風に吹かれて旅するブログ (記念日&ハッピートーク)

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人を許したとき許した人は自由になれる。人と人の間を美しく見よう♪~ 渡辺和子


☆彡「天使のハッピートーク・ 一日一言 」幸せ探しへの誘い編

☆「人は不完全なもの」

🌟人を許したとき許した人は自由になれる。

          「人と人の間を美しく見よう」

八木重吉は謳っていますいます。

人と人の間を美しく見よう

私と人の間を美しく見よう

疲れてはならない

人間関係は難しいものです。

 重吉は決して人間関係を美化しようとしているのではなく、わざと曲解したり、こだわったり、いらないおせっかいをすることなく、人間の不完全さをしっかり心に刻み、自分の罪深さも自覚したうえで、人と人との間を美しく見ようといっているのです。

 「許す」為の工夫も必要です。

例えば許せない行為に出会った時、もし自分が相手の立場に置かれたら、もっとひどいことをしたかもしれないと想像すると、なんとなく、いきり立っていた自分がおかしくなって、相手を容認しやすくなります。

 また、キリストでさえ、ひどい仕打ちにあったのだから、私のようなものが受けるのは当たり前と考えることもできるし、苦労して初めて人間は成長するのだ、有難い、と考えることもできるでしょう。

 いずれにしても「疲れてはならない」のです。

 しかし、疲れます。

 特に、自分がこんなに苦労して、私と人との間を美しくしようとしているのに、その相手が少しも努力していないようなとき。

 そんな時、私は「疲れてはダメ」と自分に向かって呟くのです。


☆彡今日の一言
①理不尽な相手は無視するのではなく、距離を置いてみよう♪~

 

②人間関係を、曲解やこだわりで、余計にこじらせない。

 

③キリストでさえ、ひどい仕打ちを受けたのだから、私(渡辺和子・私達)が受けるのは当たり前。

 

④どうしても許せない時、許せない自分を赦す。


以上は渡辺和子著「幸せはあなたの心が決める」よりは一部抜粋&加筆

八木重吉のプロフィール
八木 重吉(やぎ じゅうきち、1898年2月9日 - 1927年10月26日)は、日本の詩人、英語科教師。生前に刊行した詩集は1冊のみで昭和初期に若くして病没したが、死去から約20年が経過した太平洋戦争後にクリスチャン詩人としての評価が高まった。

東京府(現,町田市)の生れ。農家の次男に生まれ1921年春,東京高師卒業後,兵庫県御影師範の英語教師となる。19年に受洗していたが,その後,内村鑑三の影響により無教会主義の信仰に近づく。22年島田とみと結婚,このころより詩と信仰の合一を目ざしての精進がつづけられる。25年処女詩集《秋の瞳》を刊行,《日本詩人》その他の誌上に作品の発表をみるようになる。この間25年には千葉県立東葛飾中学に転任したが,翌年から病臥。

作品の特徴
短い詩が多いのが特徴であり、103篇をおさめた『貧しき信徒』には、10行を超えるものは2つしか見られない。中には「木に眼が生つて人を見てゐる」(冬)、「神様 あなたに会ひたくなつた」(無題)のような一行詩もある。
この詩集には、長女・桃子が何回も登場するように、幸福な家庭生活を描いたものも散見される。晩年の作品には母親への言及が増え[55]、『貧しき信徒』では桃子・妻・母という「三人の女性」を詠んだ作品が目に付く点を澤村修治は「見のがしてはならない」としている

 


【紹介】幸せはあなたの心が決める (渡辺 和子)

★渡辺和子のプロフィール
渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン)。 学校法人ノートルダム清心学園理事長。北海道旭川市生まれ。
父は台湾軍司令官や陸軍教育総監を務めた渡辺錠太郎。1936年2月26日、陸軍将校の一部らが起こした軍事クーデター「2・26事件」で、父親が反乱軍の将校らに殺害される場面を9歳のときに自宅で目撃する。
「血の海の中で父は死にました。凄惨な死でございました」
渡辺さんは当時のことをエッセイ集『美しい人に』などでも書いているほか、講演などでも折に触れて当時の様子や、加害者の遺族との「和解」や「赦し」について語っていた。


 
◆略歴
1927年、北海道旭川市で出生。父親は当時、陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎で、53歳の時の子であった。4人兄姉の末っ子で次女。
1936年、成蹊小学校3年生で9歳の時に二・二六事件に遭遇。父の居間で、当時大将で教育総監だった父が青年将校に襲撃され、43発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。
成蹊小学校、雙葉高等女学校(現 雙葉中学校・高等学校)卒業。
1945年、18歳でキリスト教カトリック)の洗礼を受ける。1951年聖心女子大学に通いながら上智大学で文書作成のアルバイトをし、1954年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。
1956年、29歳でナミュールノートルダム修道女会に入会。
アメリカへ留学し、1962年6月にボストンカレッジ大学院で博士号(哲学)を取得したのち、同年9月にノートルダム清心女子大学教授に就任。
1963年に36歳という異例の若さで岡山県ノートルダム清心女子大学の学長に就任(1990年に退任)。長年にわたり教壇に立ち、学生の心を支え指導する。
1977年にはうつ病を患う。1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど多方面で活躍。著書も多数。
1990年にはノートルダム清心女子大学の名誉学長、及びノートルダム清心学園の理事長に就任。1992年~2001年には日本カトリック学校連合会理事長に就任した。
1996年、69歳の時にカルカッタの修道会本部を訪れる。
2012年に発売した著書『置かれた場所で咲きなさい』が、200万部を超えるベストセラーとなった。
2016年12月30日、膵臓癌により死去。89歳没。

 

※オマケ 渡辺和子のお話


キリストの香り(11) - 赦し

 
◆受賞
1974年 - 岡山県文化賞(学術部門)を受賞
1979年 - 山陽新聞賞(教育功労)を受賞
1979年 - 岡山県社会福祉協議会より済世賞を受賞
1986年 - ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞を受賞
1989年 - 三木記念賞を受賞
2015年 - 広島大学のペスタロッチ賞を受賞[8]。
2016年 - 春の叙勲で旭日中綬章を受章[9]。
◆著書
『信じる「愛」を持っていますか』PHP研究所、1981年
『心に愛がなければ』PHP研究所、1986年
『現代の忘れもの』日本看護協会出版会、1989年
『愛をこめて生きる』PHP研究所、1989年
『愛することは許されること』PHP研究所、1999年
『目に見えないけれど大切なもの』PHP研究所、2003年
『愛と励ましの言葉366日』2004年、PHP研究所
『忘れかけていた大切なこと』2005年、PHP研究所
『「ひと」として大切なこと』PHP研究所、2005年 - 2003年刊行『人間としてどう生きるか』の改題版
『愛と祈りで子どもは育つ』2006年、PHP研究所
『美しい人に』PHP研究所、2008年
『幸せのありか』PHP研究所、2009年
『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎、2012年
『スミレのように踏まれて香る』朝日新聞出版、2012年 - 1970年刊行『人をそだてる』(サンパウロ)の改題、加筆修正版
『面倒だから、しよう』幻冬舎、2013年
『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所、2015年
『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP研究所、2017年
『あなたはそのままで愛されている』PHP研究所、2018年 - 遺稿集

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