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人を許せば、自分も救われる。渡辺和子著「幸せはあなたの心が決める」より

☆彡「天使のハッピートーク・ 一日一言 」幸せ探しへの誘い編

 

🌟人を許せば、自分も救われる。

 

「許す」という気持ちを持つことは他人のためにも必要なことですが、自分もまた救われます。

教皇ヨハネ・パウロ二世が
「人を許す時、許した人は自由になり、解放されます。
人を許す時、その人は未来を創造的に切り開いてゆくことができます。」といっていますが、

逆に他人を許さない時、その人は不自由になります。

 その理由を教皇ヨハネ・パウロ二世は続けて、次のように言っています。

 「人を許さない人は、また、他人の支配下にある人なのです。」

 これは、面白い言葉です。

 「許さない」という人が上位に立っているかと思うと、実はそうではなくて、その「こだわり」に縛られ、許していない相手の支配下にあるということ。

自分が自分の主人公でないということなのです。

 ある人がパーティーに出席していた時のことでした。

 シャンペングラスを手に立っていると、突然一人の男が、わざとぶつかってきて、その弾みにシャンペンがこぼれ、ふくにもかかってしまいました。

 「なんと失敬な奴、いったい何の恨みで‥‥。」そう思いながら、くだんの男の姿を追っていると、その男が、ほかの人たちにも同じように、わざとぶつかっているのが見えました。

 そこでその人は、「ああ、あれは彼の問題だ。私のではない。」と呟いて、気分を転換したというのです。

 つまり、自分に何かしら悪いところがあるから、ぶつかってきたというのなら、かかわってゆかねばならないが、そうではない。

 これは「相手の問題なのだ」と割り切ることが大切で、ココロの平穏を保ち、自分に対して、理不尽なことをしたり、無礼なことを言ったり、したりする人を「許す」ことと無関係ではありません。

 「それは、無視することですか?」と尋ねられたことがあります。

 ある意味で、そうかもしれません。

 しかし、「あんな奴、放っておけばいい」という無視ではなく、「私があの人のことで心を騒がせる筋合いではない」という距離を置く生き方といったらいいでしょう。

 そうでなくても、自分のココロを一時乱されて口惜しいのに、それを深追いして、これ以上、自分のかけがえのない一生の時間を無駄にしたくないというプライド・・・「他人の支配下」に自分を置いたままにしたくないという自己解放への願いといっていいかもしれないのです。

 自分の生活を大切にするためには、自らの感情をスッパリ「断ち切る」ことが時に必要です。

 「もう、これ以上こまことで悩むまい」と…。

 しかし、人間のこと、断ち切ったつもりでも、なかなか忘れられず、許せないこともあります。

そんな時、時間が一番いい薬なのかもしれません。

 

☆彡今日の一言
①人を許した時、許した人は自由になれる。

②理不尽な相手は、無視するのではなく、距離を置いてみよう。


以上は渡辺和子著「幸せはあなたの心が決める」より一部抜粋&加筆

 

★渡辺和子のプロフィール
渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン)。 学校法人ノートルダム清心学園理事長。北海道旭川市生まれ。
父は台湾軍司令官や陸軍教育総監を務めた渡辺錠太郎。1936年2月26日、陸軍将校の一部らが起こした軍事クーデター「2・26事件」で、父親が反乱軍の将校らに殺害される場面を9歳のときに自宅で目撃する。
「血の海の中で父は死にました。凄惨な死でございました」
渡辺さんは当時のことをエッセイ集『美しい人に』などでも書いているほか、講演などでも折に触れて当時の様子や、加害者の遺族との「和解」や「赦し」について語っていた。
 
◆略歴
1927年、北海道旭川市で出生。父親は当時、陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎で、53歳の時の子であった。4人兄姉の末っ子で次女。
1936年、成蹊小学校3年生で9歳の時に二・二六事件に遭遇。父の居間で、当時大将で教育総監だった父が青年将校に襲撃され、43発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。
成蹊小学校、雙葉高等女学校(現 雙葉中学校・高等学校)卒業。
1945年、18歳でキリスト教カトリック)の洗礼を受ける。1951年聖心女子大学に通いながら上智大学で文書作成のアルバイトをし、1954年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。
1956年、29歳でナミュールノートルダム修道女会に入会。
アメリカへ留学し、1962年6月にボストンカレッジ大学院で博士号(哲学)を取得したのち、同年9月にノートルダム清心女子大学教授に就任。
1963年に36歳という異例の若さで岡山県ノートルダム清心女子大学の学長に就任(1990年に退任)。長年にわたり教壇に立ち、学生の心を支え指導する。
1977年にはうつ病を患う。1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど多方面で活躍。著書も多数。
1990年にはノートルダム清心女子大学の名誉学長、及びノートルダム清心学園の理事長に就任。1992年~2001年には日本カトリック学校連合会理事長に就任した。
1996年、69歳の時にカルカッタの修道会本部を訪れる。
2012年に発売した著書『置かれた場所で咲きなさい』が、200万部を超えるベストセラーとなった。
2016年12月30日、膵臓癌により死去。89歳没。
 
◆受賞
1974年 - 岡山県文化賞(学術部門)を受賞
1979年 - 山陽新聞賞(教育功労)を受賞
1979年 - 岡山県社会福祉協議会より済世賞を受賞
1986年 - ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞を受賞
1989年 - 三木記念賞を受賞
2015年 - 広島大学のペスタロッチ賞を受賞[8]。
2016年 - 春の叙勲で旭日中綬章を受章[9]。
◆著書
『信じる「愛」を持っていますか』PHP研究所、1981年
『心に愛がなければ』PHP研究所、1986年
『現代の忘れもの』日本看護協会出版会、1989年
『愛をこめて生きる』PHP研究所、1989年
『愛することは許されること』PHP研究所、1999年
『目に見えないけれど大切なもの』PHP研究所、2003年
『愛と励ましの言葉366日』2004年、PHP研究所
『忘れかけていた大切なこと』2005年、PHP研究所
『「ひと」として大切なこと』PHP研究所、2005年 - 2003年刊行『人間としてどう生きるか』の改題版
『愛と祈りで子どもは育つ』2006年、PHP研究所
『美しい人に』PHP研究所、2008年
『幸せのありか』PHP研究所、2009年
『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎、2012年
『スミレのように踏まれて香る』朝日新聞出版、2012年 - 1970年刊行『人をそだてる』(サンパウロ)の改題、加筆修正版
『面倒だから、しよう』幻冬舎、2013年
『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所、2015年
『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP研究所、2017年
『あなたはそのままで愛されている』PHP研究所、2018年 - 遺稿集

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