11月25日は何の日?
11月25日はOLの日、先生ありがとうの日、バイラルの日、金型の日、ハイビジョンの日、等の日です。
●『OLの日』 :
初めて「OL」という言葉が1963(昭和38)年11月25日号の女性週刊誌に載った事を記念して、働く女性の異業種間交流サークル「OLネットワークシステム」が1994(平成6)年に制定。
それ迄は、「OL」の事を「BG(Business Girl)」と呼んでいましたが、アメリカの隠語で「商売女・娼婦」という意味がある事が判り、1963(昭和37)年9月12日にNHKが放送禁止用語としました。
そこで、この女性週刊誌社が一般公募し「BG」に代る新しい言葉を「OL(Office Lady)」としました。
●『先生ありがとうの日』 :
先生に感謝の気持ちを伝えるのは終業式や卒園式などのお別れの場面がほとんどで、日常生活で伝える機会は少ない事から、ある新聞社が制定。
先生に「ありがとう」のメッセージを伝える切っ掛けの日にとの願いが込められています。
日付は、年度の中間期で学校行事が少ない事と、「1」(先生)と「1」(親・子ども)が向かい合って先生に感謝を伝え、お互いが「25」(ニッコリ)する日との意味合いからです。
●『バイラルの日』 :
2005年(平成17年)のこの日、日本初の本格バイラルキャンペーンが実施されました。
これを記念してこのキャンペーンを手がけた会社が制定。
バイラルマーケティングの可能性を探る日として広くアピールしています。
※「バイラルマーケティング」とは、製品やサービスに関する「くちコミ」を意図的に広め、低コストで効率的に商品の告知や顧客の獲得を行なうマーケティング手法の事です。
「バイラル」は「感染的な」という意味で、商品の情報が人づてに伝わっていく仕組みをウィルスの感染・増殖に例えています。
既存の顧客や有名人等に自社の商品を周囲の人等に紹介してもらう様な仕組みを設け、間接的に宣伝します。
ネット上のメッセージサービス等の様に、商品自体に知人を誘いたくなる様な仕組みが埋め込まれているものを「1次的バイラルマーケティング」、「ご紹介キャンペーン」の様な形で何らかの便宜・報奨(インセンティブ)を用意して商品の紹介を直接依頼する手法を「2次的バイラルマーケティング」と言います。
●『金型の日』 :
1957(昭和32)年のこの日、金型の製造業者達により「日本金型工業会」が設立された事を記念して、同工業会が1974(昭和49)年に制定。
●『ハイビジョンの日』 :
ハイビジョンの走査線の数が1,125本である事からこの日を、「郵政省(現、総務省)」と「NHK」が「ハイビジョン(高品位テレビ)」の普及を図る為、1987(昭和62)年に制定。
この日とは別に、◎9月16日が「通商産業省(現、経済産業省)」の制定した「ハイビジョンの日」となっています。
また、◎11月19日~11月25日は、「ハイビジョン・ウィーク」になっています。
●『女性に対する暴力廃絶のための国際デー(International Day for the Elimination of Violence against Women)』 :
国際デーの一つです。
1999(平成11)年12月17日の国連総会で制定。
1961(昭和36)年、「ドミニカ共和国」で政治活動家であった「ミラバル3姉妹」が、支配者「ラファエル・トルヒジョ」の命令により惨殺された日です。
◎「ドミニカ」には、「ドミニカ共和国(Dominican Rep.)」とドミニカ国(Commonwealth of Dominica)の二つの国があります。
●『聖カタリナの日』 :
「聖カタリナ」は、中世ヨーロッパで最も人気のあった守護聖人の一人です。
第四次「十字軍」以降に「カトリック教会」圏で広まりましたが、「東方教会」では更に古くから行われてきた祭りです。
また、ブラジルの南部に位置するサンタカタリーナ州など、この聖人の名をとった地名が世界中に存在します。
※聖カタリナは、4世紀に実在した人とされますが、ローマ法王庁は実在性が怪しいとして1969(昭和44)年に聖人の列から削除されています。
ローマ皇帝「マクセンティウス」の偶像崇拝を批判した為、皇帝が派遣した50人の哲学者と討論し、哲学者達は全員カタリナに論破され、全員キリスト教に改宗しました。
怒った皇帝はこの哲学者達を全員処刑し、カタリナを牢獄に閉じこめ、食べ物を与えずに餓死させようとしましたが、鳩が毎日食べ物を運んできて、彼女は飢える事はありませんでした。
獄中でも彼女は見張りの兵士達200人をキリスト教に改宗させ、更には皇帝の妃まで改宗させて仕舞いました。
皇帝は彼女を処刑する事にし、釘のささった車輪で彼女をひき殺そうとしましたが、彼女を傷つける事はできませんでした。
そこで彼女の首をはねますが、血ではなく、ミルクが流れ出たといいます。
彼女の遺体は天使たちがシナイ山に運び、そこには後に教会が建てられ「シナイ山のセント・キャサリン」として中世多くの参拝者を集めました。
☆彡毎月25日は、
●『プリンの日』 :
牛乳や加工乳、乳飲料、ヨーグルトなどの乳製品メーカーで、岡山県岡山市に本社を置く乳性食品の製造会社が制定。
この会社では、「焼きプリン」・「とろけるくちどけクリームチーズプリン」・「牛乳屋さんが作ったなめらかカスタードプリン」等プリンの人気商品を多く製造販売しています。
日付は、「プリンを食べると思わずニッコリ」という事で25が「ニッ(2)コ(5)リ」と読める語呂合せです。
●『天神の縁日』 :
「菅原道真」公の命日に因んだ、天満宮の縁日です。
道真公が生まれたのが6月25日、太宰府に左遷されたのが1月25日、命日が2月25日であった事から、この日に「天神講(天神祭)」と称して祀り、江戸時代には「寺子屋」や「子供組」等でも行われました。
一年の最初の1月25日を「初天神」と言い、最後の12月25日を「終い天神」と言います。
天神は文字どおり天の神、「天神(あまつかみ)」の事で「天変地異」を支配する神とされ、「雷電鳴動」はその神威であると考えられていました。
「北野天満宮」、「太宰府天満宮」、「大阪天満宮」、「防府天満宮」、「谷保天満宮」等が有名です。
※右大臣であった「菅原道真」の才能を妬む左大臣「藤原時平」が、「醍醐天皇」に道真は逆臣であると何度も讒言(ざんげん)し、天皇もそう思い込む様になった結果、
道真公は旧暦901(延喜元)年、大宰権帥に左遷され、九州大宰府で没しました。
その後間もなく京都で雷電、天変地異がしきりに起こり、当事人々は非業の死を遂げた人の怨霊は天に響いて雷電を起こすと信じていました。
930(延長8)年、平安京の清涼殿に落ちた落雷で、大納言「藤原清貴」が死亡した為、この落雷・天変地異は、政治的な策略で左遷され亡くなった道真公の崇りであると噂になり、「醍醐天皇」は恐怖のあまり寝込んだとされます。
その噂から道真公の名誉は回復し、それ以来、天神が菅原道真の代名詞となり、やがて道真公を「火雷天神」とする信仰が起こりました。
また、道真公が生前すぐれた学者であった事から、天神はいつしか「文道の大祖」としても祀られる様になりました≫。
11月25日の誕生花:
キンモクセイ(金木犀) 花言葉は謙遜、真実
セントポーリア 花言葉は小さな愛
パンパスグラス(白銀葭・シロガネヨシ)・Pampasgrass 花言葉は「風格・歳月」光輝 人気
ウルシ(漆) 花言葉は頭脳明晰
エリカ・Heath Flower 花言葉は「孤独」
パボニア・インテルメディア・Pavonia Intermedia 花言葉は「慎重」です。