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名前で呼びましょう! 小さな心遣いが人を目覚めさせ、生きる喜びを引き出す。渡辺和子

☆彡今日のハッピー 一日一言 ハッピーを呼ぶヒント


心遣い…名前で呼びましょう

私(渡辺和子)は「おはようございます、○○さん」と前から歩いてくる学生に声を掛けます。

 

すると、その時まで無表情だった学生の顔が明るくなり、何とも言えない嬉しそうな顔で挨拶を返してくれることがあります。

 

それはまるで廊下を歩いていた一つの個体が、自分の名前を呼ばれて人間に立ち戻った瞬間と言ってもいいかもしれません。

 

 多くの学生と接する中で、改めて名前を覚えること、そして、名前で呼ぶことの大切さに気づかされる瞬間です。

 

 そんな時、思い出されるのは、昔習った一人の教師の姿です。

私が四谷のミッションスクールに通い始めて三年ほどたったころ、第二次世界大戦がはじまりました。

ものみな日本色ひと色に塗りつぶされた中には、それまでのフランス人校長の更迭と、それに伴う若い日本人修道女の就任がありました。

 

生徒たちとピンポンに打ち興じることもあったその人が、肩書もいかめしい校長になられたとき、「お若いのにしかも戦時中大変ね」という母たちの言葉そのまま、「大変なことだ」と思ったものです。

 

その人は、生徒の名前を驚くほどよく覚える人でした。

 

そして、用事を頼むときなども、「○○さん、お願いします」、「○○さん、どうもありがとう」と丁寧に名前を呼んで言われるのが特徴だったのです。

 

もう一つ、この人について覚えていることは、こちらから出した手紙に、どんなに忙しくても、そして、時日がたってからでも必ず自筆で礼状を書かれることでした。

 

時候の挨拶程度のはがきにまで、自筆の返書を受け取って恐縮したものでした。

しかしながら、こういう小さな心遣いが、相手に自分では気づかなかった己の価値に目覚めさせることがあることを、この人は教えてくれました。


☆彡今日の一言
「名前で呼ぶ」…その小さな心遣いが人を目覚めさせ、生きる喜びを引き出す。

人を育て、世の中をよいものにするのは、「あなたがたいせつ」という思いを伝え続ける人の努力。

 

Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。

 

以上は渡辺和子著「どんな時でも人は笑顔になれる」より一部抜粋&加筆

 

どんな時でも人は笑顔になれる

どんな時でも人は笑顔になれる

 

 

★渡辺 和子のプロフィール
渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン)。 学校法人ノートルダム清心学園理事長。北海道旭川市生まれ。
父は台湾軍司令官や陸軍教育総監を務めた渡辺錠太郎。1936年2月26日、陸軍将校の一部らが起こした軍事クーデター「2・26事件」で、父親が反乱軍の将校らに殺害される場面を9歳のときに自宅で目撃する。
「血の海の中で父は死にました。凄惨な死でございました」
渡辺さんは当時のことをエッセイ集『美しい人に』などでも書いているほか、講演などでも折に触れて当時の様子や、加害者の遺族との「和解」や「赦し」について語っていた。
 
◆略歴
1927年、北海道旭川市で出生。父親は当時、陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎で、53歳の時の子であった。4人兄姉の末っ子で次女。
1936年、成蹊小学校3年生で9歳の時に二・二六事件に遭遇。父の居間で、当時大将で教育総監だった父が青年将校に襲撃され、43発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。
成蹊小学校、雙葉高等女学校(現 雙葉中学校・高等学校)卒業。
1945年、18歳でキリスト教カトリック)の洗礼を受ける。1951年聖心女子大学に通いながら上智大学で文書作成のアルバイトをし、1954年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。
1956年、29歳でナミュールノートルダム修道女会に入会。
アメリカへ留学し、1962年6月にボストンカレッジ大学院で博士号(哲学)を取得したのち、同年9月にノートルダム清心女子大学教授に就任。
1963年に36歳という異例の若さで岡山県ノートルダム清心女子大学の学長に就任(1990年に退任)。長年にわたり教壇に立ち、学生の心を支え指導する。
1977年にはうつ病を患う。1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど多方面で活躍。著書も多数。
1990年にはノートルダム清心女子大学の名誉学長、及びノートルダム清心学園の理事長に就任。1992年~2001年には日本カトリック学校連合会理事長に就任した。
1996年、69歳の時にカルカッタの修道会本部を訪れる。
2012年に発売した著書『置かれた場所で咲きなさい』が、200万部を超えるベストセラーとなった。
2016年12月30日、膵臓癌により死去。89歳没。
 
◆受賞
1974年 - 岡山県文化賞(学術部門)を受賞
1979年 - 山陽新聞賞(教育功労)を受賞
1979年 - 岡山県社会福祉協議会より済世賞を受賞
1986年 - ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞を受賞
1989年 - 三木記念賞を受賞
2015年 - 広島大学のペスタロッチ賞を受賞[8]。
2016年 - 春の叙勲で旭日中綬章を受章[9]。
◆著書
『信じる「愛」を持っていますか』PHP研究所、1981年
『心に愛がなければ』PHP研究所、1986年
『現代の忘れもの』日本看護協会出版会、1989年
『愛をこめて生きる』PHP研究所、1989年
『愛することは許されること』PHP研究所、1999年
『目に見えないけれど大切なもの』PHP研究所、2003年
『愛と励ましの言葉366日』2004年、PHP研究所
『忘れかけていた大切なこと』2005年、PHP研究所
『「ひと」として大切なこと』PHP研究所、2005年 - 2003年刊行『人間としてどう生きるか』の改題版
『愛と祈りで子どもは育つ』2006年、PHP研究所
『美しい人に』PHP研究所、2008年
『幸せのありか』PHP研究所、2009年
『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎、2012年
『スミレのように踏まれて香る』朝日新聞出版、2012年 - 1970年刊行『人をそだてる』(サンパウロ)の改題、加筆修正版
『面倒だから、しよう』幻冬舎、2013年
『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所、2015年
『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP研究所、2017年
『あなたはそのままで愛されている』PHP研究所、2018年 - 遺稿集

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