ」に質量があることを見つけた梶田隆章・東京大宇宙線研究所長(56)ら2人に授与すると発表した。宇宙の謎に挑んだ日本のニュートリノ研究が最高の栄誉に輝いた。5日に医学生理学賞に決まった大村智北里大特別栄誉教授(80)に続く連日の受賞。

 ニュートリノは宇宙に存在する最も基本的な粒子の一つで、梶田氏の発見は宇宙の成り立ちの解明につながる成果とされる。梶田氏は記者会見で「本当に光栄に思う」と喜びを語った。

 妻の美智子さんは、梶田さんは休日、富山市の自宅に帰宅すると、温泉巡りや草むしりなどをしてのんびり過ごすという。家ではあまり研究の話はせず、「研究者っぽくないと思います。普通のおじさんって感じですね」と笑った。

授賞式はストックホルムで12月10日に開く。賞金800万スウェーデンクローナ(約1億2000万円)を2氏で分け合う。

 

☆彡雑感

素粒子「ニュートリノ」にも質量があると思っていました。

質量がないということのほうが不自然です。

ただ科学的に証明したことに意義あります。

学問、研究とは「真理の探究」です。


★梶田 隆章(かじた たかあき、1959年3月9日[3] - )は、日本の物理学者、天文学者である。埼玉県東松山市[1]出身。東京大学宇宙線研究所長・教授。同研究所附属宇宙ニュートリノ観測情報融合センター長。専門はニュートリノ研究。

ニュートリノ振動の発見により、2015年にアーサー・B・マクドナルド(英語版)と共にノーベル物理学賞を受賞した

梶田 隆章氏(かじた・たかあき)1959年3月9日、埼玉県生まれ。県立川越高、埼玉大卒。81年、東京大大学院の小柴昌俊氏の研究室に進み、カミオカンデ実験に加わった。86年大学院博士課程修了。東京大理学部助手、東京大宇宙線研究所の助手、助教授を経て99年教授。スーパーカミオカンデの建設に携わり、観測時はデータ解析責任者として日米の研究者を率いた。98年6月、岐阜県高山市の国際会議で「ニュートリノ振動の発見」を発表した。2008年4月から東京大宇宙線研究所所長。1999年仁科記念賞。56歳。


幼少期から、さして自然科学に興味があったわけではなかったが、暗記より考える勉強を好み、高校の授業や、埼玉大学で物理学を専攻して物理に興味を持った。大学卒業後、東京大学大学院理学系研究科に進み、小柴昌俊研究室に入る。研究室では小柴、戸塚洋二の下で宇宙線研究に従事する。素粒子に特に強い関心があったわけではなかったが、「何となく興味があった」という理由で研究室を選んだという。

ニュートリノ研究を始めたのは、東大理学部助手になって間もない1986年のことである。ニュートリノの観測数が理論的予測と比較して大幅に不足していることに気づき、それがニュートリノ振動によるものと推測した。ニュートリノ振動とは、ニュートリノが途中で別種のニュートリノに変化するという現象であり、ニュートリノに質量があることを裏付けるものである。これを明らかにするためには膨大な観測データが必要であり、岐阜県神岡町(現・飛騨市)にあるニュートリノの観測装置カミオカンデで観測を始めた。転機となったのはカミオカンデより容積が15倍大きいスーパーカミオカンデが1996年に完成し、観測データが飛躍的に増大してからだった。

1996年よりスーパーカミオカンデで大気ニュートリノを観測、ニュートリノが質量を持つことを確認し、1998年ニュートリノ物理学・宇宙物理学国際会議で発表。1999年に第45回仁科記念賞を受賞した。これらの成果はすべてグループによる研究の賜物であった。2015年のノーベル物理学賞をアーサー・B・マクドナルドと共に受賞。受賞理由は「ニュートリノが質量をもつことを示すニュートリノ振動の発見」である。

自身について、真面目で楽観的な性格だから、研究を続けられたとしている。妻や、同僚の塩澤眞人教授、共同研究者の中家剛教授などによると、冷静で感情を表に出すことはあまりなく、温厚で怒っているのを見たことがないという。謙虚かつ控えめで、指導教官の小柴昌俊によると、学生時代、議論ではあまり活発に発言しなかったが、実験には熱心だったという。趣味はなく、休日は富山市の自宅で寝ていることが多いという。後進の育成のため、母校埼玉県立川越高等学校でも授業や物理部の指導を行っている。

略歴
1977年 - 埼玉県立川越高等学校卒業
1981年 - 埼玉大学理学部物理学科卒業
1983年 - 東京大学大学院理学系研究科博士前期課程修了
1986年 - 東京大学大学院理学系研究科博士後期課程修了。「Search for nucleon decays into anti-neutrino plus mesons(反ニュートリノと中間子への核子崩壊の探索)」で理学博士(東京大学、1986年)。
1986年 - 東京大学理学部附属素粒子物理国際研究センター助手
1988年 - 東京大学宇宙線研究所助手
1992年 - 東京大学宇宙線研究所助教授
1999年 - 東京大学宇宙線研究所教授、同研究所附属宇宙ニュートリノ観測情報融合センター長
2008年 - 東京大学宇宙線研究所長

受賞歴
1989年 - ブルーノ・ロッシ賞(米国)(神岡観測研究グループ全体での受賞)
1988年 - 朝日賞(スーパーカミオカンデ研究グループ全体での受賞)
1999年 - 第45回仁科記念賞
2002年 - パノフスキー賞(米国)(スーパーカミオカンデ研究グループ全体での受賞)
2010年 - 第1回戸塚洋二賞
2012年 - 日本学士院賞
2015年 - ノーベル物理学賞