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国連は日本が提案した11月5日を「世界津波の日」に制定することを決定

国連総会の第2委員会は4日、11月5日を「世界津波の日」に制定することを全会一致で決めた。東日本大震災で被害を受けた日本が提案した。津波による被害が国際的な共通課題であることを確認し、早期警報システムなどの対策や迅速な避難についての世界的な意識向上を目指す。

 これを受けて安倍晋三首相は5日午前、「津波の脅威と対策について理解と関心を深める目的の決議採択は大変意義深い。我が国の防災の知見や経験を生かし、今後ともより強靱(きょうじん)な国際社会の構築に貢献する」とのメッセージを発表した。

 「世界津波の日」は日本を含む142カ国が国連に共同提案した。津波の脅威に対する意識の向上を通じて、人命や物的損害を低減する狙いだ。11月5日は江戸時代に安政南海地震の津波を村民に知らせ人命の被害を減らした和歌山県の逸話にちなむ日本の「津波防災の日」だ。「迅速な行動が被害を減らす」という認識を日本発で世界に普及する。


■江戸末期の1854年11月5日に発生した安政南海地震の津波から村民を救おうと、広村(現和歌山県広川町)の浜口梧陵が稲むらに火を放って高台に誘導した故事にちなみ、11月5日を「世界津波の日」に制定する決議案が12月5日(日本時間)、ニューヨークの国連総会第二委員会で採択された。12月下旬の国連総会で採択される見通し。

 津波の脅威に対し、国際的な意識を高めるのが狙い。日本の提案に、日本以外の141カ国が賛同し、共同提案国に名を連ねた。決議は、津波で被災した東日本やインド洋沿岸諸国、ペルー、チリなどを挙げ「津波は多くの人命を奪い、甚大な被害をもたらしてきており、多くの国にとって共通課題だ」と強調。今年3月の国連防災世界会議で採択された国際行動指針「仙台防災枠組」に言及し、津波への備えや早期警戒システムを通じた情報発信の重要性を指摘した。

 日本は「稲むらの火」の故事にちなみ、この日を「津波防災の日」に制定しているが、地元選出衆院議員の二階俊博・自民党総務会長が3月の国連防災世界会議で「世界津波の日」にするよう提案。国を挙げて世界に賛同を働き掛けてきた。

 委員会での採択を受け、二階氏や県内選出国会議員、県議らが5日、和歌山市の自民県連会館で記者会見した。二階氏は「日本は次に何をしていくかを早い時期に提案していかないといけない。日本はその責任がある」とした。その上で「広川町のように、子どもたちを参加させた避難訓練を世界に広げたい。自然災害で命を失う人を一人でも少なくするために世界を挙げて対応しないといけない」と強調した。

 過去に大きな津波被害を受けたインドネシアのアチェの博物館と広川町の津波防災教育センター「稲むらの火の館」の姉妹館提携をする用意が整っていることも紹介した。

 地元広川町の西岡利記町長は「浜口梧陵は、災害から人命を救っただけでなく、漁師には船、農家には農機具を貸し、私財を投じて堤防を造るなど復興にも貢献した。地元では、梧陵を顕彰するため、明治から津波祭りをしてきた」と地元で語り継いできたことを紹介。「稲むらの火の館に外国の方が来館され、津波や梧陵について勉強していただきたい。そのために多言語での案内をして、世界の広川町になればうれしい」と話した。

■ 11月5日を「世界津波の日」と定める決議が国連総会の委員会で採択されたことを受け、そのいわれとなった「稲むらの火」の故事が伝わる和歌山県広川町では町の関係者が集まり、防災への決意を新たにしました。

和歌山県広川町には、江戸時代の安政南海地震で商人の濱口梧陵が稲の束に火をつけて津波を知らせたという「稲むらの火」の故事が伝わっています。
町内にある防災教育施設「稲むらの火の館」には、この地震が起きた11月5日を「世界津波の日」と定める決議が国連総会の委員会で採択されたことを知らせる掲示が行われました。
広川町の西岡利記町長は、職員たちに「これから海外から訪れる人が増えると思う。しっかり案内できるようお願いします」と呼びかけました。
「稲むらの火の館」の崎山光一館長は「津波の犠牲者を今後出さないため、教訓を伝えることの責任の重さを改めて感じています」と話していました。

 安倍晋三首相は「津波の脅威と対策について理解と関心を深めることを目的とした決議採択は大変意義深い。わが国が培った防災の知見や経験を生かし、強靱(きょうじん)な国際社会の構築に貢献していく」、仁坂吉伸知事は「津波に対する国際社会の意識を高め、津波による犠牲者をなくすものとなることを期待する」とコメントを出した。

 

★稲むらの火
稲むらの火(いなむらのひ)は、1854年(嘉永7年/安政元年)の安政南海地震津波に際しての出来事をもとにした物語。

 

地震後の津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための犠牲的精神の発揮を説く。小泉八雲の英語による作品を、中井常蔵が翻訳・再話したもので、文部省の教材公募に入選し、1937年から10年間、国定国語教科書(国語読本)に掲載された。防災教材として知られ、高く評価されている。

もとになったのは紀伊国広村(現在の和歌山県有田郡広川町)での出来事で、主人公・五兵衛のモデルは濱口儀兵衛(梧陵)である。

 

●物語の概要
「稲むら」(稲叢)とは積み重ねられた稲の束のこと。稲は刈り取りのあと天日で干してから脱穀するが、上のように稲架(はさ)に架けられた状態を「稲むら」と呼ぶ。

ただし脱穀後の藁の山も「稲むら」と言うことがあり、史実で燃やされたのは脱穀後の藁である。
村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られたのだ。

●物語の成立と普及

小泉八雲「A Living God」
1896年(明治29年)、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、英語によって "A Living God " を著した。西洋と日本との「神」の考え方の違いについて触れた文章であり、この中で人並はずれた偉業を行ったことによって「生き神様」として慕われている紀州有田の農村の長「浜口五兵衛」の物語を紹介した。

●海外への普及

小泉八雲の著作によって、この物語は海外にも知られている。濱口儀兵衛(梧陵)の末子・濱口担が1903年(明治36年)にロンドンのThe Japan Societyで講演した際に、"A Living God "を通じて「五兵衛」の偉業に感銘を受けていた婦人と出会った逸話がある。

1993年頃アメリカ合衆国コロラド州の小学校では、「稲むらの火」を英訳した "The Burning of The rice Field "が副読本として使われていた。

2004年のスマトラ島沖地震では津波による大きな被害が発生したが、2005年に神戸市で開催された世界防災会議で「稲むらの火」が紹介されて各国の防災担当者から注目された。
アジア防災センターでは「アジア地域における「稲むらの火」普及プロジェクト」として、アジア8か国で用いられることを想定したベンガル語・ヒンディー語・タミル語・ネパール語・英語・シンハラ語・タガログ語に訳したテキストを配布している。

 

★中井常蔵
中井常蔵(なかい つねぞう、1907年(明治40年)12月12日 - 1994年(平成6年)1月24日)は、広村の隣町である湯浅町出身で、濱口儀兵衛らが創設した耐久中学校の卒業生である。和歌山県師範学校在学中、英語テキストで小泉八雲の「A Living God」を読み、感銘を受けた。

1934年当時は南部町(現在の日高郡みなべ町)の南部小学校で訓導を務めていた。中井は1945年、終戦を機に日高郡切目小学校長を最後として教職を退き、酒販店の経営にあたるとともに、南部町町会議員などの公職を務めた。1987年(昭和62年)9月には、国土庁から防災功績者表彰を受けている。