本田真凜が9月16日に行われたシニア国際大会のデビュー戦で初優勝
米ソルトレークシティーにて。
女王・荒川静香が演じた『トゥーランドット』(Turandot)で本田真凛が優勝したことに意義がある。
フィギュアスケートのUSインターナショナルクラシック最終日は16日(日本時間17日)、米ユタ州ソルトレークシティーで行われた。女子フリーは、ショートプログラム(SP)首位の本田真凜(大阪・関大高)が、ジャンプのミスを少なく抑えて優勝した。フリーの自己ベスト近い131・52点。合計198・42点だった。
フィギュアスケート本田真凛 女王演じ切りシニア初優勝 本田まりん
本田はフィニッシュ後に酸欠でフラフラで何度もよろめいた。何とかリンクサイドにたどり着いたが、点数の発表を待つキス・アンド・クライまで歩いて行けなかった。
ソルトレイクシティ(Salt Lake City)は、アメリカ合衆国のユタ州にあり、海抜1,320m(4,327フィート)の高地にある。空気の薄い土地といえる。ちなみに北緯はニューヨークとほぼ同じである。
それでも本田真凛の顔は笑っていた。本田真凛は3回転ルッツや、3回転フリップ―3回転トーループを着氷すると、ジャンプを次々下りた。目立ったミスは、サルコーが2回転になったくらい。「『最後まで続ける』と言い聞かせた。後半途中から覚えていないが、自分の役目は果たせた」。空気の薄い高地で、しかもシニア国際大会の初舞台で耐えて、耐えて栄光をつかんだ。
来年2月の平昌ピョンチャン冬季五輪出場に向けて好スタートを切った本田は、「憧れの選手たちとの試合で、気持ちで負けてはいけないと思って滑った。自分との戦いに勝てた」と語った。克己ですね。
「マリンちゃん」という名前もいいですね。
なにせ海物語のラッキーガールが「マリンちゃん」なのですから。スーパーリーチ~。
※エピソード
【衣装をホテルに忘れ焦るも本田真凜がSP首位
本田は直前まで焦っていた。衣装をホテルに忘れ、15分前に気づいた。急いで取りに行ってもらい、届いたのは本番直前の6分間練習の3分前。「どういう演技をしたいかを考えていたが、吹っ飛びました」。だが、逆に緊張がほぐれて滑りきり、「よかった~っていうポーズ」と最後は両手を突き上げた】。
『トゥーランドット』(Turandot)という曲はは荒川静香の特徴的「レイバック・イナバウアー」を演じたことでも有名である。
イナバウアーはつなぎの演技であり、点数には加算されないのであるが、観客に見てもらいたい演技なのでした。そして観客を魅了したのでした。👏~。
そして荒川静香はトリノオリンピックにおいて『トゥーランドット』(Turandot)で金メダルを獲得した。(荒川静香は体が柔らかくてイナバウアーをどこで止めるか苦労したほどであった)。
その荒川静香がトリノオリンピックで優勝した時と同じ『トゥーランドット』(Turandot)で優勝とは嬉しいですね。
本田真凜が『トゥーランドット』(Turandot)で金メダルを獲得した快挙は荒川静香から続く日本の栄光を本田真凜が受け継いだ気がした瞬間であった。
渡部 絵美に始まり、伊藤 みどり、佐藤有香、村主章枝、荒川静香、浅田真央、宮原知子、本田真凛等、女子フィギュアスケートの本流は脈々と受け継がれていたのである。
日本の女子フィギュアスケート界は永遠に不滅です。
日本がフィギュアスケート大国になった要因は「人・物・金」そして組織力である。
日本がフィギュアスケートの強豪国になった理由の一つは日本が経済的に豊かな国へと成長したことにある。
一流のフィギュアスケートの選手を育てるには莫大な費用がかかる。スケート靴ひとつとってもトップレベル用は一足10万円以上。練習量が多くなれば消耗し履き替える頻度も高くなるから、靴だけでも年間100万円近くかかるとい割れている。
この他、リンクの使用料、コーチへの謝礼、衣装代、振りつけ料、大会へ出場するための交通費、滞在費などが必要だ。ジュニアの国際大会に出場するレベルになると年間1000万円近く、シニアになれば1000万を軽く越えるといわれ、世界を目指す選手を育てるには1億円を越える費用が必要。
両親や家族、そしてファンの支えも大切である。
選手はスケートだけで生きているわけではない。家に帰れば家族の一員としての生活がある。そして周りを見渡せばファンの後押しも必要である。
スケートリンクを有し、スケート人口も多い、愛知県名古屋市という土地が世界レベルの名選手をが続々と生んだともいえる。
女子シングル代表、浅田、鈴木、村上の3人はいずれも名古屋で育った選手。小塚崇彦、安藤美姫もそうだ。名古屋は世界でもあまり例のない名フィギュア選手輩出都市なのだ。(仙台にもリンクはあったが今、本格的にフィギュアスケートを練習するリンクがないので有力選手はほとんど名古屋へと移動しているのが現状だ)。
その流れが生まれたのは、1992年アルベールビル五輪女子シングルで銀メダルを獲った伊藤みどりの出現だ。名古屋生まれの伊藤は幼少期、市内のリンクに遊びに行ってジャンプの真似事をしていたところ、名コーチの山田満知子氏の目に留まり指導を受けるようになった。
その後、山田氏と二人三脚で技術を高め、フィギュアの天才少女として一気にスターの座に駆け上る。80年代から90年代にかけて全日本選手権を8連覇するなど日本では敵なし。女子選手としては世界初のトリプルアクセルを成功させたことで世界的にも有名になった。
山田氏とは別に、日本のフィギュア界を世界レベルに引き上げた名指導者がもうひとりいる。浅田のコーチを務めた佐藤信夫氏だ。
名古屋とは別に、フィギュアの名選手を数多く輩出するようになった都市が宮城県仙台市だ。
ここには長久保裕氏という名指導者がおり、2002年ソルトレイク五輪男子シングルで4位になった本田武史やトリノ五輪金メダルの荒川静香が指導を受けた。
愛知出身の鈴木明子も東北福祉大に進学し、長久保氏の指導を受けている。大会でヒーローになった羽生も仙台市出身。
羽生は長久保氏の指導は受けていないようだが、地元出身の偉大な先輩、荒川静香への憧れがフィギュアに打ち込む動機のひとつになったといわれている。こうした流れが仙台にもあるのだ。
このように日本のフィギュア界がレベルアップしてきた流れをさかのぼって追っていくと、ひとりの人物にたどり着く。
小塚崇彦の祖父、小塚光彦氏だ。戦前、満州でフィギュアスケートに出会った小塚光彦氏は競技に打ち込み、戦後はその普及に努めた。地元名古屋にフィギュアを根づかせるためリンクの建設に尽力。また、多くのフィギュア選手も育てた。その教え子が山田満知子氏と佐藤信夫氏なのだ。
外国のコーチを招聘できなかった時代にさぞかしコーチ陣はご苦労も多かっただろうと思う。
今その苦労が報われ、大輪の花を咲かせようとしているのである。
★本田 真凜(ほんだ まりん、英語: Marin Honda, 2001年8月21日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。(大阪・関大高:スケート部)
出生地:京都府京都市
身長:161cm
血液型はA型。
趣味はカメラ
関西大学高等部在籍中。スケートを始めたのは2歳のときである。この他、アイスホッケー、水泳、体操、テニス、ピアノ、絵画教室を掛け持ちしていたが、2010年4月に新設開校した関西大学初等部への編入を機にフィギュアスケートに絞った。七田チャイルドアカデミーおよび公文式卒業生。
1番好きな選手や憧れ、尊敬している選手は荒川静香。トリノオリンピックの荒川静香の演技を観て、オリンピックを目指すようになった。
コメント:いつも応援ありがとうございます。 今シーズンも自分らしくマイペースに頑張ります。
●技術・演技
独特の表現力や氷上に降り立った時の華やかさが魅力である。
アクセルを除く5種類の3回転ジャンプを11歳でマスターした。コンビネーションでは、3回転ルッツ・フリップ・ループ・サルコウ・トゥーループ・2回転半アクセルの後に3回転トゥーループをつけることができる。表現力に定評があり、中学1年の時点で高橋大輔から「ちょっとした体の動かし方が色っぽさがある」「雰囲気とか、魅力的な目を引くものを持っている」と評されている。現在、平昌オリンピック出場を目指して4回転ループを練習している。
コーチ
濱田美栄、田村岳斗
●2017-2018シーズン
2017年7月2日、プログラム曲を発表した。ショートは「ジェラシー」と「ラ・クンパルシータ」、フリーはトゥーランドット。
トゥーランドット(作曲:ジャコモ・プッチーニ)は荒川静香がトリノオリンピックで金メダルを獲得した曲なのです。
●2016年世界ジュニアフィギュアスケート選手権優勝。
ISU パーソナルベストスコア
トータルスコア:201.61 2017 世界Jr.選手権
ショートプログラム:68.35 2017 世界Jr.選手権
フリースケーティング:133.26 2017 世界Jr.選手権
●表彰歴
2016年4月4日 - 京都市スポーツ栄誉賞
2016年4月7日 - 京都府スポーツ賞
2017年1月16日 - 関西スポーツ賞
2017年4月11日 - 京都府スポーツ賞
※付録
◆オリンピックメダリスト
銀 伊藤みどり 1992年アルベールビルオリンピック 女子シングル
銀 浅田真央 2010年バンクーバーオリンピック 女子シングル
◆世界フィギュアスケート選手権メダリスト
銅 渡部 絵美1979年世界フィギュアスケート選手
渡部 絵美(わたなべ えみ、本名:渡部・キャスリン・絵美、1959年8月27日 - )
金 伊藤みどり1989年世界フィギュアスケート選手権女子シングル パリ
佐藤有香 1994年世界フィギュアスケート選手権女子シングル 千葉
荒川静香 2004年世界フィギュアスケート選手権女子シングル ドルトムント
安藤美姫 2007年世界フィギュアスケート選手権女子シングル 東京
2011年世界フィギュアスケート選手権女子シングル モスクワ
浅田真央 2008年世界フィギュアスケート選手権女子シングル イエーテボリ
2010年世界フィギュアスケート選手権女子シングル
2014年世界フィギュアスケート選手権女子シングル
銀 宮原知子 2015年世界フィギュアスケート選手権女子シングル
銅 村主章枝 2002年世界フィギュアスケート選手権女子シングル
2003年世界フィギュアスケート選手権女子シングル
そのほかに日本女子フィギュアスケート界を支えた人たちがいることも忘れてはならない。
太田 由希奈、村上 佳菜子、三原 舞依、恩田 美栄、中野 友加里、鈴木 明子、本郷 理華etc.