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12月31日は大晦日・大晦、ニューイヤーズ・イヴ、年越し蕎麦、除夜、大祓、シンデレラデー、甑島のトシドン、なまはげ、毎月最終日はそばの日などの日。

2015年12月31日は何の日?

12月31日は大晦日・大晦、ニューイヤーズ・イヴ、年越し蕎麦、除夜、大祓、シンデレラデー、甑島のトシドン、なまはげ、毎月最終日はそばの日などの日です。


●『大晦日・大晦(おおつごもり)』 : 
一年の終りの日です。

「晦日(みそか)」は元来、三十日の意味でした。

「晦(つごもり)」は月篭りが転じたもので、旧暦では毎月1日が新月、その前日を「晦」と呼びました。<>現在では、「晦日(みそか)」も「晦(つごもり)」も、月末の事を言い、一年の最後の「晦日」なので「大晦日・大晦」と言います。

一年の神「歳神」を迎える為に、大晦日の夜には朝まで眠らずに過ごす習慣があり『年越し・除夜』と言われ、除夜には各家庭で「年越し蕎麦」が食べられ、寺では、「除夜の鐘」が撞かれます。

●『ニューイヤーズ・イヴ』:「ニューイヤーズ・イヴ(New Year's Eve)」
1年の終わりの日は、新しい年が明ける前日でもある。

●『年越し蕎麦』 :
年越し蕎麦を食べる習慣は江戸時代中期から始まりました。

元々毎月末に蕎麦を食べる習慣があり、大晦日のみその習慣が残ったものです。

昔し、金箔職人が飛び散った金箔を集めるのに蕎麦粉を使った事から、年越し蕎麦を残すと翌年金運に恵まれないと言われます。  

●『除夜
大晦日の夜のこと。かつては一年の神「歳神」を迎えるために朝まで眠らずに過ごす習慣があった。

除夜には各家庭で年越し蕎麦が食べられ、寺では除夜の鐘が撞かれる。

・『除夜の鐘』: 
除夜の鐘は108回撞かれますが、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のそれぞれに苦楽・不苦・不楽があって18類、それ等のそれぞれに浄・染があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、これは人間の煩悩の数を表すとされています。

また、月の数12、二十四節気の数24、七十二候の数72を足した数が108となり、一年間を表すとの説もあります。  

●『大祓(おおはらえ)』 : 
「大祓」は罪と穢れを祓い清める神事で、6月と12月の末日に行われます。

神社の神職だけで行いますが、この日にお参りすれば、身心ともに清らかになるでしょう。

★大祓(おおはらえ、おおはらい)は、日本の神道儀式の祓の1つ。祓は浄化の儀式として宮中や神社で日常的に行われるが、特に天下万民の罪穢を祓うという意味で大祓という。1年のうち、毎年6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われるものを恒例とするが、天皇即位の最初の新嘗祭である大嘗祭の前後や、未曾有の疫病の流行、斎宮斎院の卜定、災害の襲来などでも臨時に執り行うことがあった。中臣(なかとみ)の祓とも言われる。

・宮中祭祀としての大祓
701年(大宝元年)の大宝律令によって正式な宮中の年中行事に、その施行細則は延喜式に定められた。この上代の頃の儀式の様子は「儀式」「北山抄」「江家次第」などの文書で知ることができる。

・民間行事としての大祓
民間では、毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着した。6月のものを「夏越の祓」、「名越の祓」(なごしのはらえ)または「夏祓」「夏越神事」「六月祓」などとも呼ばれ、12月のものを「年越の祓」と呼んでいる。
拾遺和歌集に「題しらず」「よみ人知らず」として、「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり」という歌にも見える。

夏に挙行される意味として、衣服を毎日洗濯する習慣や自由に使える水が少なかった時代、半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で、残りの半年を疫病を予防して健康に過ごすようにする意味があったのではと考えられている。またこの時期は多くの地域で梅雨の時期にあたり、祭礼が終わると梅雨明けから猛暑と旱(ひでり)を迎えることになるが、この過酷な時期を乗り越えるための戒めでもあった。

・夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。

・夏越の祓の風習
京都では夏越祓に「水無月」という和菓子を食べる習慣がある
水無月の上部にある小豆は悪霊ばらいの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表していると云われている。

●『シンデレラデー』 :
一年最後日で、最も慌ただしくて、夜の時間が気になる日である事から、大晦日は夜の12時までには家に帰らなければならない「シンデレラ」の様な日という意味を込めて呼ばれています。


●『甑島のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)』 :
「トシドン」とは、秋田のナマハゲに似た日本各地に伝わる年神(来訪神)で、その伝承をもとにした鹿児島県薩摩川内市の下甑島(甑島列島)の年中行事です。

大晦日の夜、中学生、青年、年配の人が鼻の長い面、萱や藁の蓑、黒いマント等の姿に扮し、3~8才頃の子供の家を回ります。

そして子供達が年内に仕出かした悪戯等を『いつも天から見ているんだぞ』とばかりに怖い声で指摘し、懲らしめます。

事前に家族がトシドン役の人々に対し、叱って欲しい内容を知らせているのですが、子供にしてみれば何故知っているのかと恐怖におののき、反省を促されます。

散々脅した後、年内に成績を上げた事等、良かった事について褒めてあげ、来年も良い子でいる様にと約束を交わします。

そして袋から歳餅を出して子供の背に乗せ、子供がそれを落とさない様に家族のもとへ運ぶのを見届けると、去って行きます。

※子供の幸福を願う貴重な民俗行事で、子供達の躾や情操教育に役立っていると云われ、1977(昭和52)年に、国指定の「重要無形民俗文化財」になっています。

また、2009(平成21)年には、国連教育科学文化機関(UNESCO)の「無形文化遺産」の新制度第一号の一つとして登録されました。

かつては上甑島・中甑島・下甑島のそれぞれでトシドンが行なわれていましたが、今も伝承されているのは下甑島のみです。

また、種子島と屋久島でもかつては行なっており、甑島からの移住者がもたらしたとされています。

●『なまはげ(秋田県男鹿市)』 :
大晦日に秋田県の男鹿市と三種町、潟上市の一部の各家々で行われる伝統的な民俗行事で、大晦日の晩、それぞれの集落の青年たちがナマハゲに扮して、『泣く子はいねがー、親の言うこど聞がね子はいねがー』、『ここの家の嫁は早起きするがー』等と大声で叫びながら地域の家々を巡ります。

男鹿の人々にとってナマハゲは、怠け心を戒め、無病息災・田畑の実り・山の幸・海の幸をもたらす、年の節目にやってくる来訪神です。

ナマハゲを迎える家では、昔から伝わる作法により料理や酒を準備して丁重にもてなします。

※1978(昭和53)年、「男鹿(おが)のナマハゲ」の名称で国の「重要無形民俗文化財」に指定されています。

男鹿市内の「ナマハゲ行事」は、かつて小正月に行われていましたが、現在は大晦日に行われています。

後継者不足等で、年々行う地区は減っていましたが、近年、復活の動きもみせています。


毎月最終日は、

●『そばの日』 :
昔、江戸の商人が毎月月末に縁起物として「蕎麦(そば)」を食べていた事に因んで「日本麺業団体連合会」が制定。

関連記念日として、◎毎月11日の「めんの日」、◎10月8日の「そばの日」、◎10月17日の「沖縄そばの日」、◎毎月28日の「二八そばの日」があります。


☆彡12月31日の歴史
1906年 紀州徳川家中屋敷跡地に新しい東宮御所が完成。現在の迎賓館。
1927年 NHKラジオで上野・寛永寺の除夜の鐘を放送。以降、大晦日の除夜の鐘の放送が恒例に。
1942年 大本営がガダルカナル島からの撤退を決定。派遣した兵士3万人のうち戦病・饑餓で2万4千人が死亡。
1953年 インフレにより不要となった50銭以下の少額貨幣の流通をこの日で停止。
1953年 紅白歌合戦が初の公開放送。この年から大晦日の放送となる。
1963年 NHK紅白歌合戦で最高視聴率81.4%を記録。
1967年 テレビ受信契約が2千万件を突破。普及率83.1%。
1988年 今給黎教子が女性初の太平洋単独往復航海に成功し鹿児島港に帰港。


☆彡12月31日の誕生日
1869年 アンリ・マティス (仏:画家)Henri Matisse[1954年11月3日歿]
1880年 ジョージ・C.マーシャル (米:軍人,政治家,「マーシャル・プラン」を提唱)George Catlett Marshall1953年ノーベル平和賞[1959年10月16日歿]
1903年 林芙美子[はやし・ふみこ] (小説家『放浪記』『浮雲』)[1951年6月28日歿]
1937年 アンソニー・ホプキンス (英・米:俳優『羊たちの沈黙』)Sir Philip Anthony Hopkins
1937年 日枝久 (経営者,フジテレビ社長[元]・会長)
1948年ドナ・サマー (米:歌手)Donna Summer[2012年5月17日歿]
1959年 ヴァル・キルマー (米:俳優)Val Kilmer
1959年 高樹澪[たかき・みお] (女優)
1962年 俵万智[たわら・まち] (歌人『サラダ記念日』)
1967年 江口洋介[えぐち・ようすけ] (俳優,歌手)
1974年 薬師寺容子[やくしじ・ようこ] (女優)
1980年 村主章枝[すぐり・ふみえ] (フィギュアスケート)
1981年 水野麗奈[みずの・れいな] (女優)


☆彡12月31日の忌日
1877年 ギュスターヴ・クールベ (仏:画家) <58歳>Gustave Courbet[1819年6月10日生]
1919年 上野理一[うえの・りいち] (経営者,朝日新聞創業) <71歳>[1848年10月3日生]
1924年 富岡鐵齋[富岡鉄斎 とみおか・てっさい] (日本画家,儒学者) <88歳>[1836年12月19日生]
1935年 寺田寅彦(吉村冬彦)[てらだ・とらひこ] (物理学者,随筆家) <57歳>[1878年11月28日生]
1979年 初代引田天功[ひきた・てんこう1] (奇術師) <45歳>病死[1934年7月3日生]
1985年 明石照子[あかし・てるこ] (女優(宝塚歌劇[元](33期))) <56歳>[1929年2月25日生]
1985年 立川清登[たちかわ・すみと] (声楽家(バリトン)) <56歳>[1929年2月15日生]
1989年 シスター海野[シスターうんの] (修道女)<78歳>
1990年 谷口安正[たぐち・やすまさ] (歌手(デューク・エイセス/トップテナー)) <51歳>[1939年6月28日生]
1999年 渡辺はま子[わたなべ・はまこ] (歌手『忘れちゃいやよ』『支那の夜』) <89歳>
[1910年10月27日生]
2001年 旭輝子[あさひ・てるこ] (女優,神田正輝の母) <77歳>[1924年10月30日生]
2002年 清元榮三郎[きよもと・えいざぶろう] (清元節三味線方) <76歳>1996年人間国宝
[1926年6月24日生]
2011年 松平康隆[まつだいら・やすたか] (バレーボール(日本男子代表監督)) <81歳>
[1930年1月22日生]
2014年 エドワード・ハーマン (米:俳優) <71歳>Edward Herrmann[1943年7月21日生]


☆彡12月31日の誕生花
檜[ひのき] Chamaecyparis 花言葉:不滅

オリーブ Olive 花言葉:平和、知恵

ユーリオプスデージー Gray-leaved euryops 花言葉:円満な関係

センリョウ(千両) 花言葉:可憐、富貴、恵まれた才能

カボチャ(南瓜) 花言葉:大きさ、広大

ユズ(柚子) 花言葉:健康美

ナンテン(南天)の実・Nandina Domestica 花言葉は「私の愛は増すばかり」

ユリオプスディージー(ユリオプスデージー)・Euryops Flower 花言葉は「明るい愛」です。

 

☆彡おまけの付録
※大晦日
年越(としこし)、大つごもり、大年(おおとし)などともいい、1年の最後の日。今日では、商家でも一般家庭でも、新年を迎える準備に忙しいが、本来、1日が夕方から始まるという思想から考えると、この日の夕方からは、新年を意味するものであった。大みそかの夜は正式な食事をするものだといい、これをオセチとよんでいる地方もある。セチは正式な食事のことであるから、この夜の食事が一年中でもっとも重要な食事とみなされていたのである。「年越そばは他所(よそ)で食べるな」とか「年越をともにしない者はあてにならない」といわれるのも、新年を迎える、すなわち新しい生命力を身につけるとき、一族一家がともにいなければならぬと信じていたからである。
 
東北地方では、この夜ミタマノメシといって握り飯12個(閏年(うるうどし)は13個)に箸(はし)を立てて箕(み)に入れ、仏壇や神棚の下に供えた。これは先祖祭りを意味するもので、大みそかが新しい年を迎える日であるとともに、祖霊祭であったことを示している。「大年の客」といって、昔話のなかに、この夜訪れてくる人々のいる話があるが、これも新しい年をもたらしてくれる来訪神の存在を伝えるもので、この夜が他のみそかと異なり、1年の境という意識だったことを表している。全国の寺院ではこの夜、除夜の鐘といって108回鐘をつき、百八つの煩悩(ぼんのう)を覚醒(かくせい)するためといわれているが、一般家庭ではこの鐘を新年を迎える合図にしている。長崎県五島では鶏の鳴き声を年の境としたというが、寺院の鐘より古風な習俗であろう。
 
※いちや‐かざり【一夜飾り】
 
門松などを元日直前の大晦日(おおみそか)に飾りつけること。年神(としがみ)に対して誠意に欠ける、また、葬儀の準備を連想させるとして忌む。
 
★古典に出てくる「つごもり」
 
※『大つごもり』(おおつごもり)は、樋口一葉の短編小説。1894年(明治27年)12月、「文學界」第24号に発表した。1896年(明治29年)には「太陽」(博文館)に再掲載されている。貧乏のもとに生まれた人たちが背負っていかなければならない人生を描いており、一葉の貧困生活の体験から生まれた作品。
 
※枕草子 - 清少納言
●第三十四段の前半部分
木の花は濃きも淡きも紅梅。中略
 
四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに
 
●第106段 『二月つごもり頃に』 
 
●第110段 四月のつごもりがたに
 

※『徒然草』~第十九段(冬)。
徒然草・第19段
【四】…さて、冬枯のけしきこそ
 
【五】つごもりの夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半過ぐるまで人の門たたき走りありきて、何事にかあらむ、ことことしくののしりて、足をそらにまどふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。
 
※紫式部日記のつごもりの夜(つごもりの夜~をかしうともいはず。)