風に吹かれて旅するブログ (記念日&ハッピートーク)

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人はなぜ祈るのか、祈りは叶うのか? 渡辺和子著「どんな時でも人は笑顔になれる」より

☆彡今日のハッピー 一日一言 ハッピーを呼ぶヒント

 

人はなぜ祈るのか、祈りは叶うのか?

 

ある人が手紙で尋ねてきました。

「祈りを続けたら、その祈りは必ず神様に届くのでしょうか? 私は、今とても切なくつらいのです」

 

 人間関係で苦しんでいるのか、また恋人ができ、自分の思いが相手に伝わらなくて切ないのか?

 

短い手紙には何の説明もありませんでした。

 

 「祈り続けたならば、必ずその祈りは神様に届くと思います。でも、届くということは必ずしも願ったことが"叶えられる"ということではありません」。

 

このような返事を書きながら今更のように、私は祈るということはどういうことなのだろうかと考えさせられました。

 

「もし私が祈ったことが全部叶えられたら、どうなるのだろう」

「神様のお役目というのは、人間の願いを全部叶えることなのだろうか」

「二人の人が正反対のことをそれぞれ祈り続けたら、神様はどうなさるのだろうか」

「人間の意のままになる神様は果たして"神"であり得るのだろうか」

「いくら祈っても、所詮、神はご自分の好きなようになさるのだとしたら、祈っても、祈らなくても同じではないか」

 

このように次から次へと「なぜ祈るのか」「祈りとは何か」「人間の自由と神様のなさること」についての疑問がわいてきたのです。

 

確かに、キリストは
「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には
開かれます。」とおっしゃっています。
(ルカ11:9-10)


でも、この言葉には求めたもの、そのものが与えられると約束されていませんし、探したそのものが見つかるとも約束されていません。

 

むしろそのあとには
(イエスはこう言われた。)「あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょうか。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょうか。」 (ルカ 11:11-13)

 

と続く言葉があって、求めたものの「代わりに」何かを下さる可能性があることを示唆されています。

祈ることは大切なことです。しかし、「願う前に、その必要とするものを知っておられる」(マタイ6.8)天の父は、人間が願ったことをそのまま叶えることを持って、ご自分の、その人に対する愛の証、とはなさらないのです。

 

なぜならば、私たちはいつも、"欲しいもの"を願っているからであり、神様が私たちに叶えてくださるのは"必要なもの"だからだと思います。

 

☆彡『人は欲しいものを祈り願い、

         神様は必要なものを下さる』

祈り続けているのに、その願いがかなえられない人は、「切なくつらい思い」をすることが必要なのだと考えてみる。


Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。



以上は渡辺和子著「どんな時でも人は笑顔になれる」より一部抜粋&加筆

 

 

どんな時でも人は笑顔になれる

どんな時でも人は笑顔になれる

 

 


★渡辺 和子のプロフィール
渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン)。 学校法人ノートルダム清心学園理事長。北海道旭川市生まれ。
父は台湾軍司令官や陸軍教育総監を務めた渡辺錠太郎。1936年2月26日、陸軍将校の一部らが起こした軍事クーデター「2・26事件」で、父親が反乱軍の将校らに殺害される場面を9歳のときに自宅で目撃する。
「血の海の中で父は死にました。凄惨な死でございました」
渡辺さんは当時のことをエッセイ集『美しい人に』などでも書いているほか、講演などでも折に触れて当時の様子や、加害者の遺族との「和解」や「赦し」について語っていた。

◆略歴
1927年、北海道旭川市で出生。父親は当時、陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎で、53歳の時の子であった。4人兄姉の末っ子で次女。
1936年、成蹊小学校3年生で9歳の時に二・二六事件に遭遇。父の居間で、当時大将で教育総監だった父が青年将校に襲撃され、43発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。
成蹊小学校、雙葉高等女学校(現 雙葉中学校・高等学校)卒業。
1945年、18歳でキリスト教カトリック)の洗礼を受ける。1951年聖心女子大学に通いながら上智大学で文書作成のアルバイトをし、1954年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。
1956年、29歳でナミュールノートルダム修道女会に入会。
アメリカへ留学し、1962年6月にボストンカレッジ大学院で博士号(哲学)を取得したのち、同年9月にノートルダム清心女子大学教授に就任。
1963年に36歳という異例の若さで岡山県ノートルダム清心女子大学の学長に就任(1990年に退任)。長年にわたり教壇に立ち、学生の心を支え指導する。
1977年にはうつ病を患う。1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど多方面で活躍。著書も多数。
1990年にはノートルダム清心女子大学の名誉学長、及びノートルダム清心学園の理事長に就任。1992年~2001年には日本カトリック学校連合会理事長に就任した。
1996年、69歳の時にカルカッタの修道会本部を訪れる。
2012年に発売した著書『置かれた場所で咲きなさい』が、200万部を超えるベストセラーとなった。
2016年12月30日、膵臓癌により死去。89歳没。
 
◆受賞
1974年 - 岡山県文化賞(学術部門)を受賞
1979年 - 山陽新聞賞(教育功労)を受賞
1979年 - 岡山県社会福祉協議会より済世賞を受賞
1986年 - ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞を受賞
1989年 - 三木記念賞を受賞
2015年 - 広島大学のペスタロッチ賞を受賞[8]。
2016年 - 春の叙勲で旭日中綬章を受章[9]。
◆著書
『信じる「愛」を持っていますか』PHP研究所、1981年
『心に愛がなければ』PHP研究所、1986年
『現代の忘れもの』日本看護協会出版会、1989年
『愛をこめて生きる』PHP研究所、1989年
『愛することは許されること』PHP研究所、1999年
『目に見えないけれど大切なもの』PHP研究所、2003年
『愛と励ましの言葉366日』2004年、PHP研究所
『忘れかけていた大切なこと』2005年、PHP研究所
『「ひと」として大切なこと』PHP研究所、2005年 - 2003年刊行『人間としてどう生きるか』の改題版
『愛と祈りで子どもは育つ』2006年、PHP研究所
『美しい人に』PHP研究所、2008年
『幸せのありか』PHP研究所、2009年
『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎、2012年
『スミレのように踏まれて香る』朝日新聞出版、2012年 - 1970年刊行『人をそだてる』(サンパウロ)の改題、加筆修正版
『面倒だから、しよう』幻冬舎、2013年
『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所、2015年
『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP研究所、2017年
『あなたはそのままで愛されている』PHP研究所、2018年 - 遺稿集

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