今日は全国的に大雨、暴風注意報が出ている。まさに春の嵐です。
今朝いつもの散歩道を歩いていくとつい先日満開を迎えたばかりなのに桜の花がほとんど散っているではあ~りませんか。
昨夜からの雨と風が散らしてしまったのでした。
ああ無情~。
もう少し、目の保養をさせてくれてもいいのにと恨めしく思います。
人生の折り返しを迎えるようになった今「来年もまた私はこの桜を見ることができるのだろうか」。と思ったりもしました。
そんな時、次の3首が私の心に思い浮かんできました。
①「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」
「この世の中に、まったく桜の花というものが無かったならば、春を迎える人の心は、おだやかでいられるだろうに」。
(美くし過ぎる桜の花があるせいで、いつ散ってしまうだろう、どうか散らないでほしい、と私の心は千路にかき乱されてしまうのだ)
本気で「桜なんか無かったらいいのに」と思っているわけではありません。「美しい桜の花よ、どうか散らずに、このままずっと咲いていて~」という、はかない花の命を惜しむ思いを、裏返しの形で表現した歌なのです。
人の心を騒ぎ立てる桜の素晴らしさを伝えようとしている作品なのです。
この歌は、「伊勢物語」の第八十二段にも出てきます。
「伊勢物語」では、まず主人公の歌を受けて次の歌が詠まれます。
②「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき」
散ってゆくからこそ、短命な桜の花は素晴らしいのです。だって、この辛い世の中に、永遠に変わらないものなど何があるでしょうか(何もありませんよ。だから世の中は素晴らしいのではありませんか)。
③「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
小野小町(9番) 『古今集』春・113
「桜の花の色は、春の長雨が降っている間に。むなしく衰え色あせてしまった。
私の美貌も恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに衰えてしまった」。
(美人と褒められているうちが花なのよね)。
小野小町といえば「クレオパトラ、楊貴妃、」と並んで世界三大美女で秋田美人の代名詞ですね。
ところで現代の3大美人県は「秋田、福岡、京都」だといわれています。
ところが秋田の女性は「秋田美人」という言葉にプレッシャーを感じている様です。
『秋田県、京都府、福岡県の20~40歳代の女性計300人を対象に実施したアンケートによると、「地元が三大美人の地域とされるのにプレッシャーを感じる」と答えたのは、秋田の女性が37%で最も多く、福岡の18%、京都の12%を大幅に上回っていた。
秋田の女性にどのような時にプレッシャーを感じるのかを聞くと、「自己紹介で出身地を言うとき」(37歳)、「テレビで『秋田美人をさがせ』のようなロケ番組を見たとき」(24歳)、「知人に『秋田美人紹介して』と言われたとき」(29歳)といった声が上がった』。
{我が社でも秋田支店の女の子には美人が多く、支店の手伝いには多くの希望者があり、男性社員は抽選となります}。
でもね♪~ 秋田の人が全部美人なわけではなく例外もいますとのことです。
しかし、初対面の時に言う人は「挨拶の言葉」としていうだけで本気で信じているわけではありません。8割お世辞?
男性は個性的な女性には対しては決して言いません。
逆に言うと「あなたは美人ですね」。と言っているのです。
婉曲的にほめているのです。
その意を汲んで
私が当人ならば、「皆さん正直な方ばかりで、ついその気になったりするんですよ」
と言えば話が弾むというものです。