風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

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「聖人と罪びと」についての一考察! 渡辺和子著「幸せはあなたの心が決める」より

☆彡「天使のハッピートーク・ 一日一言 」幸せ探しへの誘い編

 

☆彡「人はみな不完全なもの」

 

私達の中には、「自分だけが聖人で、他は皆罪びとである」かの様にふるまう人がいるものですが、その反対もあります。

 

つまり、【『自分は「罪びと」というか不完全で当たり前なのだが、周囲の人はみな聖人でなければならない。』

 

従って、することなすこと、完全で私を誤解してはならないし、私に腹を立ててもいけない。

私に対して、いつも笑顔で機嫌よくあるべきだ・・・なぜならあなたがたは聖人なのだから・・・。

 でも私は違う。私は罪びとなのだから、不完全なところがあっても、大目に見てもらうのが当り前。

 機嫌の悪い日もあるし、人を誤解するのも当然、】という考え方です。

 

 私(渡辺和子)は若い時、母に対して、冷たく、つらく当たった時期がありました。

 母も生身の人間ですから、頭の痛い日、熱があり、朝食の支度ができない日があっても当然なのに、それが許せなくて腹を立てたまま職場へ出かけたことが何度かあり、今になって、本当にすまないことをしたと思っています。

 

 生来、他人に対して不寛容なところがある私は、修道院という共同生活でも、他人のすることなすことを心の中で批判したり、非難することが多く、苦しんだものです。

 

 そういう生活の中で出会った一つの言葉が私には救いとなりました。

 

 「この世の中に、神以外のものは全て被造物であり、不完全なものである。

 

 ああ、本当にそうだ。人に完全なものを求めてはいけない。人の不完全の表れに腹を立てるということは、自分の分際を超えたことなのだと、しみじみわからせてもらったものでした。

 

 しかも不思議なことには、他人を批判したり非難したりすると、必ずと言っていいほど、その後で自分が同じことか、もっとひどいことをしでかすのでした。

 

 たとえば、鍵を何処かへ置き忘れて大騒ぎをしている人を、「まあ、不注意な人。あの人はいつもああなんだから・・・」と心の中で思ったとします。

 

 その翌日、今度は自分が自分のカギを何処かへ置き忘れるのです。

 

 仏教的に言えば、「バチが当たった」ということになるのかもしれません。

 

 私にとっては、自分の思い上がりを正していただく良い機会だと思っています。

 

☆彡今日の一言

①自分自身を「罪びと」にし、他人を「聖人に」することなかれ。

②神以外のものはすべて「不完全なもの」だから、人に腹を立てるのは、分際を超えた思い上がりである。

③「求めない」生活をしてみよう♪~

④「許す」ということをしてみよう♪~

 

 

 


Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。

 


以上は渡辺和子著「幸せはあなたの心が決める」よりは一部抜粋&加筆

 


★渡辺和子のプロフィール
渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン)。 学校法人ノートルダム清心学園理事長。北海道旭川市生まれ。
父は台湾軍司令官や陸軍教育総監を務めた渡辺錠太郎。1936年2月26日、陸軍将校の一部らが起こした軍事クーデター「2・26事件」で、父親が反乱軍の将校らに殺害される場面を9歳のときに自宅で目撃する。
「血の海の中で父は死にました。凄惨な死でございました」
渡辺さんは当時のことをエッセイ集『美しい人に』などでも書いているほか、講演などでも折に触れて当時の様子や、加害者の遺族との「和解」や「赦し」について語っていた。


 
◆略歴
1927年、北海道旭川市で出生。父親は当時、陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎で、53歳の時の子であった。4人兄姉の末っ子で次女。
1936年、成蹊小学校3年生で9歳の時に二・二六事件に遭遇。父の居間で、当時大将で教育総監だった父が青年将校に襲撃され、43発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。
成蹊小学校、雙葉高等女学校(現 雙葉中学校・高等学校)卒業。
1945年、18歳でキリスト教カトリック)の洗礼を受ける。1951年聖心女子大学に通いながら上智大学で文書作成のアルバイトをし、1954年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。
1956年、29歳でナミュールノートルダム修道女会に入会。
アメリカへ留学し、1962年6月にボストンカレッジ大学院で博士号(哲学)を取得したのち、同年9月にノートルダム清心女子大学教授に就任。
1963年に36歳という異例の若さで岡山県ノートルダム清心女子大学の学長に就任(1990年に退任)。長年にわたり教壇に立ち、学生の心を支え指導する。
1977年にはうつ病を患う。1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど多方面で活躍。著書も多数。
1990年にはノートルダム清心女子大学の名誉学長、及びノートルダム清心学園の理事長に就任。1992年~2001年には日本カトリック学校連合会理事長に就任した。
1996年、69歳の時にカルカッタの修道会本部を訪れる。
2012年に発売した著書『置かれた場所で咲きなさい』が、200万部を超えるベストセラーとなった。
2016年12月30日、膵臓癌により死去。89歳没。
 
◆受賞
1974年 - 岡山県文化賞(学術部門)を受賞
1979年 - 山陽新聞賞(教育功労)を受賞
1979年 - 岡山県社会福祉協議会より済世賞を受賞
1986年 - ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞を受賞
1989年 - 三木記念賞を受賞
2015年 - 広島大学のペスタロッチ賞を受賞[8]。
2016年 - 春の叙勲で旭日中綬章を受章[9]。
◆著書
『信じる「愛」を持っていますか』PHP研究所、1981年
『心に愛がなければ』PHP研究所、1986年
『現代の忘れもの』日本看護協会出版会、1989年
『愛をこめて生きる』PHP研究所、1989年
『愛することは許されること』PHP研究所、1999年
『目に見えないけれど大切なもの』PHP研究所、2003年
『愛と励ましの言葉366日』2004年、PHP研究所
『忘れかけていた大切なこと』2005年、PHP研究所
『「ひと」として大切なこと』PHP研究所、2005年 - 2003年刊行『人間としてどう生きるか』の改題版
『愛と祈りで子どもは育つ』2006年、PHP研究所
『美しい人に』PHP研究所、2008年
『幸せのありか』PHP研究所、2009年
『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎、2012年
『スミレのように踏まれて香る』朝日新聞出版、2012年 - 1970年刊行『人をそだてる』(サンパウロ)の改題、加筆修正版
『面倒だから、しよう』幻冬舎、2013年
『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所、2015年
『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP研究所、2017年
『あなたはそのままで愛されている』PHP研究所、2018年 - 遺稿集

 

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