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名物監督・小出 義雄氏を悼む! 「褒め&個性にあった指導法」と「せっかくだから・・・」目標は箱根駅伝?

小出 義雄監督を悼む

オリンピックで銀、銅と連続メダルを獲得した有森 裕子さん、2000年シドニー五輪の女子マラソンで金メダルに輝いた高橋尚子さん(中日新聞社東京新聞=客員)達、多くの陸上の長距離・マラソンランナーを育てた指導者、小出義雄(こいでよしお)さん(佐倉アスリート倶楽部代表)が二十四日、肺炎のため千葉県内の病院で死去した。八十歳。

 

小出 義雄監督の指導法の根幹にあるのは「選手の持っている能力を最大限引き出してあげること」だと思う。

 

そのためには「選手の個性にあった指導方法」をするという信条があったと思う。

有森裕子さんは頑固者&負けず嫌いなので「彼女を先生と呼びヨイショし、自分は2段下がって生徒として、話し合いながら練習をした。」


名言「初めて自分で自分をほめたいと思います」有森裕子

有森裕子さんが覚えているのは「5000m2本全力で行ってみよう!」と言われ「全力で走りダウン寸前だった。そうすると、監督は涼しい顔してもう一本行ってみようといわれ、ムカッときたが、やり切った。」この時の練習がオリンピックのメダルにつながったと思う。

 

またある時「物事には必ず意味があるんだ。せっかく足を怪我したんだから、休もうよ~」と言われたことが印象に残っている。

小出監督の教えとして
①「物事には必ず意味がある」

②「せっかくだから・・・」という考えを持つこと。


①と②の考え方が今の自分の生き方につながっている。

(素晴らしい考えを教えてもらった)


高橋尚子さんは「素直な性格で何でもハイ!ハイ!」といって練習を黙々とこなしてくれた。「先生と生徒の関係」

 

個人的な感想ですが「素直な人」はどんな分野でも&人間的にも必ず成長しますね。

 


有森裕子さんの思い出「私を信じて、育つのを待ってくれた
「あの時代に監督に出会えたのは幸せだった」1989年、小出氏が監督を務めていたリクルートに入社。「泣かず飛ばすの私の話をにこにこして聞いてくださった」と30年前を思い出し、「走れない私にイライラもしたと思う。けんかもしょっちゅうしました。手のかかるアスリート、困るアスリートだったと思う」
と時折涙を浮かべながら心境を吐露した。

「あの当時で言うと、半端なかったんじゃないかな。女性はこれ以上走らせてはいけない、とかあった時代に『常識を打ち破る』『常識を破ることが大事なんだ』とかうれしそうに。自分も部屋に帰ってブツブツ言ってたんですが、だんだん楽しくなった。

未来を見ながら選手を考えてくれる監督が好きだった」と当時の練習を振り返り、小出氏との出会いについて「私が遅くても、待つことができる人だった。待って、信じて、育つのを待った。あの時代に監督に出会えたのは幸せだった」と話した。

 心残りは来年の東京五輪を小出氏と一緒に見られなかったことだという。「2020年はブツブツ言いながらでも、一緒に五輪のマラソンを見たかったな、と。上から見ておいてください、と」と目を潤ませ、恩師へメッセージを送っていた。

 

鈴木博美さんの思い出 「練習嫌いな私を・・・」
97年世界選手権女子マラソン金メダルの鈴木博美リクルート積水化学で小出さんの指導を受けた。鈴木博美さんは「中学生のときに声を掛けていただいてから、高校、実業団を通じて練習嫌いな私を、諦めることなく、根気強く育てていただきました。今、指導いただいていた頃の監督と同じ年齢になり、どれだけの情熱を持って指導にあたってくださったのかを知り、ただ感謝しかありません」と感謝の念を示した。

 

高橋尚子さんの思い出「弱い私を根気よく指導して下さって・・・」
『五輪でメダルがとれたのも世界記録を出せたのも、今の自分があるのも小出監督のおかげです。弱い私を根気よく指導して下さって、一緒に走って下さって、自信をつけさせて下さって、監督の大切な時間を費やして下さって、五輪でメダルをとらせて下さって、ありがとうございます、と何度言っても伝えきれないほど感謝の気持ちでいっぱいです。たくさんのことを教わりました。監督の笑顔をもっと見たかったし、お話ももっと聞きたかったです。これからは大好きなお酒をたくさん飲んで、思いっきりかけっこして下さい。』

 

青学大・原晋監督の思い
青学大・原晋監督は「褒めて育てるという印象があるんですけども、実際には個性を見抜いて叱ったりアドバイスしたりしながら、その人の能力を上げることに長けてましたね」と話し「陸上界の指導者は皆、小出先生のことを尊敬してますよ」と、小出氏の高い指導力や人望について語った。

『俺(小出監督)、あと箱根駅伝だけなんだよ。箱根駅伝やったら、俺勝てるもんな』ということをおっしゃられて、いやいやちょっと来ないでよって(思った)」と、小出氏が持っていたさらなる目標を明かしていた。

 

野口みずきさんの思い出
アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずきさん(40)は24日、小出義雄さんが亡くなったという突然の悲報に「私は小出さんが指導された高橋尚子さんに憧れて、後を追いました。一時代を一緒に戦えたことを本当に感謝しています。心よりご冥福をお祈りいたします」と話した。

 

☆彡今日の一言

人は褒めて育てよ♪~

 


★小出 義雄のプロフィール

小出 義雄(こいで よしお、1939年4月15日 - 2019年4月24日)は、陸上競技の元選手。佐倉アスリート倶楽部代表取締役。マラソン・中長距離選手の指導者。順天堂大学客員教授。千葉県佐倉市出身

 

君ならできる

君ならできる

 

 

来歴
千葉県立山農業高等学校卒業後、家業の農業に従事していたが、陸上競技への思い断ち難く、出奔。苦学の末、22歳で順天堂大学体育学部に入学。箱根駅伝に3年連続出場(1年時の第38回は5区区間10位、2年時の第39回は8区区間3位、3年時の第40回は8区区間5位)。
1965年に順天堂大学を卒業。保健体育教師となり、千葉県の公立高校教員に勤務。千葉県立長生高等学校、千葉県立佐倉高等学校、船橋市立船橋高等学校で教鞭をとり、鈴木秀夫、河合美香らを育てた。野木丈司は佐倉高校時代の教え子。鈴木大地市立船橋高校時代の教え子であり、順天堂大学の後輩。
1986年、第37回全国高校駅伝市立船橋高校を優勝に導く。(2時間6分30秒、当時高校最高記録。)
1988年、教職を辞してリクルートランニングクラブ監督に就任。
1997年、リクルート部内の確執から積水化学工業に移籍し、女子陸上競技部監督に就任。
2001年6月に佐倉アスリート倶楽部(SAC)を設立し、代表取締役兼現場監督に就任。
2002年12月、積水化学を退社し、SACに専念。
2019年3月31日、SACと実業団ユニバーサルエンターテインメントとの指導委託契約が満了することに伴い、指導者業から勇退[4]。
2019年4月24日8時5分、肺炎のため、千葉県の病院で死去。80歳没。

 


小出義雄氏、佐倉AC代表を勇退…高橋尚子、有森裕子ら育てた名伯楽

 


有森裕子銅メダル後の小出監督インタビュー

◆育成選手
現在、ユニバーサルエンターテインメント(旧:アルゼ)・豊田自動織機所属の選手に指導育成を行う。また、女子選手育成に卓越した手腕を発揮し、以下に挙げる選手をはじめとして、多くの選手を育成した。
主な輩出選手
有森裕子
五十嵐美紀
吉田直
志水見千子
鈴木博美
高橋尚子
千葉真子
宮井仁美
新谷仁美
堀江知佳
那須川瑞穂
吉田香織
佐伯由香里
小林祐梨子
原裕美子
小島一恵

 

★有森 裕子のプロフィール
(ありもり ゆうこ、1966年12月17日 - )は、元女子マラソン選手で日本におけるプロランナーの草分けでもある。日本体育大学体育学部体育学科卒業。身長 165cm 体重 48kg
オリンピック マラソン
1992 バルセロナ 銀
1996 アトランタ 銅
日体大客員教授日本陸上競技連盟の理事、日本プロサッカーリーグの理事、スペシャルオリンピックス日本の理事長、IOCのSport and Active Society Commissionメンバー、国際陸上競技連盟女性委員会委員、国連人口基金親善大使[3]。株式会社RIGHTS.取締役。

 

鈴木博美のプロフィール
1992年バルセロナオリンピックと1996年アトランタオリンピックは女子10000m代表として出場。1997年の世界陸上選手権アテネ大会女子マラソンでは金メダルを獲得したランナーである。有森裕子はチームの先輩、高橋尚子や小出正子らは後輩にあたる。

 

高橋尚子のプロフィール
高橋 尚子(たかはし なおこ、1972年5月6日 - )は、日本の元陸上競技選手(女子マラソン)。岐阜県岐阜市出身。血液型O型。2000年シドニーオリンピック金メダリスト。女子マラソンの元世界記録保持者[2]。女子スポーツ界で初の国民栄誉賞を受賞。愛称は「Qちゃん」。現在はスポーツキャスター、マラソン解説者などで活躍している。 身長:163cm 体重:46㎏