読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

春夏秋冬、風に吹かれて無常の世を漂い、旅する愛しき日々

日々のニュースや出来事・記念日・季節祭事・催事・時事・情報・気づき、等を風に吹かれながらまったりとお知らせしています。

スポンサーリンク

フルトヴェングラーの第九は世界音楽遺産&第五は「青春」だ!1月25日あの時・あの人

1月25日あの時・あの人

●1月25日の誕生日


☆彡1886年 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー (独:指揮者,作曲家)Wilhelm Furtwängler[1954年11月30日歿]


★ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886年1月25日ベルリン - 1954年11月30日バーデン=バーデン)はドイツの指揮者。作曲活動、ピアノ演奏活動も行った。
カラヤンの前にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を務め、20世紀前半を代表する指揮者のひとりとされている。
ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー等のドイツ音楽の本流を得意とした。一般には後期ドイツ・ロマン派のスタイルを継承した演奏とされ、作曲家としても後期ドイツ・ロマン派のスタイルを継承したことから、ライバルのトスカニーニと対極に位置づけられることもあるが、「堅固な構築性をそなえた演奏を『ロマン主義的演奏』というだけで片付けてしまうのは軽率」とする見解もあり、またフルトヴェングラー自身は「後期ロマン主義者」と看做されることを極度に嫌い、「私はロマン主義者でも古典主義者でもない」と語ったともいわれる。主な称号はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員。


フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団によるベートーヴェン/交響曲第9番「合唱」は世界音楽遺産にすべきです。

フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団による1951年7月29日のライブ録音を超えるほど感動的なベートーヴェン/交響曲第9番「合唱」はないと断言できます。


そしてさらに第五の運命はスタジオ録音盤もよいが1947年5月27日、歴史的復帰演奏会3日目のライヴ録音を聞くと生きる希望と勇気を与えてくれます。しびれる~。

私はベートーヴェンの第五を個人的に「青春」と名付けています。

最初の動機「ジャ ジャ ジャ ジャ~ン♪~」は若者の湧き上がるエネルギーです。100m走でスタートラインについたときの心臓の鼓動です。

そして若者は人生において悩み、もがき、苦しみますが最後には歓喜の時がやってきます。

フルトヴェングラー指揮のベートーベンは人生に躓いて悩んでいるときにきっとビタミン剤となることでしょう。

 

☆彡1900年 石坂洋次郎[いしざか・ようじろう] (小説家『青い山脈』)戸籍上は1900/07/25[1986年10月7日歿]


★石坂洋次郎
石坂洋次郎いしざかようじろう(1900―1986)

小説家。明治33年1月15日(戸籍上は7月25日)青森県弘前(ひろさき)市に生まれる。旧制弘前中学校を経て1919年(大正8)慶応義塾大学文学部予科に入学。21年同郷の今井うらと結婚。25年大学を卒業、まもなく郷里の弘前高等女学校に奉職。

のち秋田県立横手高等女学校から県立横手中学校へ転任、通算13年間の教員生活を勤め、かたわら創作に専念する。処女作『海をみに行く』(1927)以後『三田文学』をおもな発表舞台としたが、33年(昭和8)5、6月の『若い人』によって作家的地位を確立。この完成は「出来るだけ一般の人々を喜ばせる」(『短い感想』)ことを目的とする石坂文学の開花を意味した。『麦死なず』(1936)、『何処(いずこ)へ』(1941)を経て第二次世界大戦後は、『青い山脈』(1947)、『陽(ひ)のあたる坂道』(1956~57)、『光る海』(1963)等の新聞小説に成功、映像化された作品も多い。これら「青春もの」といわれる諸作品は、無遠慮な口をきくが、相手に毒を感じさせない人物を登場させ、露骨でありながら、不潔感を抱かせない性描写を含む、という点で共通する。『わが日わが夢』(1946)、『石中先生行状記』(1948~54)等の異色作もある。昭和61年10月7日没。

作品の多くは青春小説の秀作として愛読されている。

【格言など】人は真理のみでは生きられない(「麦死なず」)


●代表作
陽のあたる坂道
石中先生行状記
光る海
何処へ
あいつと私
若い人
青い山脈
颱風とざくろ
美しい暦
暁の合唱
山の彼方に
わが愛と命の記録
女の顔
丘は花ざかり
白い橋
山と川のある町
ある日わたしは
寒い朝
あじさいの歌
河のほとりで
雨の中に消えて
風と樹と空と
金の糸・銀の糸
水で書かれた物語
だれの椅子?
etc.


受賞歴
1936年、第1回 三田文学賞:『若い人』
1966年、第14回 菊池寛賞

 

●1月25日の忌日
☆彡1970年 円谷英二[つぶらや・えいじ] (特撮映画監督『ウルトラマン』『ゴジラ』) <68歳>[1901年7月7日生]

★円谷英二
円谷 英二(つぶらや えいじ、本名:円谷 英一(つむらや えいいち)、1901年7月7日 - 1970年1月25日)は、福島県須賀川市生まれの特撮監督、映画監督、撮影技師、発明家、「株式会社円谷特技プロダクション」初代社長。旧制東京電機学校(現:東京電機大学)卒業。
概要

昭和における特殊撮影技術の第一人者であり、独自に作り出した技術で特撮映画界に多大な功績を残したことから特撮の神様と呼ばれる。円谷の人生は、活動大写真と呼ばれた明治時代の黎明期から、映画斜陽期を迎えた東宝解体までの日本映画界の歴史とそのまま重なっている。

 

☆彡1990年 エヴァ・ガードナー (米:女優) <67歳>Ava Gardner[1922年12月24日生]


Hollywood Legend Ava Gardner HD


★エヴァ・ガードナー
エヴァ・ガ-ドナー(Ava Lavinia Gardner、1922年12月24日 - 1990年1月25日)は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身の女優
生年月日 : 1922/12/24

■出身地 : アメリカ/ノースキャロライナ州スミスフィールド

■没年 : 1990/01/25

■本名はAva Lavinia Gardner。7人兄弟の末っ子。17歳でNYに嫁いだ姉を頼って移住。姉の夫(写真家)が撮った写真がMGMの目に止まり、41年に7年契約を交わし翌年映画デビュー。この年ミッキー・ルーニーと結婚し一躍話題になるが、映画のほうはサッパリで、43年離婚。

その後ハワード・ヒューズをその美貌でメロメロにした後、45年アーティ・ショウと再婚。46年には「殺人者」でようやく注目を受けたが実力が伴わず、その後も低迷し続け、47年離婚。しかしここで転機が訪れる。それが51年の「ショー・ボート」。

後に“これ一作に賭けた”と本人がいう通り、ここでの彼女は他の出演者を圧倒する存在感を出して一気にスター・ダムにのし上がった。

同年シナトラと結婚。以降、「モガンボ」でアカデミー主演賞にノミネートされ、54年には「裸足の伯爵夫人」に主演。その年シナトラと離婚。しかし、それ以後は年と共に人気も薄れ、スター・システムの衰退と同時にはじき出された恰好になってしまう。90年、肺ガンのためこの世を去った。

☆彡1999年 三木のり平[みき・のりへい] (喜劇俳優) <73歳>[1925年4月11日生]