風に吹かれて旅するブログ

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ボンカレーさん松山容子が復活 大塚食品が発売50周年の記念商品「ボンカレー50」を3月5日に発売予定 

大塚食品は22日、世界初の市販用レトルトカレーボンカレー」の発売50周年の記念商品「ボンカレー50」を3月5日に発売すると発表した。同様に30周年を迎えるエースコックのカップ麺「スーパーカップ」とのコラボ商品も売り出した。2018年中には鉄道や製パンなど様々な企業と連携した販促や新商品を打ち出していく。


 「今後の50年は100年ブランドへの第2ステージになる」。大塚食品の戸部貞信社長は都内で開いた記者会見で意欲を見せた。ボンカレー50は初代ボンカレーの特徴である小麦粉の香ばしさを生かしながら、牛肉を2倍に増やした。国産野菜の採用や電子レンジ調理対応など、ボンカレーの50年の進化を詰め込んだという。


 エースコックと共同開発したカップ麺「スーパーカップ1.5倍 ボンカレーゴールド」はカレーうどんカレーラーメンを22日に発売した。ボンカレーゴールドのいためたタマネギの甘みをきかせた。

 エースコックの村岡寛社長は「スーパーカップは業界初の大盛りカップ麺で、スナック菓子としての即席麺に新しい価値を加えた。歴史を作ってきた両者のコラボだ」と胸を張った。

 ボンカレー大塚ホールディングス前会長の故・大塚明彦氏が米軍の携帯食などを参考に開発、1968年2月に発売した。大塚グループが手がける点滴薬の滅菌技術を応用しており、69年にはアルミ製の袋を採用し、賞味期限を2年間に引き上げた。

 女優の松山容子さんを採用したパッケージも人気となり、73年には年間販売1億食を達成、50年間で約30億食を売り上げている。


ボンカレーCM 松山容子


ボンカレーCM 松山容子編

 1968年の発売以来、長らく「ボンカレー」(大塚食品)のパッケージモデルを務め、CMやホーロー看板でも知られる松山容子さんが22日、東京都内で行われたボンカレーの50周年記念イベントにビデオメッセージを送った。松山さんは「私にとりまして、ボンカレーとは、ほのぼのとした幸せを運んでくれる宝だったと思います」と、思いを語った。

 松山さんは「ずっと皆さんにボンカレーさんと呼ばれていましたので、それが大変うれしい」と笑顔。「お料理があんまり好きではない私にとって、うってつけのものだ。大変なお品ができ上がったものだ、と思いました」と、当時を振り返った。50周年を迎えたボンカレーについて「引退しましたらそれきりと思っておりましたけれど、ボンカレーさんが活躍してくれるので、今でも皆さんにお目にかかれる」といい、「いつまでも愛されるボンカレーを作り続けていただきたい。これからも、50年と言わず、100年も200年も、いえ、永久(とこしえ)に、ボンカレーが続いていきますように、心からお祈り申し上げております」とメッセージを送った。


ボンカレー50周年 看板女優の松山容子さんがコメント

 イベントでは、発売から50周年を迎えるレトルトカレーボンカレー」の歴史を振り返りながら、50周年記念の新商品と、同じく発売から30周年を迎えるエースコックのカップラーメン「スーパーカップ」とのコラボ商品が発表されたほか、お笑いコンビ「キャイ~ン」の天野ひろゆきさん、モデルで女優の河北麻友子さんも登場し、コラボ商品の調理実演と試食を行った。

現在東京をはじめ全国のスーパーでは、主力商品のボンカレーゴールド21とボンカレーネオの2つのシリーズのみ販売している。

 

ボンカレーは沖縄では1年中売られている?
具志堅用高沖縄県出身として登場し、沖縄県民は「全国では売っていない初代のボンカレーを食べている」と紹介した。秘密のケンミンSHOWで、取り上げられた。

 

中尾彬が2018年1月23日放送の『グッド!モーニング』で「女優の松山容子がパッケージデザインになっている初代のボンカレー」が沖縄では1年中売られていると語った。


沖縄県民は本当に初代のボンカレーを食べているのか?
沖縄県のスーパーや家庭を調査した結果、女優の松山容子がパッケージデザインになっている初代のボンカレーを普通に食べていることが判明した。

全国では定番のボンカレーゴールド21を実際に沖縄県民に見せると、多くの人が「知らない。これはボンカレーではない」と答え、初代のものの方が沖縄県民にはとって定番だった。
ではなぜ沖縄県だけで販売され続けているのか。

製造元である大塚食品の担当の方に聞いたところ、沖縄県では、初代ボンカレーボンカレーゴールド21の17倍も売り上げていたという。

そして沖縄県民は、初めに触れた商品を末永く愛する県民性のため、沖縄限定の商品として売り続けることになったそうだ。


ボンカレー(Bon Curry)は、大塚食品が発売するレトルトカレーの商品名で、同社の登録商標(日本第961090号)である。日本初のレトルト食品。甘口、中辛、辛口の三種類がある。現在の主流はフルーツベースのボンカレーゴールド、温色で描かれた同心円のパッケージで知られる。

商品名の由来はフランス語の形容詞 "bon" からきていて、「良い(優れた)、おいしい」という意味である。
一人暮らしの男性(独身)でも温めるだけで簡単に食べられることから「チョンガーカレー」という案もあった。


★松山 容子(まつやま ようこ、1937年11月30日 - )は、日本における昭和期に活躍した女優。本名・田中 曠子(旧姓・出井)。旧芸名は松山清子。愛媛県松山市出身。
1968年の「ボンカレー」(大塚食品)発売以来、長らくパッケージモデルを務め、CM、ホーロー看板でも知られる。


懐かしのヒロイン=月姫峠~松山容子~=

●略歴
愛媛県松山市で銀行を経営する名士の家に生まれる。愛媛県立松山南高等学校在学中、『アサヒグラフ』(1956年2月5日号)の表紙モデルを務めたのがきっかけで、松竹の役員の目にとまり、卒業と同時に松竹ニューフェイスとして入社。

1957年6月4日公開の『勢揃い桃色御殿』に新人女優・松山清子として、端役デビュー。11月19日公開の『侍ニッポン』で本格デビューを飾る。主に時代劇映画で活躍する。1959年、芸名を松山容子に改名。

1960年(昭和35年)、テレビドラマ『天馬天平』(日本電波映画 / フジテレビ)で演じた、男装で新撰組と闘う勤皇の姫君・千也姫役が評判となった。ちょうど『崑ちゃんのとんま天狗』(東宝 / 讀賣テレビ放送)の後番組の企画を練っていたスポンサーの大塚製薬がこの人気に着目、この千也姫をモチーフとして、松山を主演に「男を凌ぐ剣の腕をもつ若武者姿の姫君」を主役にしたドラマ企画を打診し、『琴姫七変化』(日本電波映画 / 讀賣テレビ)が製作された。

 

毎回若武者姿だけでなく、芸者、くノ一、鳥追い・・と、文字通り次々替わる「七変化ぶり」も相まって、番組は2年間にわたり継続され、その容姿と華麗な立ち回りから「アクション女優の先駆け」として人気を博す。その後も『旅がらすくれないお仙』(東映京都テレビプロダクション / NET)などに主演。その他、舞台や映画で活躍する。

1971年(昭和46年)3月、『くれないお仙』や主演映画『めくらのお市』シリーズの原作者である漫画家、棚下照生と結婚。人気の絶頂期に芸能活動を縮小〜休止し、事実上の引退となった。ただし、その後も稀にドラマ等にゲスト出演することがある。

・配偶者 棚下照生
・主な作品 琴姫七変化
・受賞 ブルーリボン賞 助演女優賞

 

具志堅用高
具志堅 用高(ぐしけん ようこう、1955年6月26日 - )は、日本の元プロボクサー、男性タレント。沖縄県石垣市出身。元WBA世界ライトフライ級王者。太田プロダクション所属。身長162cm 血液型A型。
2015年に国際ボクシング名誉の殿堂オールドタイマー部門に選出された。
ニックネームは「カンムリワシ」。生来のサウスポー(ただし、書き手は右手)。ボクシングスタイルはファイタータイプ。血液型A型。トレードマークは独特のアフロヘアー(天然ではない)と口髭。入場テーマ曲はメイナード・ファーガソンの「Conquistador」(征服者)。
協栄ジム初代会長の金平正紀が具志堅の世界初挑戦の時に「100年に一人の天才」というキャッチフレーズで売り出した。

 

★中尾 彬(なかお あきら、1942年8月11日[1] - )は、日本の俳優・タレント。千葉県木更津市出身。古舘プロジェクト所属。

前妻は茅島成美、現在の妻は池波志乃。義父は落語家10代目金原亭馬生、義祖父は5代目古今亭志ん生、義叔父は3代目古今亭志ん朝。姪の元夫は俳優の田宮五郎田宮二郎の次男)。身長175cm、血液型O型。

 

★『グッド!モーニング』は、テレビ朝日系列で2013年9月30日から生放送されている朝の情報番組である。

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