風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

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4月13日は喫茶店の日、浄水器の日ですが西城秀樹の還暦の祝いの日です。ヤングマンよ永遠なれ! Y・M・C・A♪~

4月13日は喫茶店の日、決闘の日、水産デー、浄水器の日などの記念日です。

○喫茶店の日

1888年のこの日、東京・上野に日本初の喫茶店「可否茶館」が開業した。

1階がビリヤード場、2階が喫茶室の2階建て洋館で、1杯2銭の牛乳よりも安い1銭5厘で提供していたが、5年で閉店した。

○決闘の日

慶長17(1612)年旧暦4月13日、美作の浪人・宮本武蔵と細川家指南役・佐々木小次郎の決闘が、豊前小倉沖の無人島・巌流島(舟島)で行われた。

○水産デー

大日本水産会(大水)が1933年5月に制定。

1901年のこの日、旧「漁業法」が制定された。

現在では記念日の活動は特に行われていない。
関連サイト •大日本水産会 http://www.suisankai.or.jp
関連記念日 •漁業法記念日 <3月13日>

浄水器の日

浄水器協会が制定。

四(よ)一(い)三(み)で「よいみず」(よい水)の語呂合せ。

そして

1955年上沼恵美子(海原千里)[かみぬま・えみこ] (タレント,漫才師(海原千里・万里[解散]))
1955年森口祐子[もりぐち・ゆうこ] (ゴルフ)
1955年西城秀樹[さいじょう・ひでき] (歌手,俳優)らの誕生日です。

西城秀樹について
先日同窓会コンサートというイベントがあった。

BS朝日
 放送日:平成27年4月6日(月)
 放送時間:21時~23時

好きな歌手としてはあべ静江伊藤咲子、LILIES(リリーズ)が出演していた。

最期に西城秀樹のヤングマンで締めくくった。
口パグではなく、声は出ていたと思う。ただ最期は出演者に支えられてステージを終えた。

 

西城秀樹は振り返ってみると1955年4月13日生まれで60歳。
還暦なのである。今の60歳はまだまだ若いはずなのだが西城秀樹は不運にも脳梗塞を発症。

脳梗塞で最初に倒れたのが03年。このときは短期間の療養で復帰を果たした。しかし8年後の11年、再び病魔が彼を襲った。


西城秀樹は「自死も考えた…」らしい。
絶望の日々から彼を立ち直らせたのは、18歳年下の夫人、長女、長男、二男の家族一丸となっての支えだった。

家族に支えられながら、脳梗塞後遺症と闘い歌手としての活動も再開。4月には、8年ぶりの新曲『蜃気楼』を含む、還暦記念アルバム『心響(こどう)』をリリース予定だ。

こういうスターの出演には賛否両論がつき物である。
もう止めたほうがいいという人もいれば最後まで歌い続けてほしいという人もいることだろう。

私はボロボロになっても歌い続けてほしいと思う一人である。
なぜならば西城秀樹の時代は私の青春そのものだから。
我が青春の日の思い出を消さないでほしい。

 

西城秀樹よ苦しくともリハビリをして元気な姿で「ヤングマン♪」を歌ってくれ~。

Y・M・C・A・♪~

{ オマケの話}

長岡三重子(ながおかえみこ)さんが100歳で水泳1500メートルの世界新記録を達成。1時間15分台で完泳。

「目標がある事が大事」
「苦は楽のため。つらいのは良い薬。
楽ばかりしていると、ろくなことはない」
「幸福感があるから長生きできる。達成する場面を持つといい」という名言を残す。

長岡三重子(ながおかえみこ)

1914年(大正3年)生まれ
山口県周南市出身
徳山女学校卒
座右の銘は「為せば成る」
1938年、山口県田布施町の長岡家に嫁ぐ
1968年、夫の没後、53歳で卸問屋を継ぎ、約40年間暖簾を守り続ける
80歳の時に膝を痛め、リハビリのために水泳を始める
現在26種目で世界記録を保持している。

西城秀樹はまだ60歳、再青春時代! 燃え尽きるまでがんばってほしい。


■Hit Song JAPAN 昭和『同窓会コンサート』
~あの日に帰る歌がある~

出演者 :西城秀樹・尾藤イサオ・加橋かつみ山田パンダ

    ・晃(フィンガー5)・今陽子あべ静江

    ・西口久美子(青い三角定規)・伊藤咲子・LILIES(リリーズ)

     其の他

『昭和のヒットソングが今 !! 同窓会コンサート』
BS朝日
 放送日:平成27年4月6日(月)
 放送時間:21時~23時

 

西城秀樹
西城 秀樹(さいじょう ひでき、1955年4月13日 - )は、日本の歌手、俳優。本名は木本 龍雄(きもと たつお)。広島県広島市出身。アースコーポレーション所属。身長181cm。

出生名
木本 龍雄

出生
1955年4月13日(60歳)

出身地
日本の旗 日本・広島県

学歴
明治大学付属中野高等学校定時制卒業

ジャンル
J-POP

職業
歌手

活動期間
1972年 -

レーベル
ビクター音楽産業
(1972年 - 1975年)
RVC
 (1975年 - 1987年)
BMGビクター
(1987年 - 1999年)
キングレコード
(1999年)
ポリドール
(1999年 - 2001年)
ユニバーサルミュージック
(2002年 - 2013年)
Battle Cry Sound
 (2015年 - )
 

事務所
アースコーポレーション

脳梗塞からの復帰
2003年、ディナーショーのため訪れていた韓国で脳梗塞を発症。朝に症状がありながら、その夜のディナーショーをやり通して、さらに空路帰国して入院。懸命のリハビリにより1か月で復帰会見に臨んだが、実は一部声帯の神経をやられ、歌手にとっては致命的ともいえる歌どころか言葉自体を正確に発することができない構音障害を発症しており、引退を発表するつもりだったという。「すぐに結論を出さずゆっくり直していけば」という夫人の言葉で、芸能活動を継続しながら回復に励む道を選ぶ。その年『Forever '70s 〜青春〜 伝説のステージ』に出演するも、「ボロボロだった。」と振り返っている。

2004年、著書『あきらめない 脳梗塞からの挑戦』 (リベロ) 発売。自分の闘病体験が同じ病気を患った人たちへの役に立てればと、医療関係のシンポジウムなどでの講演も積極的に行う。無くした声帯の神経の周辺の神経を刺激し鍛えるボイストレーニング法に取り組み、2006年、脳梗塞発症以来3年ぶりのシングル「めぐり逢い/Same old story 〜男の生き様〜」発売。その後も徐々に回復傾向に向かい、年々コンサート本数も増えていた。

しかし、2011年に脳梗塞が再発していることが判明、東京都内の病院で入院する。右半身麻痺の後遺症が残ったが、リハビリに水中運動を取り入れ、筋力をつけることで立つことには支障が無くなり、再びステージに立つまでに回復した。