風に吹かれて旅するブログ

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12月2日はビフィズス菌の日、全国防災デー、原子炉の日、日本人宇宙飛行記念日、安全カミソリの日、日本アルゼンチン修好記念日、美人証明の日、等の日

2016年12月2日は何の日?

12月2日はビフィズス菌の日、全国防災デー、原子炉の日、日本人宇宙飛行記念日、安全カミソリの日、日本アルゼンチン修好記念日、美人証明の日、等の日です。

 

●『ビフィズス菌の日』 :
ビフィズス菌入りのヨーグルトなどを販売する大手製菓メーカーが制定。

善玉菌の代表といわれるビフィズス菌入りの食品を食べることでおなかを良い状態に保ち、健康を維持してもらうのが目的です。

日付は、フランスの小児科医のアンリ・ティシェ氏がパリの生物学会でビフィズス菌の発見を発表した1899(明治32)年の12月2日に因んでいます。

 

●『全国防災デー』 :
火災の多くなる季節を前に、全国的に防火活動を推進するもので、防火設備の点検や火災予防のPRを行います。

 

●『原子炉の日(Nuclear Reactor Day)』 : 
1942(昭和17)年のこの日、アメリカのシカゴ大学に設置された実験用小型原子炉「シカゴ・パイル1号」で、ウランの核分裂の持続的な連鎖反応に成功しました。

これが世界初の原子炉の誕生で、最大出力は0.5㍗でした。

指導に当ったのはイタリアから亡命していたノーベル物理学者「エンリコ・フェルミ」で、後に原爆開発の「マンハッタン計画」にも参加した人物です。

 

●『日本人宇宙飛行記念日』 : 
1990(平成2)年、TBSの記者(当時)「秋山豊寛」を載せたソ連の「ソユーズTM11号」が打ち上げられ、日本人が初の宇宙飛行に成功した記念日です。

※秋山記者は、12月10日に無事帰還しました。

因みに、1992(平成4)年9月12日~9月20日までスペースシャトル「エンデバー」に搭乗した「毛利衛(まもる)」は、日本で2番目の宇宙飛行士です。

関連記念日として、◎4月12日の「世界宇宙飛行の日」、◎7月20日の「月面着陸の日」、◎9月12日の「宇宙の日」、◎10月4日の「宇宙開発記念日」があります。

また、◎9月1日~30日は「宇宙月間」、◎10月4日~10日は「世界宇宙週間」となっています。 

 

●『安全カミソリの日』 : 
1901(明治34)年、アメリカ人の「キング・キャンプ・ジレット」が替え刃式の安全カミソリを考案し、特許をとった日です。  

 

●『日本アルゼンチン修好記念日(Japón, La Amistad Argentina el Día Conmemorativo)』 : 
1898(明治31)年、日本と南アメリカ南部に位置する「アルゼンチン」との間に「修好通商航海条約」が結ばれた日です。  

 

●『美人証明の日』 :
栃木県足利市にある「厳島神社」では2006(平成18)年12月2日に、御祭神の「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」の分身として「美人弁天」を建立しました。

これを契機に町内で「美人弁天町おこしの会」が発足し、参拝者に心柔らかな品性ある美人である事を証明する日本で唯一の「美人証明書」を無料で配布しています。

心の優しい美人弁天と「美人の国・足利」をアピールしようと同会が制定。

 

●『奴隷制度廃止国際デー(International Day for the Abolition of Slavery)』 :
国連が制定した国際デーの一つです。

1949(昭和24)年のこの日、国連総会で「人身売買および他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」が採択された記念日です。

 

●『ジョルテの日』 :
「ジョルテ」を中心としたカレンダーサービス事業を行う会社が制定。

紙の手帳の使いやすさと、デジタルならではの多彩な機能を併せ持つカレンダー&システム手帳アプリ「ジョルテ」をPRするのが目的です。

日付は、「ジョルテ」が手帳とカレンダーの両方の機能を兼ね備えたアプリであることから◎12月1日の「手帳の日」と、12月3日の「カレンダーの日」の間の日にしました。

 

☆彡毎月2日は、
●『麩の日』 :
正式に制定された訳ではありませんが、協同組合「全国製麩工業会」が毎月2日を「麩の日」としてPRしています。

◎正式に「記念日協会」に登録された「麩(ふ)の日」は、2月2日です。


☆彡12月2日の『誕生花』:

サイネリア  花言葉は元気、常に快活

ドラセナ  花言葉は幸せな恋、幸福、名もない寂寥

キンギョソウ(白)  花言葉はおしゃべり、清純な心、仮定、推測、予知、でしゃばり

ユーカリ  花言葉は思い出、慰め

コケ類  花言葉は母性愛、信頼、孤独

ブラキカム・Brachycome 花言葉は「優美」

ヘリコニア・Heliconia Flower 花言葉は「風変りな人」です。


★秋山豊寛

秋山 豊寛(あきやま とよひろ、1942年(昭和17年)6月22日 - )は、日本のジャーナリスト、ソビエト連邦第3級宇宙飛行士、京都造形芸術大学芸術学部教授。元TBS[1]記者・ワシントン支局長。

TBSに勤務していた1989年から1990年にかけて、民間人では初めて商業宇宙飛行を利用するとともに、ジャーナリストでは初めて宇宙空間から宇宙を報道。現在は、初めて宇宙に行った日本人として、宇宙探検家協会(ASE、“宇宙飛行を経験した宇宙飛行士”の国際団体)の会員にもなっている。
また、旧ソビエト連邦の宇宙ステーションミールに滞在した唯一の日本人でもある

●人物・来歴
東京都出身。攻玉社高校を経て、国際基督教大学 (ICU) 教養学部社会科学科へ進学。秋山自身は、実家の経済状況が芳しくなかったことから、高校で学生生活を終えるつもりだったという。やがて、親戚の援助で攻玉社高校へ進むと、落語に興じるようになった(ゲストで出演したMBSラジオ『おとなの駄菓子屋』の2012年11月18日放送分より)。

大学卒業後の1966年にTBSへ入社(同期に城所賢一郎、川戸惠子など)。入社後にラジオニュース部へ配属されると、収録番組の構成や、『ニュースハイライト』の取材などを担当した。入社2年目の1967年12月からイギリスのBBC(英国放送協会)へ出向。NHK・朝日放送からの出向者とともに、BBC日本語放送での番組制作・取材に携わった。

BBCへの出向期間を終えた1970年から、TBSの外信部に配属。1976年には、後にTBSテレビでニュースキャスターを務める先輩記者の新堀俊明とともに、ベトナム戦争終結後のハノイを非共産圏ジャーナリストとして初めて取材した。1977年からは、政治部の外務省担当記者を経て、『おはよう地球さん』の海外取材ディレクターや『JNN報道特集』(いずれもテレビ番組)のディレクターを担当。1984年から1988年までTBSのワシントン支局長を務めた後に、外信部デスクを歴任した。

●日本人初宇宙へ
1989年にTBSが、日本人のミール訪問に関する協定をソビエト連邦の宇宙総局と調印。TBS社内の98人の応募者の中から、同年9月に同僚の菊地涼子とともにTBSの2人の宇宙飛行士候補に選抜された。1989年10月から1990年11月まで、モスクワ郊外の星の街の宇宙飛行士訓練センターで訓練を行い、打ち上げ前日の1990年12月1日に国家審査委員会から宇宙飛行士の承認を受ける。

TBSが調印した1989年時点では毛利衛のスペースシャトルでの飛行が日本人初になるはずであった。ところが1986年のチャレンジャー号爆発事故で毛利の飛行が遅れたために、1990年12月2日、ソ連のバイコヌール宇宙基地より宇宙船ソユーズTM-11搭乗の秋山が、初めて宇宙へ行った日本人宇宙飛行士となり、同時に世界で初めて宇宙に行ったジャーナリスト(TBSのいう“宇宙特派員”)ともなった。

TBSによる一連の番組は、「TBS宇宙プロジェクト『日本人初!宇宙へ』」と題し、テレビ・ラジオ双方で連日放送した。打ち上げ、帰還時は長時間にわたる特別番組を放送し、全て生放送で模様を伝えた(打ち上げ時の視聴率は36%)。ソユーズTM-11が周回軌道にのった後、生中継で東京のスタジオからの呼びかけに対して、「これ、本番ですか?」という第一声を発したことはよく知られている。

なお、帰還後に上梓した著書の中で、第一声は「宇宙は混沌としています」と発しようと考えていたが、実は宇宙は混沌とはしておらず、生中継に備えてツープ(ソ連宇宙飛行管制センター)と交信中に割り込んできた形となった東京からの呼びかけに思わず反応した「これ、本番ですか?」は、もっとも放送人らしい第一声だったのではないだろうか、と振り返っている。

翌日、宇宙ステーションミールとドッキングすると、乗組員兼ジャーナリストとして「日常」生活をリポートした。宇宙実験では、日本から持ち込んだカエルを無重力環境に置くとどうなるか、扇子で扇いで移動できるかといったことや、自らが被験者となり睡眠実験などの試みがなされた。

宇宙から見た北海道を「おいしそうな昆布にみえます」とも言った。滞在中はひどい宇宙酔いに悩まされた(同乗したロシアの宇宙飛行士は、「あんなに吐く人間は見たことがない」と述べている(「ドラゴンフライ」より))。

8日間の宇宙生活を終え、同年12月10日に、先にミールとドッキングしていたソユーズTM-10でカザフスタンのアルカリクに無事着陸。帰還した直後、マイクを向けられた秋山は「お酒が飲みたい。タバコが吸いたい」と話した。

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