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星奈津美(24=ミズノ)が世界選手権女子200mバタフライで2分5秒56で日本初金メダル 病より奇跡の復活劇に涙・・・

水泳世界選手権第14日(2015年8月7日 ロシア・カザニ)

  奇跡の金メダリストだ。12年ロンドン五輪銅メダルの星奈津美(24=ミズノ)が2分5秒56で優勝した。五輪、世界選手権を通じ、女子200メートルバタフライでの日本人の金メダルは初めて。バセドー病を克服し、昨年末から04年アテネ、08年北京五輪連続2冠の北島康介(32=日本コカ・コーラ)を育てた平井伯昌コーチ(52)に師事。完全復活し、世界選手権で日本女子初の金メダルを手にし、来年のリオデジャネイロ五輪の代表権も獲得した。

  こんな瞬間が訪れるとは思わなかった。序盤から好位置につけ、残り50メートルで3位浮上。じわじわと上位陣を追い上げ得意の展開に持ち込んだ。「持ち味を生かしたレースが久しぶりにできた」。最後は体半分ほどリードして静かにタッチ。ゆっくりと掲示板を見上げ、柔らかい笑みを浮かべ「今までやってきたことを出そうと思っていた。感謝の気持ちを強く持って表現できるような泳ぎをしたかった」。奇跡の復活劇に涙が頬を伝った。

  世界一までには紆余(うよ)曲折があった。埼玉・春日部共栄高1年時の3月、「疲れた」と漏らすことが多くなり、母・真奈美さんが病院へ連れて行くと、甲状腺の病「バセドー病」が発覚した。母は「泳げなくなるかもしれない」と心配したが、薬で病状は安定。競技再開まで2カ月半を要したものの08年北京五輪には最年少17歳で出場した。だが、再びアクシデントが起こる。翌年にハイヒールで転倒して右足首を捻挫。国際大会の代表を逃す失意も味わった。しかし、メダルを期待された12年ロンドン五輪で銅メダルを獲得。希望と挫折が順番に訪れる星だったが、再び悪夢に襲われたのは14年9月の仁川アジア大会中だった。

  プールサイドでふらつき歩けなくなった。「何で体きついんだろう」。薬で安定していたはずの病が原因だった。リオ五輪を見据え手術を決断。同年11月に甲状腺を全摘出した。術後は2週間自宅安静し、1カ月足らずでプールに入れたが「練習に復帰する時も、不安はあった」。昨年末にすがる思いで門を叩いたのが“再生工場”だった。

  寺川綾、中村礼子らを再起させた平井伯昌コーチに師事。最初は全盛期から20秒以上も遅い2分30秒を切るのがやっとだったが「先生が背中を押してくれた」と前を向いた。それでも、4月の世界選手権の国内選考会では不安のあまり母に電話した。「みんなへの感謝の気持ちを込めて泳ぎなさい」。その言葉を胸に6連覇を達成。それから4カ月後、表彰台の頂点で涙を流し君が代を聴いた。「本当にありがとうという気持ちをこれから伝えたい」。母への最高のプレゼントだった。

  試合前、ある決意を口にした。「リオまでしか考えていないところがある。世界水泳も最後と思っている」。ここから最後の1年の競技生活。「これからもう来年に向けてスタートできる。本当にいい結果を出せるようにしなきゃいけない」。金メダリストとして臨む花道を、有終の美で飾る。

■ 準決勝を全体1位で通過し決勝に臨んだ星は、最初の50メートルこそ抑え気味に入り6番手だったが、徐々に追い上げて150メートルを3番手でターン。得意とする終盤に逆転し、頂点に立った。


 以下、星の優勝記者会見でのコメント。
 
Q & A

A 「実感するまでに時間がかかっていました」


 今日はまずしっかりと自分の理想としているレースをしようということを心がけていました。それが金メダルにつながってうれしい気持ちです。今はだんだんと実感が湧いてきたのですが、(レース)直後は実感が湧きませんでした。でも、表彰式でメダルをもらって、本当に今はうれしい気持ちです。


――Q 先ほど平井伯昌監督と話をしていたがどんな言葉をかけられたのか? また、星選手からは平井監督にどんな言葉をかけたのか?


A (平井)先生には(レース)直後に会いたかったのですが、なかなか会えませんでした。先ほどようやく会うことができて、まずは「良くやった」ということを言ってくださって、先生がちょっと涙目だったので私もまたちょっともらい泣きをしそうになりました。私からはまずは「本当にありがとうございました」という思いを伝えました。


――Q ゴールしてプールから上がり、しばらくコースをレーン沿いに歩いていた。あのときはどんなことを考え、どんなことが脳裏に浮かんだのか?


A (ゴールに)タッチして、順位を確認して優勝できたことを実感するまでに時間がかかっていました。プールを上がって応援してくれているチームメートのみんなが喜んで手を振ってくれていたり、そういう姿を見て、だんだんとうれしさが増してきました。ミックスゾーンで最初のテレビインタビューを受けるときに、寺川綾さんが喜んでいる姿を見たら、そこで一気に涙が出ました。(テレビインタビューが)号泣しながらのインタビューになってしまったんですけれど、その瞬間が一番今までのいろいろなことを思い返す瞬間でした。本当にメダルを取れて良かったなと思いました。


――Q 今大会でアジアの選手が力をつけている印象がある。そういった向上している要因は何が考えられるのか?(ロシア人記者)


 A 3位に入っていた中国の選手(張雨霏)はまだ若いと思います。今回、中国はロンドン五輪で金メダルを獲った焦劉洋選手が出ていない中で、そういう若手の選手が出てきていることは、これからもっと先に力をつけてくると思います。今回の表彰台は、日本人の私と中国の選手と2人乗ることができたのは、少しはアジアとして力をつけていることを見せられたのではないかと思います。
 


A 「いろいろな人の顔が浮かびました」


星は前半は抑え気味で泳ぎ150メートルのターンを3番手で折り返すと、そこから一気にスパートをかけて優勝した。

――Q 先ほどゴールしてしばらくしてからいろいろな思いがよぎったと言っていた。具体的に一番思い出した出来事であったり、誰かの顔があれば教えてほしい。


A  やはり昨年の手術(バセドー病)を経て、日本代表に戻ってくることすら厳しいと思っていました。

その中で平井先生の指導を受けるようになって、力をつける実感がどんどんあってこの試合に臨みました。当初は、メダルを獲りたいという気持ちも強かったのですが、こうして決勝で自分のレースができて、金メダルという最高の結果を出せました。

その時の状況を振り返ると「よくここまで来ることができたな」と自分でも思います。そのために、いろいろな人に支えてもらったので、病院の先生もそうですが、いろいろな人の顔が浮かびました。


――Q 平井監督に水泳が速くなる技術はたくさん教わったと思うが、水泳以外の部分で学んだことがあれば教えてほしい。


 A  今回の200メートルのレースが始まってからは、いつものレース前の緊張感とはまた違う緊張感というか、すごくレースを楽しみに思える自分がいました。調子が良かったからこその部分もあると思いますけれど、その部分は平井先生に指導を受けるようになってから、レースに対して自信を持てるだとか、平井先生がついているから大丈夫という信頼感があります。そこは大きく変わったところだと思います。


 ★バセドー病 甲状腺ホルモンが過剰につくられる病気。代謝が活発になりジョギングしているような状態で脈拍が速く、汗が多く、疲れやすくなり、微熱の症状が出る。食欲が増しても体重が減ってしまう人や食べ過ぎて体重が増えてしまう人もいる。顔つきや目つきがきつくなったり目が出てくる眼球突出は代表的な症状。


★星 奈津美(ほし なつみ、1990年平成2年8月21日 - )は、埼玉県越谷市出身の競泳選手24歳。春日部共栄高―早大。3歳から水泳を始める。五輪は08年北京10位、12年ロンドン銅メダル。世界選手権は11年4位、13年4位。験担ぎとして大会前にウナギを食べる。嵐の大野智のファン。1メートル64、55キロ。


経歴

星が競泳を始めたのは1歳半の時にベビースイミング教室に通い出したのがきっかけだった。

鷺後小学校、栄進中学校を経て、春日部共栄高校に進学すると、1,2年の時にはインターハイの200mバタフライで2連覇を達成した。3年の時には日本選手権200mバタフライ決勝で高校新記録の2分07秒38を出して2位となり、北京オリンピック代表に選ばれた。北京オリンピックでは準決勝まで進んだものの10位に終わった。

2009年に早稲田大学のスポーツ科学部に進学すると、学生選手権の200mバタフライでは3連覇、100mバタフライでは1年と3年の時に優勝を果たした。2009年のローマ世界選手権代表にはなれなかったが、2010年のアジア大会では200mバタフライで2位となった。

2011年は東北地方太平洋沖地震の影響で中止された日本水泳選手権の代替として開催された2011年度競泳国際大会代表選手選考会のバタフライ決勝では2分06秒05の日本新記録を出して優勝した。上海で開催された世界選手権決勝では2分05秒91の日本新記録を出しながら、3位の劉子歌(中華人民共和国の旗 中国)と僅か0.01秒差でメダルを逃した。

2012年4月のの日本水泳選手権200mバタフライ決勝では、自身の日本記録を1秒22も更新する2分4秒69で優勝してロンドンオリンピック代表に選ばれた。この記録は去年の世界選手権の優勝タイムを0秒86も上回るものであった。同年5月のジャパンオープン200mバタフライでは2分7秒45で優勝した。同年8月1日、ロンドンオリンピックの女子200mバタフライ決勝において、2分05秒48で3位に入り銅メダルを獲得した。

2014年4月にミズノ入社。

2015年8月7日2015年世界水泳選手権女子200mバタフライ決勝で金メダルを獲得。

人物

星は16歳の時にバセドウ病に罹患して、一時は泳げない時期もあった。甲状腺ホルモンの数値は安定していたものの、3ヶ月に1度の定期検診と薬の服用が必要な体であった。

2014年10月のアジア大会後、全身の倦怠感や疲れがひどくなり手術を決断、同年11月21日に甲状腺を全摘出した。

主な戦績

(全てバタフライでの成績)
2006年 - インターハイ 200m 優勝
2007年 - インターハイ 100m 2位 200m 優勝
2007年 - ジュニアオリンピック 100m 3位 200m 2位
2008年 - 北京オープン 100m 5位 200m 優勝
2008年 - 日本選手権 100m 4位 200m 2位
2008年 - ジャパンオープン 100m 3位 200m 優勝
2008年 - 北京オリンピック 200m 10位
2008年 - インターハイ 100m 3位
2008年 - 国体 200m 2位
2009年 - 学生選手権 100m 優勝 200m 優勝
2009年 - 国体 200m 2位
2010年 - 日本選手権 100m 5位 200m 優勝
2010年 - ジャパンオープン 100m 4位 200m 優勝
2010年 - パンパシフィック選手権 200m 5位
2010年 - 学生選手権 100m 4位 200m 優勝
2010年 - アジア大会 50m 6位 100m 8位 200m 2位
2011年 - 競泳国際大会代表選手選考会 50m 8位 100m 3位 200m 優勝
2011年 - ジャパンオープン 100m 4位 
2011年 - ユニバーシアード 200m 2位
2011年 - 世界選手権 200m 4位
2011年 - 国体 100m 4位
2011年 - ワールドカップ東京大会 100m 5位 200m 3位
2012年 - 日本選手権 200m 優勝
2012年 - ジャパンオープン 200m 優勝
2012年 - サンタクララ国際 200m 優勝

自己ベスト
50mバタフライ 27秒45
100mバタフライ 58秒78
200mバタフライ 2分04秒69(日本記録)


・オリンピックのメダル

銅 2012 ロンドン 200mバタフライ

・世界水泳のメダル

金 2015 カザン 200mバタフライ