風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

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まだ希望があるじゃないか、そして、勇気さえあれば何でもできるんだ♪~ 植西聡著「ひと言セラピー」より

☆彡今日のハッピー 一日一言 ハッピーを呼ぶヒント


☆彡つぶやくだけで「元気」になる一言

 

◆まだ希望があるじゃないか、そして、勇気さえあれば何でもできるんだ♪~

 アメリカで19世紀~20世紀にかけて生きたヘレン・ケラーという女性がいました。

彼女は、目が見えず耳も聞こえず、言葉も話せませんでした(三重苦)。

 でもね~

そのような状況にありながらも、人々のために尽くしました。

障碍者福祉のために、アメリカを拠点にし、世界中で活躍しました。

 

 ヘレン・ケラーは体に重い障害があるにもかかわらず、エネルギッシュに活動し、どうして人のために尽くすことができたのでしょうか?

 彼女自身が次のような言葉を残しています。

希望を持つことと、勇気を持つことが、人を成功に導くための原動力です。希望と勇気さえあればどんなことでも成し遂げられます。

「奇跡の人」W-A-T-E-R ウォーター み-ず 「水」 を初めて認識する場面


奇跡の人

「こういう夢を実現したい。この夢が実現出来たら、楽しいだろうな」と思う希望を持ち、それにチャレンジする勇気を持てば、どのような困難もタフに乗り切っていけます。

 希望を叶える勇気を持てば、素晴らしい人生を実現できると思います。

そういう生き方が、幸福な生き方になるのではないでしょうか♪~

 

☆彡今日の一言
何よりも大切なのは勇気です。そして、希望です。

チャップリン(ライムライト)


ライムライト テリーのテーマ

 

一度だけの人生、でもね リセットは何度でもOK♪~ 楽しまなくっちゃ♪~

 

Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。

 

以上は植西聡著「ひと言セラピー」より一部抜粋&加筆

ヘレン・ケラーのプロフィール
ヘレン・アダムス・ケラー(Helen Adams Keller、1880年6月27日 - 1968年6月1日)は、アメリカ合衆国の教育家、社会福祉活動家、著作家である。
視覚と聴覚の重複障害者(盲ろう者)の「三重苦」でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くした。

1882年 - 1歳半の時に高熱(現在では猩紅熱と考えられている)に伴う髄膜炎に罹患する。医師と家族の懸命な治療により一命は取り留めたものの、聴力と視力を失い、話すことさえできなくなった。そのため両親からしつけを受けることの出来ない状態となり、非常にわがままに育ってしまう。
1887年(7歳) - ヘレンの両親は聴覚障害児の教育を研究していたアレクサンダー・グラハム・ベル(電話の発明者として知られる)を訪れ、ベルの紹介でマサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校の校長マイケル・アナグノスに手紙を出し、家庭教師の派遣を要請した。3月3日に派遣されてきたのが、同校を優秀な成績で卒業した当時20歳のアン・サリヴァン(通称アニー)であった。サリヴァンは小さい頃から弱視であったため(手術をして当時はすでに視力があった)、自分の経験を活かしてヘレンに「しつけ」「指文字」「言葉」を教えた。おかげでヘレンはあきらめかけていた「話すこと」ができるようになった。サリヴァンはその後約50年に渡りよき教師、そしてよき友人としてヘレンを支えていくことになる。

1936年10月20日(56歳) - サリヴァンが死去。サリヴァンは亡くなる直前、サリヴァンが病床にあるという理由で岩橋武夫からの来日要請をためらっていたヘレンに「日本に行っておあげなさい」と遺言したという。
1937年(昭和12年)4月15日(56歳) - 浅間丸に乗りトンプソンとともに横浜港に到着し日本各地を訪問した。
4月16日、新宿御苑で観桜会が開催され、昭和天皇香淳皇后行幸。観桜会に出席したヘレンは、昭和天皇に拝謁した。
この訪日でヘレンは「日本のヘレン・ケラー」と言われた中村久子と会った。「彼女は私より不幸な人、そして、私より偉大な人」と賞賛した。
この訪日でヘレンは秋田犬を所望し、後に“カミカゼ”と“ケンザン”という名の2頭を贈られた。
東京盲学校(現:筑波大学附属視覚特別支援学校)、同志社女子大学近江兄弟社女学校(現:近江兄弟社高等学校)を訪問。
この訪日の時に、ヘレンは横浜港の客船待合室で財布を盗まれてしまう。そのことが新聞で報道されると、日本全国の多くの人々からヘレン宛に現金が寄せられた。その額はヘレンが日本を離れる時までに盗まれた額の10倍以上に達していた。
4月19日には大阪、4月30日には埼玉、そして5月に入ると日本各地を次々と旅して回った。
8月10日に横浜港より秩父丸に乗りアメリカへ帰国した。このときヘレンに連れられた愛犬カミカゼが、初めてアメリカに持ち込まれた秋田犬となる。カミカゼが他界した後、ケンザンもアメリカへ呼び寄せている。

政治的活動
ヘレンは福祉活動のみならず、広範囲な政治的関心を持って活動した女性であった。当時としては先進的な思想を持ち、男女同権論者として婦人参政権、避妊具の使用を主張した。また、人種差別反対論者であり、過酷な若年労働や死刑制度、そして第一次世界大戦の殺戮にも反対した。

著書
The Story of My Life(1903年
『わが生涯』(1907年、皆川正禧訳、内外出版協会)
『我身の物語 ヘレン・ケラー嬢自叙伝』(1912年、三上正毅訳 東京崇文館書店)
『わたしの生涯』(1966年、岩橋武夫訳、角川文庫)
『奇蹟へのあゆみ』(1968年、川西進訳、筑摩書房「現代世界ノンフィクション全集 第14」)
『ヘレン=ケラー自伝』(1972年、今西祐行訳、少年少女講談社文庫)
『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』(2004年、新潮文庫、小倉慶郎訳) ISBN 4-10-214821-3
The Story of My Life,Midstream(1929年)の翻訳。
My religion(1927年)
『我宗教』(1933年、土居米造訳、東京新教會出版部)
『わたしの宗教』(1971年、鳥田四郎訳、新教会)
『わたしの宗教』(1976年、柳瀬芳意訳、静思社)
『光の中へ』(1992年、鳥田恵訳、めるくまーる)
楽天主義』(1907年、塚原秀峰訳、内外出版協会)
楽天主義』(2005年、岡文正監訳、サクセス・マルチミディア・インク)
『奇跡の人の奇跡の言葉』(2006年、高橋和夫・鳥田恵共訳、エイチアンドアイ)

チャップリンのプロフィール
“チャーリー”サー・チャールズ・スペンサー・チャップリン(Sir Charles Spencer "Charlie" Chaplin, KBE、1889年4月16日 - 1977年12月25日)は、イギリス出身の映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家、映画プロデューサー、作曲家である。

生涯
映画の黎明期において、数々の傑作コメディ映画を作り上げ、「喜劇王」の異名をもつ。同年代に活躍したコメディアン、バスター・キートンハロルド・ロイドと並び、「世界の三大喜劇王」と呼ばれる。チャップリンは、ハリウッドにおいて極めてマルチな才能を示した人物であり、徹底した完璧主義で知られていた。その作品は、ユーモアの陰に鋭い社会諷刺、下町に生きる庶民の哀愁や怒り、涙までも描かれているため、純粋に笑いのみを追求する他のコメディアンとは一線を画す存在であることは特筆すべきである。各種メディアを通じ、現在においても彼の姿や作品に触れることは容易である。 今以て研究が続けられ、作品の修復プロジェクトは進行中である。関連書やオリジナルグッズも多く発売され、新発見と驚きでファンを魅了し続ける。

1932年(昭和7年)5月14日に初来日。東京駅には推定4万人の群衆が押し寄せた。
1936年(昭和11年)3月に再来日。ユナイト映画の大阪支社に勤務していた淀川長治が、神戸港に停泊するクーリッジ号で、45分の単独インタビューに成功。同年5月には、当時の愛人ポーレット・ゴダードとの新婚旅行を兼ねた世界漫遊の途中で3度目の来日。
戦後は1961年(昭和36年)7月にウーナ夫人、長女のジェラルディン、長男のマイケルを連れて4度目の来日。通訳を務めたのは山口淑子

ジャンル 映画
活動期間 1895年 - 1976年
配偶者
ミルドレッド・ハリス(1918年 - 1920年
リタ・グレイ(1924年 - 1928年)
ポーレット・ゴダード事実婚)(1936年 - 1942年)
ウーナ・オニール(1943年 - 1977年)

主な作品
『キッド』
『黄金狂時代』
『街の灯』
『モダン・タイムス』
『独裁者』
『ライムライト』

 

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受賞
アカデミー賞 特別名誉賞 1929年『サーカス』
1972年 作曲賞
1972年『ライムライト』
セザール賞
オマージュ
1977年、1987年
その他の賞
NY批評家協会賞
1940年 男優賞(『独裁者』)
ヴェネツィア国際映画祭
1972年 栄誉賞


★植西聡
植西 聰(うえにし あきら、1947年-)は、東京都出身の日本の著述家、産業カウンセラー、心理カウンセラー。
自己啓発に関する著書を多数発表している。
◆略歴
学習院大学卒業後、資生堂に勤務。
独立後、人生論の研究に従事。
独自の『成心学』理論を確立し、人々を明るく元気づける著述を開始。
1995年、「産業カウンセラー」(労働大臣認定)を取得。
◆著書(ベストセラー本)
『折れない心をつくるたった1つの習慣』(青春出版)
『平常心のコツ』(自由国民社
『「いいこと」がいっぱい起こる!ブッダの言葉』(三笠書房・王様文庫)
『話し方を変えると「いいこと」がいっぱい起こる』(三笠書房・王様文庫)
『マーフィーの恋愛成功法則』(扶桑社文庫)
『ヘタな人生論よりイソップ物語』(河出書房新社
『カチンときたときのとっさの対処術』(ベストセラーズ・ワニ文庫)
『運がよくなる100の法則』(集英社・be文庫)
『運命の人は存在する』(サンマーク出版

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