☆彡お知らせ
昨日皆さんからの応援への☆に対するお返しをしませんでした。
実はおばさんの通夜に行ってまいりました。
おばさんの死去にショックを受けたことと例のごとく通夜振る舞いでつい夜明かしをしてしまい今ようやく正気に戻りました。
心身ともに疲れました。いろんな思い出が走馬灯のように思い出されています。
ゆえに「☆」のお返しができなかったのです。
申し訳ございませんでした。
従姉妹によるとおばさんは最期に私の名を呼んだとのことでした。
私も遊びに行くたびにおばさんには手料理をいただきデザートにはアイスとコーヒーをもらったものでした。
残念でした。
おばさんの家にはあることがあり、しばらく行っていません。
おばさんの家は伏見にあり、私は九州に住んでいました。
あることとは私の「失恋事件」なのです。
当時私は従姉妹と付き合っていたのでした。遠距離恋愛です。
関西での従姉妹との思い出は数えきれないほどあります。
生駒山でのデート、法隆寺や薬師寺などの古寺巡りなどが思い出されます。
破局は私が大学3年の時でした。
ある日従姉妹がこういうのです。
「私見合いを勧められているけど、どうしたらいい」
私は将来従姉妹と結婚するつもりでした。相手もわかっていたはずです。
『結婚するつもりで付き合っていたのじゃないのか
それなのにお見合いなんてとんでもない話だ。そんな話題を出すなんてどういうつもりなんだろう。プンプン😡』
でもね~
私は当時大学生、経済力はありません。「見合いはやめろ」とは言えません。
彼女には「俺には何にも言う資格はないよ」と言い放ちました。
彼女は「わかった」と言っただけでした。
それっきりでした。
その後、彼女は結婚しました。
しばらくして旦那さんが交通事故にあって未亡人になったと風の便りに聞きました。
私は卒業して間もなくある人と結婚しました。
なんだこんなことならあの時少なくとも「見合いはやめろ」というべきでした。
そのお見合いを勧めたのがおばさんだったのです。
あの時の見合いの話は「従姉妹からのプロポーズ」だったというのです。
そんなことは鈍感な私にはわかるはずもありませんでした。
おばさんは後になって「従姉妹と私」を一緒にすべきだったと口癖のように言っていたそうです。
今でも従姉妹は一人のようです。伏見でバーを開いています。
あの時「見合いはするな!大学卒業するまで待ってくれ」と言えばよかったのです。
そうすれば従姉妹を不幸にせずに済んだのです。
馬鹿な俺でした。幼かったんですね。
今の俺だったら言えたのに。
「覆水盆に返らず」
ごはんがのどを通りません。HELP!