ダイエーが新業態1号店、東京 献立提案、販売増目指す
ダイエーは20日、経営再建に向け「フードスタイルストア」と銘打った新業態の総合スーパーの1号店「ダイエー赤羽店」を東京都北区に開店した。30~40代の家族を主な顧客として、料理の献立や健康情報を提案し、生鮮食品や総菜の販売増を目指す。
ダイエーはことし1月にイオンの完全子会社となり、事業の構造改革を加速。新業態の総合スーパーを2015年度中に約5店舗に増やす計画で、成否が再建の鍵を握りそうだ。
赤羽店は旧来型の3階建ての総合スーパーを全面改装した。2階を目玉に展開し、料理教室や健康講座などを開けるイベントスペースと遊び場を併設したカフェを中心に据える。
★ダイエー
1957年に故中内功氏が創業した大手スーパー。価格の安さを武器に急成長し、80年には小売業で初めて売上高1兆円を達成した。その後、バブル崩壊と長い消費低迷で業績は悪化し、有利子負債は2兆円超に膨らんだ。2004年には産業再生機構が支援を決め、負債の圧縮を進めた。06年に丸紅が機構の保有株を買い取り、筆頭株主になった。さらに13年には株式公開買い付け(TOB)でイオンの連結子会社となった。
株式会社ダイエー(英称:The Daiei, Inc.)は、全国的にスーパーマーケットを展開している企業。イオングループの一員(完全子会社)である。2013年3月27日に、イオンが株式公開買付けにより、丸紅の所有する約24%の株式を取得し、子会社にすると発表。
その後、公正取引委員会の企業結合審査並びに審査の完了、公開買付けの実施を経て、同年8月27日にイオンの連結子会社となった。2015年1月1日に、株式交換によってイオンの完全子会社となった(後述)。
本店は神戸市中央区、本社は東京都江東区。
概要
1957年(昭和32年)に兵庫県神戸市で創業。20世紀の日本の流通・小売業界を発展させた代表的な企業としても知られ、ショッピングセンターやゼネラルマーチャンダイズストアを日本で初めて導入した。創業者中内功の生まれ育った阪神地区を中心に商圏を築き、1960年代後半から1970年代にかけて大きく発展し、全国展開を進めた。1980年代には、全国各地の地場スーパーマーケットと提携し傘下に納める形でグループを形成していった。
小売業に関しては、創業以来一貫して「価格破壊」をスローガンとする拡張路線を進めてきた。価格破壊とともに質への需要などニーズが多様化すると、「ダイエー」のほかに「トポス」「ビッグ・エー」「Dマート」「グルメシティ」「Kou's」「プランタン」など業態ブランドを拡大化し多様化する消費者ニーズに応えながらも流通革命により価格破壊を志向する「よい品をどんどん安く (GOOD QUALITY BEST PRICE)」「お客様のために (For the Customers)」の方針で事業が進められてきた(一時はグループ企業が300社あり、大阪国際女子マラソンなどでグループ各社の一覧が流れる企業CMも存在した)。
小売業以外にもホテル、大学、プロ野球、出版、金融など事業分野の多角化に乗り出し、特に、創業者の故郷である神戸市内とプロ野球球団の本拠地に定めた福岡市内で、グループ子会社とともに事業を数多く手がけた。
だが、失われた20年が始まる1990年代後半から業績悪化が表面化。経産省出身の雨貝二郎会長から引き続いて、高木邦夫社長時代の2004年から産業再生法の適用及び産業再生機構からの支援を経て、現在は丸紅およびイオンとの連携のもと、非主力事業の譲渡やコア事業である小売部門の縮小などの再建策が行われている。この再建策により経営破綻は回避され、連結有利子負債は2007年5月末に6,031億円まで縮小した。
2013年にはイオンが当社株の公開買付け(TOB)を行い、ダイエーを子会社化することを発表。事実上の筆頭株主である丸紅は、この買付けに対し、約24%のダイエー株を応募することでイオンと合意しており、少なくともイオンはダイエー株の約44%を取得する見込みである。イオンは過半数まで株式を取得できなくても、ダイエーの取締役の過半数をイオンから出向させることで子会社化する。ダイエーはこの公開買付けに対して賛同を示しており、買付け成立を条件に、イオンと丸紅との資本提携契約を解消する方針も明らかにしている。
経営不振後は「バブルの負の遺産の象徴」として語られることもあるが、高度経済成長下の時代においては、新しい業態を開発し、流通業界を牽引する役割を果たしていた。また、1975年6月に出版された城山三郎の小説「価格破壊」(角川文庫)のモデルとされている。
大規模な出店攻勢をした後の不採算店の閉鎖を行ったこともあり、テナントとして入っていたビルが空き店舗になったままで、同じくテナントとして入っている別の店舗の売り上げが急激に落ちたり、商店街の集客力がなくなったりと、いわば閉鎖の余波とも捉えられる問題が少なからず起きている。
登記上の本店は神戸のポートアイランド(神戸市中央区港島中町4丁目1番1)に、本社は東京・東陽町の駅前ビル(東京都江東区東陽2丁目2番20号)に置かれている。旧ダイエーグループ本社ビル(大阪府吹田市豊津町9番1号の江坂東洋不動産ビル)に、一部の事業所が残っている。
創業地・千林に近い大阪市都島区の京橋店、西宮市の甲子園店、横浜市の東戸塚店、浦安市の新浦安店、目黒区の碑文谷店、福岡市のショッパーズ福岡店は旗艦店となっている。
創業満30周年を迎えた1987年に滋賀県へ進出したことでスーパー業界初の全国47都道府県制覇を実現したが、2015年5月時点では東北地方(宮城県を除く)・北信越地方・中国地方・四国地方・沖縄県からは撤退している。
大リストラと規模縮小へ
親会社となったイオンは、重複する事業の再編を継続して進めている。こうした中、2014年5月28日に行われた同社株主総会の席上で、イオン社長の岡田元也は、「ダイエーの事業を関東と関西のグルメシティに特化し、それ以外の地域についてはイオングループとの統合再編を進める」との方針を示した。既に伊豆地区のダイエー系店舗の一部がイオン系のマックスバリュ東海(旧ヤオハン)へ事業譲渡され、マックスバリュへ転換(一部店舗はマックスバリュを経てディスカウントストアのザ・ビッグへ再転換)されている。
ダイエーはイオングループ入りに際し、北海道と九州を事業部制に移行しており、イオンの地域子会社へ移管の上で店舗網を抜本的に見直す方針とみられている。
イオン完全子会社化とダイエーブランドの廃止への方向
しかし、イオンの連結子会社となって以後のダイエーも経営環境の改善が一向に進まず、2014年2月期決算でも税引き後の赤字決算であることから、さらなる抜本的な経営改革をする必要があるとして、イオンは現在株式の44%を保有するダイエーを2015年1月1日付をもって、株式交換方式(ダイエーの1株に対し、イオン株0.115株を交換に充てる)により完全子会社化することを発表。
またこれに伴い、東京証券取引所第1部に上場しているダイエーの株式を2014年12月26日付けをもって上場廃止にするほか、イオン社長・岡田元也は、「ダイエーの法人格はそのまま残すが、2018年(平成30年)をめどにダイエーの屋号(店舗ブランド)をなくす」とする方針を示し、その準備段階として、北海道と九州のダイエーの店舗をイオンなどの同グループ内の店舗ブランドに転換し、ダイエーのブランドは発祥地である近畿地方と首都圏に事業を集約し、かつ食品スーパー(SSP)事業に特化。また京阪神のダイエーグループの他ブランド名のスーパーなどやイオン系の食品スーパー担当子会社も順次ダイエーに統合させ、更にその上でこれらの地域でも2018年度までにイオンフードスタイル(仮称)などのイオングループの別のブランドへの転換を進めるとしている。
■岡田社長は「ダイエーはリストラに次ぐリストラで、消費者ニーズの変化に対応できていなかった。テナント構成も、今日の商業施設としては不的確だった」と指摘した。