風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

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12月2日は秩父夜祭、おしろい祭、INF菱形ラスの日、ジョルテの日、美人証明の日、デーツの日、全国防災デー、原子炉の日、日本人宇宙飛行記念日、安全カミソリの日、日本アルゼンチン修好記念日、ビフィズス菌の日、等の日&話題

おこしやす♪~

12月2日は何の日? その時、何してた? 

 

2023年(令和5年)

12月2日は秩父夜祭、おしろい祭、INF菱形ラスの日、ジョルテの日、美人証明の日、デーツの日、全国防災デー、原子炉の日、日本人宇宙飛行記念日、安全カミソリの日、日本アルゼンチン修好記念日、ビフィズス菌の日、等の日です。

 
■秩父夜祭(~3日)【埼玉県秩父市、秩父神社】(諸事情要確認)


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2016年12月1日にユネスコの無形文化遺産として『日本の山・鉾・屋台行事(やま・ほこ・やたいぎょうじ)』が登録されました。
元々、秩父夜祭りは国の『重要有形民俗文化財(秩父祭屋台)』および『重要無形民俗文化財(秩父祭屋台の祭り囃子、踊り、秩父神楽)』に登録されており、秩父祭屋台も祭りで行われるパフォーマンスの数々はまさに国宝級です。
今回の世界遺産登録で、秩父夜祭は世界的にも希少で価値の高いものであることが認められました。
※12月2日(宵宮)    
屋台4基が巡行 午後8時まで
往時の雰囲気を感じる事ができ、山車の近くで楽しめ
ゆっくりと観覧できる
日中は、山車の綱を曳くことができる場合も

※12月3日(本祭)    
笠鉾・屋台の6基が巡行 早朝から翌朝まで
最もにぎわうのがこの3日、この日の夜がお祭りの最高潮となるため
秩父夜祭と言われる
日中と夜の山車のおもむきは、違うため両方観覧するのがお勧め
ご神幸行列が秩父神社を出発するのは午後6時頃


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●秩父夜祭では花火大会も華やかで壮大
・秩父夜祭花火大会について
打上時間:12月2日(土) 19:00~20:00 単発花火の打上
     12月3日(日) 19:30~22:00 花火大会
打上場所:羊山公園内(立入禁止の規制時間有り)
観覧場所:12月3日(日) よく見える場所
国道140号の西武秩父駅前信号~上野町交差点の間
秩父市役所駐車場(花火観覧会場)
西武秩父駅前


■おしろい祭【福岡県朝倉市、大山祇神社】


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2023年12月2日(土) 祭り=14:00~、おしろい塗り=15:00~ 
福岡県/朝倉市/大山祗神社 
300年以上続く伝統の神事。
 新米(初穂)を粉にして水で溶いた「おしろい」を顔にぬるもので、昔の農家の人が、氏子の繁栄と新穀の豊作を神に感謝し、来年の五穀豊穣を祈願する、全国でも類のない奇習とされています。
おしろいの顔の付き具合で来年の豊凶を占います。
このおしろいは家に帰るまで顔を洗ったり落としてはならず、火の中に入れると火事になり、帰って牛馬の飼料に混ぜて飲ませると無病息災だといいます。

●INF菱形ラスの日 
大阪府東大阪市に本社を置き、兵庫県三田市に三田工場を構えて菱形ラス金網を専門に製造、西日本最大級の供給量を誇る藤田鉄網商工株式会社が制定。菱形ラスとは主に山の斜面の崩れを防ぐ下地として使われる金網のことで、INFはIron(鉄) Net(網) Fujita(藤田)の頭文字をとった同社のオリジナルブランド名。2023年の創業55周年を機に記念日を登録し、この製品を通して人々の命や暮らしを守るとともに、製品に対する責任と誇りを持ち続けることが目的。日付はブランド名をI(I=1)、N(Ni=2)、F(ふたつ=2)と見立てて記念日を12月2日としたもの。また、同社監査役(代表取締役の母)の誕生日であることも由来となっている。 

 

●『ジョルテの日』 :

「ジョルテ」を中心としたカレンダーサービス事業を行う会社が制定。紙の手帳の使いやすさと、デジタルならではの多彩な機能を併せ持つカレンダー&システム手帳アプリ「ジョルテ」をPRするのが目的です。日付は、「ジョルテ」が手帳とカレンダーの両方の機能を兼ね備えたアプリであることから◎12月1日の「手帳の日」と、12月3日の「カレンダーの日」の間の日にしました。
 

●『美人証明の日』 :

 

 


栃木県足利市にある「厳島神社」では2006(平成18)年12月2日に、御祭神の「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」の分身として「美人弁天」を建立しました。これを契機に町内で「美人弁天町おこしの会」が発足し、参拝者に心柔らかな品性ある美人である事を証明する日本で唯一の「美人証明書」を無料で配布しています。
心の優しい美人弁天と「美人の国・足利」をアピールしようと同会が制定。

 

 

●デーツの日 

広島県広島市に本社を置き、お好みソースなどさまざまなソースや調味料などを開発、製造、販売するオタフクソース株式会社が制定。「デーツ」はナツメヤシの実を完熟させたドライフルーツ。お好みソースの甘みとコクをだす原材料としても使われ、栄養価の高い「デーツ」の認知度を高め、多くの人に食べてもらうきっかけの日とするのが目的。日付は12月の英単語のDecemberの頭文字のDと数字の2を組み合わせて「デー(D)ツ(2)」と読む語呂合わせから。またヨーロッパではクリスマスのお菓子の材料に使われるので、クリスマスの月に「デーツ」を広めていきたいとの思いが込められている。

 

 

 
●『全国防災デー』 : 
  火災の多くなる季節を前に、全国的に防火活動を推進するもので、防火設備の点検や火災予防のPRを行います。
 
●『原子炉の日(Nuclear Reactor Day)』 : 1942(昭和17)年のこの日、アメリカのシカゴ大学に設置された実験用小型原子炉「シカゴ・パイル1号」で、ウランの核分裂の持続的な連鎖反応に成功しました。これが世界初の原子炉の誕生で、最大出力は0.5㍗でした。指導に当ったのはイタリアから亡命していたノーベル物理学者「エンリコ・フェルミ」で、後に原爆開発の「マンハッタン計画」にも参加した人物です。
 
●『日本人宇宙飛行記念日』 : 

1990(平成2)年、TBSの記者(当時)「秋山豊寛」を載せたソ連の「ソユーズTM11号」が打ち上げられ、日本人が初の宇宙飛行に成功した記念日です。

※秋山記者は、12月10日に無事帰還しました。因みに、1992(平成4)年9月12日~9月20日までスペースシャトル「エンデバー」に搭乗した「毛利衛(まもる)」は、日本で2番目の宇宙飛行士です。

 

関連記念日として、
◎4月12日の「世界宇宙飛行の日」、◎7月20日の「月面着陸の日」、◎9月12日の「宇宙の日」、◎10月4日の「宇宙開発記念日」があります。また、◎9月1日~30日は「宇宙月間」、◎10月4日~10日は「世界宇宙週間」となっています。 


★秋山豊寛秋山 豊寛(あきやま とよひろ、1942年(昭和17年)6月22日 - )は、日本のジャーナリスト、ソビエト連邦第3級宇宙飛行士、京都造形芸術大学芸術学部教授。元TBS記者・ワシントン支局長。TBSに勤務していた1989年から1990年にかけて、民間人では初めて商業宇宙飛行を利用するとともに、ジャーナリストでは初めて宇宙空間から宇宙を報道。現在は、初めて宇宙に行った日本人として、宇宙探検家協会(ASE、“宇宙飛行を経験した宇宙飛行士”の国際団体)の会員にもなっている。また、旧ソビエト連邦の宇宙ステーションミールに滞在した唯一の日本人でもある。
 
●『安全カミソリの日』 : 1901(明治34)年、アメリカ人の「キング・キャンプ・ジレット」が替え刃式の安全カミソリを考案し、特許をとった日です。 
 
●『日本アルゼンチン修好記念日(Japón, La Amistad Argentina el Día Conmemorativo)』 : 1898(明治31)年、日本と南アメリカ南部に位置する「アルゼンチン」との間に「修好通商航海条約」が結ばれた日です。 
 

●『ビフィズス菌の日』 :
江崎グリコ株式会社が制定 

 

 

  ビフィズス菌入りのヨーグルトなどを販売する大手製菓メーカーが制定。善玉菌の代表といわれるビフィズス菌入りの食品を食べることでおなかを良い状態に保ち、健康を維持してもらうのが目的です。日付は、フランスの小児科医のアンリ・ティシェ氏がパリの生物学会でビフィズス菌の発見を発表した1899(明治32)年の12月2日に因んでいます。 

☆彡ビフィズス菌と乳酸菌?
ビフィズス菌も乳酸菌も善玉菌ですが、異なる微生物で腸内ですんでいる場所も数も違います。
ビフィズス菌は腸内細菌の約10%(成人の場合)を占め、乳酸菌の100倍以上多く、からだへの影響はビフィズス菌の方がより大きいと考えられます。
ビフィズス菌は、乳児の時に最も多くなり腸内細菌のほとんどを占めるようになっています。
でも加齢とともに善玉菌のビフィズス菌は減少し、中高年以降は悪玉菌が急速に増加します。高齢者ではビフィズス菌は極めて少なくなります。
ビフィズス菌を増やすには、外から生きたビフィズス菌を補給すること。そして腸内にいるビフィズス菌を増やすこと。そのために悪玉菌を増やす肉類や油脂類を控え、食物繊維が豊富な野菜をとることが有効です。
また、ヨーグルトからの補給も効果的ですが、すべてにビフィズス菌が入っているわけではありません。生きたビフィズス菌の入ったものを選び、継続的にとることが大切です。
ビフィズス菌は、1899年にフランスの研究者によって母乳で育てられている乳児から発見されました。
現在までに人だけでなく、ウシやイヌ、ネコなど様々な動物の腸内から約30種のビフィズス菌が見つかっています。人の腸内に検出されるビフィズス菌は、そのうち10種類程度と言われています。
生きて届きおなかで増えるビフィズス菌BifiXと、発酵する食物繊維イヌリンが入ったヨーグルト。ほんのりとした甘みがついているから、そのまま食べられます。カロリーが気になる人でも安心の58kcal(1個あたり)で、すっきりとした味わいの脂肪ゼロヨーグルトです。「元気なビフィズス菌を育てよう! 食物繊維で」というメッセージを込めたパッケージにリニューアルしました。


 
■『奴隷制度廃止国際デー(International Day for the Abolition of Slavery)』 :国連が制定した国際デーの一つです。1949(昭和24)年のこの日、国連総会で「人身売買および他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」が採択された記念日です。

■建国記念日( ラオス)
1975年のこの日、ラオスで王制が廃止され、ラオス人民民主共和国が成立したことを記念。

■連邦結成記念日( アラブ首長国連邦)
1971年のこの日、イギリスの保護下にあったアブダビ、ドバイ、シャールジャ、アジュマーン、ウンム・アル=カイワイン、フジャイラの6つの首長国が独立してアラブ首長国連邦を結成したことを記念。翌年ラアス・アル=ハイマが加入し、現在の7首長国の体制となった。
 


☆彡忌日(カッコ内は生年)
1348年(貞和4年/正平3年11月11日) - 花園天皇 、第95代天皇( 1297年)
1547年 - エルナン・コルテス、探検家( 1485年)
1594年 - ジェラール・メルカトル、地図学者( 1512年)
1628年(寛永5年11月7日) - 小野忠明、剣術家( 1569年)
1810年 - フィリップ・オットー・ルンゲ、画家( 1777年)
1814年 - マルキ・ド・サド、フランスの貴族、小説家( 1740年)
1845年 - ジモン・マイール、作曲家( 1763年)
1846年(弘化3年10月14日) - 伴信友、国学者( 1773年)
1859年 - ジョン・ブラウン、奴隷制度廃止運動家( 1800年)
1894年 - ヘルマン・ロエスレル、法学者、経済学者( 1834年)
1910年 - グスタフ・アドルフ・フォン・ゲッツェン、探検家( 1866年)
1912年 - 川崎正蔵、実業家、川崎造船所創業者( 1838年)
1916年 - フランチェスコ・パオロ・トスティ、作曲家( 1846年)
1918年 - エドモン・ロスタン、劇作家、詩人( 1868年)
1923年 - トマス・ブレトン、作曲家( 1850年)
1924年 - フーゴ・フォン・ゼーリガー、天文学者( 1849年)
1931年 - ヴァンサン・ダンディ、作曲家( 1851年)
1934年 - トーマス・エスピン、天文学者( 1858年)
1938年 - 江口きち、歌人( 1913年)
1941年 - 野崎廣太、実業家( 1859年)
1944年 - ヨゼフ・レヴィーン、ピアニスト( 1874年)
1944年 - フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ、詩人、評論家( 1876年)
1944年 - 沢村栄治、プロ野球選手( 1917年)
1945年 - 岩崎小弥太、実業家、三菱財閥4代目総帥( 1879年)
1945年 - 安井てつ、教育者( 1870年)
1948年 - チャノ・ポソ、ラテンジャズコンガ奏者( 1915年)
1950年 - ディヌ・リパッティ、ピアニスト( 1917年)
1955年 - 岩崎久弥、実業家( 1865年)
1956年 - ハインリッヒ・バルクハウゼン、物理学者( 1881年)
1959年 - ジョン・オーガスト・アンダースン、天文学者( 1876年)
1962年 - 細川嘉六、ジャーナリスト、政治学者、政治家( 1888年)
1963年 - 佐佐木信綱、歌人( 1872年)
1964年 - 青木正児、中国文学研究家( 1887年)
1964年 - ジョゼフ・ドッジ、銀行家( 1890年)
1966年 - ライツェン・エヒベルトゥス・ヤン・ブラウワー、数学者( 1881年)
1966年 - 舟崎由之、実業家( 1894年)
1970年 - 河西三省、アナウンサー、実業家( 1898年)
1974年 - ソフィー=カルメン・エックハルト=グラマッテ、作曲家( 1901年)
1975年 - 森田忠勇、プロ野球監督( 1905年)
1979年 - 植草甚一、評論家( 1908年)
1980年 - 麻生太賀吉、実業家、政治家( 1911年)
1984年 - 牧野茂、プロ野球選手、コーチ( 1928年)
1986年 - デジ・アーナズ、俳優( 1917年)
1987年 - ヤーコフ・ゼルドビッチ、物理学者( 1914年)
1990年 - アーロン・コープランド、作曲家( 1900年)
1990年 - 浜口庫之助、作曲家( 1917年)
1998年 - 織田幹雄、陸上競技三段跳選手( 1905年)
2002年 - イヴァン・イリイチ、哲学者( 1926年)
2002年 - マル・ウォルドロン、ジャズピアニスト( 1926年)
2003年 - 西村公朝、仏師( 1915年)
2004年 - アリシア・マルコワ、バレエダンサー( 1910年)
2006年 - マリスカ・ヴェレス、ロック歌手(ショッキング・ブルー)( 1947年)
2007年 - 多田道太郎、フランス文学者( 1924年)
2007年 - エレオノラ・ロッシ=ドラゴ、女優( 1925年)
2008年 - オデッタ、フォークソング歌手( 1930年)
2009年 - 平山郁夫、日本画家( 1930年)
2014年 - ジャン・ベリヴォー、アイスホッケー選手( 1931年)
2017年 - はしだのりひこ、シンガーソングライター・フォークシンガー( 1945年)
2020年 - レイファー・ジョンソン、元陸上競技選手、俳優( 1934年)
2020年 - パット・パターソン、元プロレスラー( 1941年)
2020年 - 平松一夫、会計学者( 1947年)

 

★マルキ・ド・サド
マルキ・ド・サド(Marquis de Sade, 1740年6月2日 - 1814年12月2日)は、フランス革命期の貴族、小説家。マルキはフランス語で侯爵の意であり、正式な名は、ドナスイェン・アルフォーンス・フランソワ・ド・サド

サドの作品は暴力的なポルノグラフィーを含み、道徳的に、宗教的に、そして法律的に制約を受けず、哲学者の究極の自由(あるいは放逸)と、個人の肉体的快楽を最も高く追求することを原則としている。サドは虐待と放蕩の廉で、パリの刑務所と精神病院に入れられた。バスティーユ牢獄に11年、コンシェルジュリーに1か月、ビセートル病院(刑務所でもあった)に3年、要塞に2年、サン・ラザール監獄(英語版)に1年、そしてシャラントン精神病院(英語版)に13年入れられた。サドの作品のほとんどは獄中で書かれたものであり、しばらくは正当に評価されることがなかったが、現在は高い評価を受けている。サディズムという言葉は、彼の名に由来する。
配偶者    ルネ・ペラジー・コルディエ・ド・ローネー・ド・モントルイユ
著名な家族    ジャン・バティスト・フランソワ・ジョゼフ・ド・サド
マリー・エレオノール・ド・マイエ・ド・カルマン
主な作品
『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』
『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』
『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』

 


★川崎正蔵
川崎 正蔵(かわさき しょうぞう、天保7年7月10日(1836年8月10日) - 大正元年(1912年)12月2日)は、日本の実業家、政治家。神戸川崎財閥の創設者。川崎造船所(現・川崎重工業)創業者。美術蒐集家。川崎美術館(日本で最初の私立美術館)建設。貴族院議員。幼名・磯治。従五位。隠居後は米寿まで生きることを願って「川崎米年蔵」を名乗った。
栄典
1888年(明治21年)3月31日 - 従六位
1902年(明治35年)2月22日 - 勲五等瑞宝章
1912年(大正元年)12月2日 - 従五


★沢村栄治
沢村 栄治(さわむら えいじ、旧字体:澤村 榮治、1917年〈大正6年〉2月1日 - 1944年〈昭和19年〉12月2日)は、三重県出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。

日本プロ野球黎明期において伝説的な活躍をした不滅の大投手。1934年の日米野球では持ち前の快速球でベーブルースやルー・ゲーリックらメジャーリーグ選抜を手玉に取ったほか、二度の渡米遠征で活躍するなど、"スクールボーイ・サワムラ"として野球の本場アメリカでもその名を馳せた。
日本で職業野球が開始されると、巨人の初代エースとなり1936年の初優勝に大きく貢献。1937年春季には史上初の投手5冠に輝き、初代最高殊勲選手(MVP)を受賞した。のち、史上最多タイの3回のノーヒットノーランも達成している。
しかし、兵役で肩を痛めて快速球の威力は失われ、三度の応召を経て1944年戦死。
戦後の1947年に功績が称えられて巨人の背番号14は初の永久欠番に指定される。また、同年に設立された最も優れた投手に贈られるタイトル「沢村賞」にその名を残している。1959年に野球殿堂入り。


★岩崎久弥
岩崎 久弥(いわさき ひさや、1865年10月14日〈慶応元年8月25日〉 - 1955年〈昭和30年〉12月2日)は、日本の実業家。三菱財閥3代目総帥。正四位、男爵
父・弥太郎は三菱財閥の創設者。
配偶者    岩崎寧子
子供    長男・彦弥太
次男・隆弥
三男・恒弥
長女・美喜(沢田廉三夫人)
次女・澄子(甘露寺方房夫人)
三女・綾子(福澤堅次夫人)
親    岩崎弥太郎(父)
岩崎喜勢(母)
◆栄典
位階
1887年(明治20年)9月21日 - 従四位[4]
1903年(明治36年)12月11日 - 正四位
勲章等
1887年(明治20年)9月29日 - 金製黄綬褒章[5]
1888年(明治21年)12月7日 - 銀盃一組・銀盃一個[6]
1896年(明治29年)6月9日 - 男爵
1904年(明治37年)4月18日 - 勲三等瑞宝章

 

★デジ・アーナズ
デジデリオ・アーナズまたはデジ・アーナズ (Desiderio Arnaz, Desi Arnaz, 1917年3月2日 - 1986年12月2日)は、アメリカで活躍したキューバ生まれの俳優、プロデューサー、ミュージシャン。ラテン音楽バンドのデジ・アーナズ・オーケストラのリーダーとして著名になり、当時結婚していたルシル・ボール主演の連続テレビ・ドラマ『アイ・ラブ・ルーシー』のリッキー・リカード役で特に知られる。ボールとアーナズはこの番組の再放送方法の考案者としてクレジットされている。
配偶者    ルシル・ボール (1940-1960)/Edith Mack Hirsch (1963-1985)


★浜口庫之助
浜口 庫之助(はまぐち くらのすけ、1917年7月22日 - 1990年12月2日)は、日本のシンガーソングライター。愛称はハマクラ。
兵庫県神戸市出身。東京府立第四中学校卒業。青山学院大学商学部卒業。パーカッショニストの浜口茂外也は息子。元女優の渚まゆみは妻。
1950年結婚、一男一女をもうける。長男はスタジオミュージシャンで、ラテンパーカッショニストとして日本屈指の存在である浜口茂外也。
「浜口庫之助とアフロ・クバーノ」として1953年から1955年まで3年連続でNHK紅白歌合戦に出場した(第4回・第5回・第6回を参照)。

1957年、新宿コマ劇場で公演を行った海外の舞踊団が「郷土の芸術をお見せできるのは光栄なこと」と挨拶したのを見た浜口は、外国の音楽を演奏するのではなく日本の曲を創作することこそが重要だと認識するようになり、バンドを解散、歌手活動を停止し、作詞家・作曲家へ転向。
1959年、「黄色いさくらんぼ」、「僕は泣いちっち」がヒットし、作詞家・作曲家として頭角を現すようになる。翌1960年に作詞した「有難や節」のヒット以降は社会情勢や大衆心理をとらえた作品作りを意識することで数々のヒット曲を生み出すようになった[7]。また「有難や節」を題材にした日活映画『有難や節 あゝ有難や有難や』にも出演している。
1960年代には数々のヒット曲を出し、ヒットメーカーと呼ばれるようになる。
1965年、「愛して愛して愛しちゃったのよ」を歌った和田弘とマヒナスターズ、ビリーバンバン、西郷輝彦、にしきのあきらなど自らの弟子をスターに育て上げるなど人材育成にも才能を発揮。

1966年、「星のフラメンコ」「バラが咲いた」で日本レコード大賞(第8回)・作曲賞を受賞。以降、1972年石原裕次郎の「恋の町札幌」に至るまでヒット曲を世に送り続けた。鮮明に訴えかけるような個性の強い詞・曲作りを得意とし、今もなお一節が多くの人の記憶に残るようなヒット作が多い。
1973年に女優の渚まゆみと再婚。一女を儲けた。
晩年の1987年には、島倉千代子に楽曲提供した「人生いろいろ」(作詞:中山大三郎)が大ヒットした。
大衆のために歌を作るという浜口の思いは強く、1990年には文化庁から叙勲(勲四等)の打診があった際には「勲章のため曲を作っているのではない」という思いから辞退した。
1990年12月2日、喉頭癌のため死去。


★織田幹雄
織田 幹雄(おだ みきお、1905年(明治38年)3月30日 - 1998年(平成10年)12月2日)は、日本の陸上選手、指導者。広島県安芸郡海田町出身。1928年アムステルダムオリンピック三段跳金メダリスト。

 

「日本人初のオリンピック金メダリスト」であり、アジア人初のオリンピック金メダリストでもある。織田の金メダルにより、日本陸上は一躍世界の第一線に躍り出たと言われる。
当時英語で「ホップ・ステップ・アンド・ジャンプ」(現在はトリプルジャンプ)と呼ばれた競技名を「三段跳」と訳した。早稲田大学時代に競技会のプログラムを作る際、織田が「三段跳」と訳した。
三段跳では、織田(1928年五輪)・南部忠平(1932年五輪)・田島直人(1936年五輪)と3大会連続で金メダルを獲得したことから、当時は、「日本のお家芸」とも言われた。
「陸上の神様」、あるいは「日本陸上界の父」と呼ばれ、戦後日本全国で陸上競技を指導・普及した、いわば、育ての親のような存在である。国際オリンピック委員会オリンピック功労賞受賞。
文化功労者、広島県名誉県民、安芸郡海田町名誉町民、東京都名誉都民、渋谷区名誉区民。最終学歴は早稲田大学商学部卒業。朝日新聞社に入社し最終的には朝日新聞運動部部長、のち早稲田大学教授を務めた。

身長    167cm (5ft 7in)
体重    65kg (143lbs)
自己ベスト
走高跳    1m92 (1927年)
走幅跳    7m52 (1931年)
三段跳    15m58 (1931年)
獲得メダル
日本の旗 日本
陸上競技
オリンピック
金    1928 アムステルダム    男子三段跳

陸上競技訓

一、陸上競技は楽しく
一、美しい動きを作れ
一、身体の動きが技術
一、練習で自信を作る
一、笑えば緊張が解ける
一、力だけでは勝てない
一、走るには脚を前へ
一、跳ぶには前脚で
一、投げるには回転の早さで
一、速さは低い姿勢から立つ

 

 

★アリシア・マルコワ
アリシア・マルコワ (Dame Alicia Markova DBE, 1910年12月1日 - 2004年12月2日) は、イギリスのバレエダンサー。

14歳の時にS・ディアギレフの門を叩き、モンテカルロでのバレエ・リュス公演 『ナイチンゲールの歌』 でバレエの初舞台を踏む。ロシア人でなければ素晴らしい踊り手ではないという当時の偏見を避けるため、アリシア・マルコワという芸名をディアギレフがつけた。バレエ・リュスとともにヨーロッパ中を巡演した。当り役は 『ジゼル』 のタイトル・ロールで、他にも 『くるみ割り人形』 や 『白鳥の湖』 などの全幕作品に主演した初の英国人ダンサーとなった。その優雅さ、そして通常のダンサーより小柄だったことから 「小さなパヴロワ」 と評されたこともあった。

1929年のディアギレフの死後は英国へ戻り、結成直後のヴィック・ウェルズ・バレエ団 (後のロイヤル・バレエ団) のプリマとして活躍していたが、当時は小規模だったこのカンパニーの活動だけでは飽き足らず、バレエ・リュス・ド・モンテカルロなどに客演していた。第二次世界大戦中は、疎開も兼ねて米国に渡り活動を続け、ハリウッドで映画にも出演した。

1950年、パートナーだったアントン・ドーリンと共にマルコワ・ドーリン・バレエ団を組織した。このバレエ団はその後フェスティバル・バレエ団と改称した後、1989年にイングリッシュ・ナショナル・バレエ団と名を改め、ロイヤル・バレエ団、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団と並び英国を代表するバレエ団として現在でも活動を続けている。

2004年、バースの病院で死去。

 

★エレオノラ・ロッシ=ドラゴ
エレオノラ・ロッシ=ドラゴ(Eleonora Rossi Drago, 1925年9月23日 - 2007年12月2日)は、イタリア・ジェノヴァ出身の女優。

2007年12月2日、脳出血のためパレルモで死去。82歳だった。
出演作品
地中海の虎 I pirati di Capri (1949年)
人間魚雷 sette dell'Orsa maggiore (1953年)
戦争と女 Destinées (1954年)
埋れた青春 L'Affaire Maurizius (1954年) - キネマ旬報ベストテン第4位 
ナポレオン Napoléon (1955年)
女ともだち Le amiche (1955年)
出撃命令 Il prezzo della gloria (1956年)
南十字星の下 Dagli Appennini alle Ande (1959年)
刑事 Un Maledetto imbroglio (1959年)
激しい季節 Estate violenta (1959年)
全艦船を撃沈せよ Sotto dieci bandiere (1960年)
ダビデとゴライアス David e Golia (1960年)
女の部屋 La garçonnière (1960年)
ビザンチン大襲撃 Rosmunda e Alboino (1961年)
二十歳の恋 L'amour à vingt ans (1962年)
史上最笑の作戦 Il giorno più corto (1963年)
もしお許し願えれば女について話しましょう Se permettete parliamo di donne (1964年)
私は宇宙人を見た Il disco volante (1964年) 
アンクル・トム Onkel Toms Hütte (1965年)
天地創造 La Bibbia (1966年)
ドリアン・グレイ/美しき肖像 Dorian Gray (1970年)

 


★オデッタ
オデッタ・ホームズ(Odetta Holmes, 1930年12月31日 - 2008年12月2日)は、アフリカ系アメリカ人のフォーク歌手、女優、ギタリスト、作詞作曲家および人権運動家である。しばしば「The Voice of the Civil Rights Movement」と呼ばれた。日本では、オデッタ・ゴードンという名前でも知られている。

音楽活動と並行して映画への出演も行っており、『Cinerama Holiday』(1955年)やウィリアム・フォークナー原作の『サンクチュアリ (フォークナー)』(1961年)、『ミス・ジェーン・ピットマン物語』(1974年)に出演している。
1976年にはオペラ「喜びあれ、アメリカ」(Be Glad Then America) に出演した。
1998年から積極的に音楽活動を再開し、友人のエラ・フィッツジェラルドに捧げた『To Ella』(1998年)、グラミー賞ベスト・トラディショナル・ブルース・アルバムにノミネートされた『Blues Everywhere I Go』(1999年)、レッドベリーをカバーした『Looking for a Home』(2001年)、再度グラミー賞にノミネートされた『Gonna Let It Shine』(2005年)を発表した。
1999年9月29日、ビル・クリントン大統領よりオデッタに文化功労賞ともいえる“National Medal of Art”を授与された。2005年にはアメリカ議会図書館より“Living Legend Award”(生きた伝説賞)を授与された。

同作業者    レッドベリー、ジャニス・ジョプリン、ザ・ステイプル・シンガーズ、ベッシー・スミス、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ボニー・レイット、ハリー・ベラフォンテ

2008年12月2日はニューヨークで死去した

 

★はしだのりひこ
はしだ のりひこ(本名:端田 宣彦、1945年1月7日 - 2017年12月2日[1])は、日本のシンガーソングライター、フォークシンガー。身長163cm。愛称はのりちゃん。長男は、元長野大学准教授の、端田篤人、娘は舞台女優の端田新菜。

京都府京都市生まれ。4人兄弟の長男。同志社高等学校を経て、同志社大学神学部に進学。8年と2年の休学で10年在籍し、退学。
1964年にドゥーディ・ランブラーズの一員としてデビューした後、加藤和彦に請われて1968年にザ・フォーク・クルセダーズの一員として参加する。フォーク・クルセダーズが1968年10月に解散した後、「はしだのりひことシューベルツ」や「はしだのりひことクライマックス」「はしだのりひことエンドレス」「はしだのりひことヒポパタマス」のリーダーを務め、ソロに転向。
2017年5月から白血病も患っており[2]、12月2日午前1時16分、パーキンソン病のため死去。72歳没。

活動期間    1964年 - 2017年 
共同作業者
ドゥーディ・ランブラーズ
ザ・フォーク・クルセダーズ
はしだのりひことシューベルツ
はしだのりひことマーガレッツ
はしだのりひことクライマックス
はしだのりひことエンドレス
はしだのりひこと水族館
はしだのりひことヒポパタマス

★ザ・フォーク・クルセダーズ(英語: The Folk Crusaders)は、1960年代後半にデビューした音楽制作集団で、フォークルという略称でも呼ばれる。    
加藤和彦/北山修/平沼義男/井村幹夫/芦田雅喜/はしだのりひこ/坂崎幸之助

 

☆彡毎月2日は、

●『Life2.0の日』「今日を生きる。明日をひらく。」をブランドスローガンに掲げるマニュライフ生命保険株式会社が制定。同社では未来を前向きに自分らしく行動する生き方を「Life2.0」と名付けており、未来について考えるきっかけの日としてもらうのが目的。日付は「Life2.0」から2日、さらに一年を通じて自分が何かを始める日との意味を込めて毎月としたもの。


●『麩の日』 : 

協同組合「全国製麩工業会」が毎月2日を「麩の日」としてPRしています。◎正式に「記念日協会」に登録された「麩(ふ)の日」は、2月2日です。

 
☆彡12月2日の『誕生花』:

サイネリア  花言葉は元気、常に快活
ドラセナ  花言葉は幸せな恋、幸福、名もない寂寥
キンギョソウ(白)  花言葉はおしゃべり、清純な心、仮定、推測、予知、でしゃばり
ユーカリ  花言葉は思い出、慰め
コケ類  花言葉は母性愛、信頼、孤独
ブラキカム・Brachycome 花言葉は「優美」
ヘリコニア・Heliconia Flower 花言葉は「風変りな人」です。

 
☆彡誕生石は「ブラック・クラール(黒珊瑚)」石言葉:冷静な機知

☆彡12月の誕生石BLUE ZIRCONブルージルコン宝石言葉 幻覚、夢みる思い色 透き通った優しいブルー。ダイヤモンドのようにキラキラ輝きます。効果 癒しのパワーストーンと呼ばれ、エネルギーの発散と吸収の両方の力を持つといわれています。精神を安定させ、危険から身を守ってくれます。古くは、知恵、名誉、富をもたらす石とされ、光沢がなくなると危険が迫ると信じられていたそうです。由来・伝説ブルージルコンは、ペルシャ語の"ZAR(金)"と"GON(色)"に由来します。1920年代に突然世界のマーケットに現れて、一躍人気になった宝石。キュービックジルコニアと混同され、人造石と勘違いされやすいですが、ジルコンは天然石です。ジュエリーとしての歴史は新しくても、ジルコンは古くから人々の生活に存在していました。ギリシャ神話の中で美少年の名前がつけられた花・ヒヤシンスと同じ名前で呼ばれ、苦しみを和らげ劇場を沈める石、人を平安に導く平和の石とされていました。特に中世では、ペストから守る石や出産時の女性を助ける石というように、天国から神の保護をもたらす護身符として大切にされていたといわれます。

 
   
  
☆彡今日の一言 平山 郁夫 1930年6月15日 - 2009年12月2日 
「理屈には限界があって、その範囲でしか力が出せないんですね。
絵もそうです。知識で描くと個性的な主張ができなくなります。」

「才能とは持続することである」

「生きることは、バランスを求めることであり、美しくなろうとすることだ。人間だけでなく、花でも動物でも。」

「美術教育が教えられない部分が実は最も重要だというのは大変な皮肉です。」

「「これはいける」という気持ちで、へばった肉体を精神の方が凌駕した」
 
「「よしやるぞ」と。それの積み重ねで元気になって。それでも立ち上がっていったということは、やっぱりこれは気持ちの問題 でしょうね。」

★平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - 2009年12月2日)は、日本の日本画家、教育者。位階は従三位。勲等は文化勲章。東京芸術大学名誉教授、文化功労者。

東京芸術大学美術学部教授、東京芸術大学美術学部学部長、東京芸術大学学長(第6・8代)、財団法人文化財保護振興財団理事長、日本育英会会長、財団法人日本美術院理事長、東京国立博物館特任館長などを歴任した。
 広島県出身の日本画家、教育者である。日本美術院理事長、一ツ橋綜合財団理事、第6代・第8代東京芸術大学学長などを務めた。文化功労者として顕彰され、のちに文化勲章を受章した。広島県名誉県民、広島市名誉市民、鎌倉市名誉市民などの称号を授与されている。妻は平山美知子(公益財団法人 平山郁夫シルクロード美術館館長)。2009年12月2日、脳梗塞により死去。79歳没

略歴
1930年 - 広島県豊田郡瀬戸田町(現:尾道市瀬戸田町)に生まれる。
1947年 - 東京美術学校(現:東京藝術大学)に入学。
1952年 - 卒業とともに同校助手となる。
1973年 - 東京藝術大学美術学部教授に就任。
1988年 - ユネスコ親善大使に就任。
1989年 - 東京藝術大学学長に就任。1995年まで務める。
1992年
世界平和アピール七人委員会委員に就任。2005年まで務める。
日中友好協会会長に就任。2008年まで務める。
早稲田大学より名誉博士号贈呈。
1994年 - 文化財保護振興財団理事長(現:文化財保護・芸術研究助成財団) に就任。
1996年 - 日本育英会会長就任。2001年まで務める。
2001年 - 再び東京藝術大学学長に就任し、2005年まで務める。
2005年
日韓友情年日本側実行委員長に就任。
東京国立博物館特任館長に就任。
平城遷都1300年記念事業特別顧問。
2009年 - 脳梗塞のため東京都内の病院で死去。
賞歴
1961年 - 第46回院展で『入涅槃幻想』が日本美術院賞(大観賞)
1962年 - 第47回院展で『受胎霊夢』『出現』が日本美術院賞(大観賞)
1964年 - 第49回院展で『仏説長阿含経巻五』『続深海曼陀羅』が文部大臣賞
1976年 - 日本芸術大賞
1978年 - 第63回院展で『画禅院青邨先生還浄図』が内閣総理大臣賞
1995年 - モンブラン国際文化賞
2001年 - マグサイサイ賞
2002年 - 「文化交流貢献賞」(中国政府より)
2004年 - 朝日賞
栄典
1993年 - 文化功労者
1996年 - レジオン・ド・ヌール勲章
1998年 - 文化勲章
2004年 - 修交勲章興仁章(大韓民国)
2009年 - 従三位

 

☆12月の行事・暦・祭り(2023年・令和5年)
師走
僧がお経をあげるために東西を馳せることから、
「師が馳せる月」→「しはせつき」→「しわす」となったといわれています。
「師」は「僧」を指すのが一般的。
「馳せる」は「走る。急いで行く」という意味です。
季節:仲冬(ちゅうとう) ※大雪から小寒の前日まで。

1日    (金)        映画の日
2日    (土)        秩父夜祭(→3日) 
4日    (月)        人権週間(→10日)
5日    (火)        納めの水天宮
6日    (水)        シンフォニー記念日
7日    (木)        大雪
8日    (金)        針供養(主に関西)
13日    (水)        正月事始め 煤払い(すすはらい)
14日    (木)        赤穂義士祭
15日    (金)        春日若宮おん祭(→18日)
17日    (日)        羽子板市(→19日)
18日    (月)        納めの観音
21日    (木)        納めの大師
22日    (金)        冬至        
25日    (月)        クリスマス 終い天神
28日    (木)        納めの不動
31日    (日)        大晦日 大祓い
☆彡12月の他の別名    
茶月(さげつ)弟月(おとづき)健丑月(けんちゅうげつ)極月(ごくげつ)
厳月(げんげつ)限月(かぎりのつき)窮月(きゅうげつ)臘月(ろうげつ)
親子月(おやこづき)春待月(はるまちづき)暮古月(くれこづき)
雪月(ゆきづき)

 

☆彡気になる見出しニュース
 《国内ニュース》
 ◆今年の新語・流行語大賞、「アレ(A.R.E.)」2023/12/01
今年話題になった言葉を選ぶ「2023ユーキャン新語・流行語大賞」(「現代用語の基礎知識」選)が1日発表され、年間大賞には、プロ野球で阪神タイガースを38年ぶりとなる日本一に導いた岡田彰布監督(66)が優勝を意味して掲げたチームスローガン「アレ(A.R.E.)」が選ばれた。

☆彡トップ10は以下の通り。
▽アレ(A.R.E.)▽OSO18/アーバンベア▽ 蛙かえる 化現象▽生成AI▽地球沸騰化▽ペッパーミル・パフォーマンス▽観る将▽闇バイト▽4年ぶり/声出し応援

 ◆新型コロナが12週ぶりに増加、インフルは「警報」レベルに2023/12/01
新型コロナは1医療機関あたり2・33人と、前週(1・95人)の1・19倍で、12週ぶりに増加に転じた。
インフルエンザは1医療機関あたり28・30人だった。前週(21・66人)の1・31倍と2週連続で増加し、「警報」の基準(30人)に近づいている。

 ◆安倍派が裏金1億円超か、パーティー券収入を議員に還流2023/12/01
 自民党5派閥が政治資金パーティー収入を過少記載したとして告発された問題で、最大派閥の政治団体「清和政策研究会」(安倍派)がパーティー券の販売ノルマを超えた分を所属議員側に還流させ、政治資金収支報告書に記載せず「裏金」としていた疑いのあることがわかった。
 不記載額は年数千万円に上り、最近5年間で計1億円超に達する可能性がある。
 東京地検特捜部は政治資金規正法違反(不記載など)容疑での立件を視野に捜査を進める様子。

 ◆低所得者への7万円給付「ファストパス」で2週間待たずに2023/12/1
新藤義孝経済再生担当相は1日の閣議後会見で、経済対策に盛り込まれた低所得世帯への7万円の給付措置について、スマートフォンやパソコンを使ってオンラインで申請する仕組み「ファストパス」制度を導入する方針を示した。物価高の影響を強く受けている低所得世帯の安心につなげるため「2週間を待たず給付できる仕組みをつくる」と述べた。

 ◆水戸地検、8歳長男と5歳長女を殺害した罪で39歳の母親を起訴 
2023/12/1
失恋の末、無理心中か?
水戸地検は1日、自宅で7月に当時8歳と5歳だった子ども2人を包丁で刺して殺害したとして、殺人罪で水戸市の飲食店従業員、太田亜紀子容疑者(39)を起訴した。
 亡くなったのは長男で小学校3年生の継真(けいしん)君(8)と長女で保育園児の梨心(りこ)ちゃん(5)で、県警は長男に対する殺人容疑で7月24日、太田容疑者を逮捕した。
 2人とも首から血を流しており、血のついた刃物が室内から見つかった。太田容疑者の首にもわずかな切り傷があったといい、無理心中を図ったが死にきれなかったとみられている。継真君と保育園児の長女、梨心ちゃんの首を包丁で1回ずつ刺し、失血死させたとしている。


《海外ニュース》
 ◆ ミャンマー、だまされネット詐欺加担、目標額未達成なら臓器摘出も 
2023年12月1日 
詐欺組織にだまされ、ミャンマーで拘束され、強制的に働かされている中国やベトナムなどの市民が、目標額を達成できない場合、売買目的で臓器を摘出されていることが分かった。ベトナムを拠点とする慈善団体が30日、明らかにした。
 人身売買被害者の救出を行っているベトナムの慈善団体「ブルードラゴン(Blue Dragon)」は、詐欺組織は目標金額を設定しており、被拘束者がこれを達成できない場合には体罰が与えられるが、最近では臓器摘出が行われることもあると指摘する。
 ブルードラゴンの創立者マイケル・ブロソウスキー(Michael Brosowski)氏は、詐欺組織は被害者が「十分働いていなければ、腎臓などの臓器を摘出する」と語った。
 8月には38歳のベトナム人男性が、ブルードラゴンによりミャンマーから救出された。この男性は腎臓が摘出されていた。

 ◆韓国、「生きる権利を奪うな」 養殖業者、犬肉食禁止に抗議 2023年12月1日
韓国ソウルの大統領執務室が入る建物近くで11月30日、犬養殖業者が政府の犬肉食を禁止する動きに抗議するデモを行った。
 デモ隊は「食べる権利と生きる権利が剝奪されている。犬肉食を禁止するな!」と書かれた横断幕を掲げたり、警官隊と衝突したりした。
 犬肉は長く韓国料理の食材として使われており、年間約100万匹が食されているとみられている。だが、犬を家畜ではなくペットとして飼う人が増えるのに伴い、消費量は減少している。

 ◆イスラエル軍が戦闘再開、南部ラファにも空爆か2023年12月1日
イスラエルとイスラム組織ハマス(Hamas)の戦闘休止の合意が1日に失効したのを受け、イスラエル軍はパレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)での軍事作戦を再開したと発表した。AFP記者はイスラエル軍によるガザ市への空爆と砲撃を確認した。
 イスラエル軍は「ハマスは戦闘休止合意に違反したばかりか、イスラエル領を攻撃した」「(イスラエル軍は)ガザ地区でハマスとの戦闘を再開した」と述べた。

 ◆70歳女性、双子出産 ウガンダ2023年12月1日
70歳のウガンダ人女性が11月29日、男女の双子を出産した。主治医が同30日、明らかにした。
 サフィナ・ナムクワヤさんは首都カンパラにある不妊治療を受けていた医療施設で出産した。ナワクワヤさんは70歳で双子を出産できたのは「奇跡」だと表現している。
ナムクワヤさんはまだ入院しているが、産後の経過は良好だという。
ナムクワヤさんは、カンパラから西に約120キロの距離にあるマサカ(Masaka)の農村地域で暮らしている。

 ◆NZ、学校での携帯電話の使用禁止へ 2023年12月1日
今週就任したばかりのニュージーランドのクリストファー・ラクソン(Christopher Luxon)首相は12月1日、全国の学校で携帯電話の使用を禁止すると表明した。急速に低下する識字率の改善が目的。

 ◆米国の自殺者、昨年は過去最悪の4万9000人あまり2023.11.29
米国の自殺者が昨年は少なくとも4万9449人と、1941年の統計開始以降で最も多かったことが、米疾病対策センター(CDC)の暫定データで明らかになった。
CDCによると、昨年の自殺率は全体平均が人口10万人当たり約14人。男性が女性の約4倍に上り、特に高齢男性で高かった。
一方で女性の自殺率も2倍に増え、特に白人女性と25~34歳の女性で上昇が目立った。
1日に135人が米国のどこかで自殺していることとなる。

 

☆彡ごきげんよう(^^♪