風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

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3月28日はシルクロードの日、三ツ矢の日・三ツ矢サイダーの日、スリーマイル島記念日、グリーンツーリズムの日、八幡浜ちゃんぽん記念日、鑑三忌などの日(また会う日まで♪~)

2019年3月28日は何の日?

 

3月28日はシルクロードの日、三ツ矢の日・三ツ矢サイダーの日スリーマイル島記念日、グリーンツーリズムの日、八幡浜ちゃんぽん記念日、鑑三忌などの日です。


●『シルクロードの日』 : 
今から2,000年前、中国の「敦煌」から砂漠を西に16日ほど進むと、かつてあったロプ・ノール湖のほとりに「楼蘭(ろうらん=Loulan)」というシルクロードのオアシス都市がありました。
楼蘭はいつしか荒れ果て、砂漠の中に消えてしまいましたが、1900(明治33)年のこの日、スウェーデンの探検家で地理学者の「スウェン・ヘディン」によって廃墟になっていた、シルクロードの古代都市「楼蘭」が発見されました。

シルクロードと日本
日本には、奈良の正倉院に中国製やペルシア製の宝物が数多く残っており、天平時代に遣唐使随行してペルシア人の李密翳[5](り・みつえい)が日本に来朝したことに関する記録なども残されている。当時の日本は唐代の東西交通路の東端に連なっていたと認識されており、摂津国の住吉津(現在の大阪市住吉区)は「シルクロードの日本の玄関」、飛鳥京平城京は「シルクロードの東の終着点」と呼ぶことがある。なお、ユーラシア交易と直接的な関係はないが、幕末から明治にかけて、日本の主要な輸出品であった絹を横浜港に運ぶ交易路が存在し、その集積地があった八王子から横浜にかけての道が「絹の道」や「シルクロード」と呼ばれることもある。

シルクロードに関しては近年の日本における学校教育でも取り上げられていたが、歴史やヘディンの著書などに関心を持つ一部の人たち以外には、さほど興味を引く存在ではなかった。しかし、中華人民共和国との文化交流が進む過程でNHK中国中央電視台とともに1980年に共同制作した『NHK特集 シルクロード-絲綢之路-』によって、喜多郎のノスタルジックなテーマ音楽とともに、一躍シルクロードの名が広く知れ渡ることとなった。日本ではシルクロードという語は独特のエキゾチシズムやノスタルジアと結びついており、西安や新疆、ウズベキスタン、イラン、トルコなどへの海外旅行情報やツアーの広告には必ずと言ってよいほど「シルクロード」という言葉が記されている。この80年代の「シルクロードブーム」を受け、1988年に日中両政府は日中友好環境保護センターの設立を決定した。また、シルクロード世界遺産登録をユネスコに中国政府とともに働きかけた平山郁夫平山郁夫シルクロード美術館を設立している。


●『三ツ矢の日・三ツ矢サイダーの日』:三ツ矢サイダーを製造販売するアサヒ飲料が制定。 


「み(3)つ(2)や(8)」の日。
古くから親しまれている日本を代表する清涼飲料水で、清く、涼しく、気持ちがスーッと澄みわたる国民的炭酸飲料として知られる「三ツ矢サイダー」を製造販売する食品飲料メーカーが制定。
三ツ矢サイダー」は磨かれた水、果実などから集めた香料のみを使い、非加熱製法の爽やかな味わいで、保存料を一切使わない安心安全な透明炭酸飲料です。
◆歴史
三ツ矢サイダーの起源は、明治時代に宮内省兵庫県多田村平野(現在の川西市平野3-23-1)の平野鉱泉を用いて炭酸水の御料工場を建てたことから始まった。その後、工場は三菱に払い下げられ、明治屋が権利を得て、1884年に「三ツ矢平野水(みつやひらのすい)」として販売した。平野水は夏目漱石の『行人』、『思い出す事など』にも登場し、また、1897年には皇太子時代の大正天皇の御料品に採用された。1907年には「帝国礦泉株式会社」(経営者・平賀敏)が設立され、従来の平野水を元に、砂糖を煮詰めたカラメルや、イギリスから輸入したサイダーフレーバーを加えた「三ツ矢印 平野シャンペンサイダー」が発売された。1909年に「三ツ矢シャンペンサイダー」に改称した。


●『スリーマイル島記念日・スリーマイルデー(Three Mile Island Day)』: 
1979(昭和54)年のこの日、アメリカ・ペンシルベニア州の「スリーマイル島原発」で放射能漏れ原発事故が発生しましたが、幸い被爆者はいませんでした。
この重大な事故を忘れないよう教訓とする日です。
※この事故は、1957(昭和32)年に起きた世界初の原子炉事故、英国北西端カンブリア州の「ウィンズケール原発(現、セラフィールド核燃料再処理工場)」火災事故に次ぐ事故でした。
セラフィールド事故では、数十人が被曝し白血病で死亡しています。

●『グリーンツーリズムの日』 :
グリーンツーリズムの発祥の地といわれる大分県宇佐市に本拠を置き、大分県各地で活動を行う特定非営利活動法人大分県グリーンツーリズム研究会が制定。
グリーンツーリズム」とは農山漁村地域において、自然、文化、人々との交流を楽しむ滞在型の余暇活動の事で、その振興と発展を目的としています。
日付は、1996(平成8)年の「大分県安心院グリーンツーリズム研究会」が発足した日に因んでいます。

 

●『三つ葉の日』と言われています。
日付は 『み(3)つ(2)ば(8)』 の語呂合せから。
制定した団体などは不明である。

●『みつばち保険ファームの日』 :
来店型保険ショップを全国展開する会社が、自社の保険ショップブランドであるみつばち保険ファームが、2010(平成22)年4月に100店舗の出店を達成し、「あなたの保険相談窓口」として更に発展を目指して制定。日付は、み(3)つ(2)ばち(8)の語呂合わせからです。

●『八幡浜ちゃんぽん記念日(愛媛県八幡浜市)』 :
愛媛県八幡浜市が市民のソウルフードである「八幡浜ちゃんぽん」でまちを元気にする目的で制定。
八幡浜ちゃんぽん物語 オフィシャル動画
市では商工観光課に「ちゃんぽん係長」を配置したり、「八幡浜ちゃんぽん振興条例」を設ける等、八幡浜ちゃんぽんの知名度向上に取り組んでいます。
日付は、旧八幡浜市と旧保内町が合併した2005(平成17)年3月28日に因んでいます。「八幡浜ちゃんぽん」は、鶏ガラ・鰹・昆布などでダシを取った黄金色のスープで、あっさりとした風味が特徴です。
魚のまち八幡浜らしく特産品の蒲鉾・じゃこ天などの水産練製品が具材として使われています。

※京都裏千家利休忌
※宗因忌
江戸前期の連歌師俳人の西山宗因の1682(天和2)年の忌日。
井原西鶴の師としても知られ、俳壇の中心的存在として活躍した。

 

※鑑三忌
明治・大正期のキリスト教の代表的指導者・内村鑑三(1861-1930)の忌日。内村はどの教会にも入らず、聖書の教えに忠実に行動した。内村鑑三の1930(昭和5)年の忌日。
1891(明治24)年に信仰上の立場から教育勅語に対する敬礼を拒否して第一高等中学校講師の職を追われて以来著述に専念した。雑誌『聖書之研究』を創刊し、聖書に基づく無教会主義を唱えた。英文による『余は如何にして基督信徒となりし乎(How I become a Christian)』は数か国語に翻訳された。

内村鑑三と㈱十字屋について
今は亡き㈱十字屋(大正12年12月神奈川県平塚市において、衣料品、身のまわり品の小売業を営む十字屋呉服店として創業 本社は東京浅草橋)という小売業があったが内村鑑三の思想を小売業に具現化したものと言われている。
㈱十字屋初代社長は内村鑑三内弟子「山藤章七」であった。
「奉仕に開けて奉仕に暮れる」。がモットーで、週一で牧師さんを招き、聖書集会を開くという熱心ぶりであった。十字屋のロゴマークの+は十字架を表している。

 

 神ともにいまして ゆく道を守り・・・ また会う日まで♪~(#405)


【十字屋山形店閉店】営業最終日 2018/1/31

 

※邂逅忌
小説家・椎名麟三の1973(昭和48)年の忌日。長編作品『邂逅』から邂逅忌と呼ばれる。
椎名麟三を偲ぶ会主催の追悼会が行われる。
椎名麟三[生]1911.10.1. 姫路[没]1973.3.28. 東京
椎名 麟三(しいな りんぞう、1911年10月1日 - 1973年3月28日)は、日本の小説家である。本名は大坪 昇(おおつぼ のぼる)。
小説家。本名,大坪昇。職業を転々とする下積みの青春時代を過した。敗戦後の現実を背景に人間存在や思想の意味を懐疑し,現代における生の可能性を問うという実存的なテーマの『深夜の酒宴』 (1947) ,『重き流れのなかに』 (47) でたちまち戦後派文学の代表作家と目された。


☆彡毎月28日は、
●『鶏の日』 :
「に(2)わ(8)とり」の日。
鶏卵・鶏肉の消費拡大を目的に「日本養鶏協会等」が1978(昭和53)年6月に制定。 
※人間とニワトリの関わりはすでに5,000年以上にもなります。
古くは時を告げる鳥として、「時告げどり」と呼ばれていました。

●『にわとりの日』
ケンタッキーフライドチキンが制定。
28日は日々の感謝を込めて特別価格のセット商品「とりの日パック」が販売される。
日付は『に(2)わ(8)とり』の語呂合わせから。

 

●『三宝荒神の縁日』 :
※「三宝荒神(さんぼうこうじん、さんぽうこうじん)」は、関東ではあまり知られていませんが、日本特有の神・仏教における信仰対象の一つです。

 

●『不動明王の縁日』 :
※日本では密教の隆盛とともに信仰を集める様になりました。

 

☆彡毎月8日・18日・28日は、
●『お米の日』 : 
米の記念日です。
制定した機関や由来は明確ではないですが、米という漢字を分解すると「八十八」となる事、米は収穫するまでに88の作業を要するとされる事等が根拠として挙げられています。

 

●『鬼子母神の縁日』 :
「鬼子母(きしぼ)神」は仏教諸神の一つです。

☆彡3月28日の『誕生花』:
スノーフレーク  花言葉は純潔
ヤマブキ(山吹)  花言葉は気品、待ちかねる
タツタソウ(竜田草)  花言葉は遠慮
ツゲ(黄楊)  花言葉は堅固、堅忍、禁欲主義、淡白
ハナエンジュ(花槐)  花言葉は上品
ハリエンジュ(針槐)  花言葉は慕情
エビネ(海老根)・Ebine 花言葉は「謙虚・誠実」
サクラ(桜)・Cherryblossom 花言葉は「精神の美しさ」
ライラック・Lilac 花言葉は「愛の芽生え・初恋の思い出」です。

 

☆彡3月28日誕生石は「ピンク・ゴールド」石言葉:愛の訪れ、引き付ける魅力


☆彡3月の誕生石はアクアマリン、ブラッドストーン、コーラル


☆彡今日誕生日の人の一言 マクシム・ゴーリキー(作家)


『信じるのだ。こんなちっぽけな人間でもやろうとする意志さえあれば、どんなことでもやれるということを。』

マクシム・ゴーリキーのプロフィール
マクシム・ゴーリキー(Макси́м Го́рький, 旧綴: Горькій, 1868年3月28日(ユリウス暦3月16日) - 1936年6月18日)は、ロシアの作家。本名はアレクセイ・マクシーモヴィチ・ペシコフ(Алексе́й Макси́мович Пешко́в)。ペンネームのゴーリキーとはロシア語で「苦い」の意味。社会主義リアリズムの手法の創始者であり、社会活動家でもあった。

幼児に両親を失い職業を転々とし、国内放浪中の1892年、処女作「マカール・チュドラ」をマクシム・ゴーリキーの筆名で発表。1901年発表の「海燕の歌」では迫り来る革命の嵐を予言し、同年の戯曲「小市民」では劇作家としても名声を得る。’02年科学アカデミー名誉会員に推薦されたが、皇帝から拒否される。’06年アメリカに亡命し、’13年の大赦で帰国。その後、’21年から肺結核の療養のため、イタリアとソ連を往復し、’33年帰国。’34年ソ連作家同盟結成に尽力。

ジャンル 小説 戯曲 詩 ノンフィクション
文学活動 ロマン主義 社会主義リアリズム
代表作 どん底 海燕の歌
主な受賞歴 レーニン勲章
デビュー作 マカル・チュドラ

作品
小説
マカル・チュドラ(1892年)
チェルカシュ(1895年)
フォマ・ゴルデーエフ(1899年)
母(1907年)… 1926年にフセヴォロド・プドフキン監督により映画化される。
戯曲
どん底(1902年)
叙事詩
海燕の歌(1901年)


以上はナイツ社編 「365日名言の旅」より一部抜粋&加筆


4月の行事・暦・祭り(2019年・平成31年

1日(月)エイプリルフール

5日(金)清明

7日(日)世界保健デー

8日(月)花祭り

13日(土)十三参り 長浜曳山まつり(→16日)

14日(日)春の高山祭山王祭)(→15日)

17日(水)春土用入り

18日(木)春土用の間日

19日(金)古川祭(→20日

20日(土)穀雨

27日(土)春土用の間日

29日(月・祝)昭和の日

30日(火・休)退位礼正殿の儀 春土用の間日

4月の他の別名 陰月(いんげつ)卯花月(うのはなづき)鳥來月(とりくづき)花残月(はなのこりづき)清和月(せいわづき)