☆彡4月21日の歴史
1583年 賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が羽柴秀吉に敗北。越前北ノ庄に敗走し3日後に自害。(
1932年 東京市内4か所に自動式公衆電話を設置。
1934年 渋谷駅前の忠犬ハチ公像が完成し除幕式。
1951年 日本初の民放放送16社に予備免許。
1960年 ブラジルの首都がリオデジャネイロから人工都市・ブラジリアに移転。
☆彡4月21日の誕生日
1816年 シャーロット・ブロンテ (英:小説家,ブロンテ三姉妹の長女)Charlotte Brontë
[1855年3月31日歿]
1864年 マックス・ヴェーバー (独:社会学者,経済学者)Max Weber[1920年6月14日歿]
1902年 岡田嘉子[おかだ・よしこ] (女優,杉本良吉と共にソ連へ亡命)[1992年2月10日歿]
1912年 マルセル・カミュ (仏:映画監督『黒いオルフェ』)Marcel Camus[1982年1月13日歿]
1915年 アンソニー・クイン (メキシコ・米:俳優『革命児サパタ』『炎の人ゴッホ』『道』)
Anshony Quinn[2001年6月3日歿]
1930年 シルヴァーナ・マンガーノ (伊:女優)Silvana Mangano[1989年12月16日歿]
1932年 エレイン・メイ(Elaine May)アメリカ合衆国の女優・コメディエンヌ、脚本家、映画監督。
1933年 鳳八千代[おおとり・やちよ] (女優(宝塚歌劇[元](37期)))
1958年 アンディ・マクダウェル (米:女優『クローンズ』)Andie MacDowell
1958年 保積ペペ[ほづみ・ペペ] (俳優)
1959年 畑中葉子[はたなか・ようこ] (歌手,女優)
1961年 今井雅之[いまい・まさゆき] (俳優,演出家)[2015年5月28日歿]
1962年 辻沢響江(辻沢杏子)[つじさわ・きょうこ] (女優)
1976年 一宮里絵[いちみや・りえ] (女優)
☆彡4月21日の忌日
1731年ダニエル・デフォー (英:小説家『ロビンソン・クルーソー』) <71歳>
Daniel Defoe[1660年生]
1910年 マーク・トウェイン (米:小説家『トムソーヤの冒険』) <74歳>
Mark Twain[1835年11月30日生]
1946年 ジョン・メイナード・ケインズ (英:経済学者『雇用・利子および貨幣の一般理論』) <62歳> John Maynard Keynes[1883年6月5日生]
1965年 エドワード・アップルトン (英:物理学者,電離層のF層を発見) <72歳>
Sir Edward Victor Appleton1947年ノーベル物理学賞[1892年9月6日生]
1991年 ヴィリー・ボスコフスキー (墺:ヴァイオリン奏者,指揮者) <81歳>
Wilhelm(Willi) Boskovsky[1909年6月16日生]
2004年藤田田[ふじた・でん] (経営者,日本マクドナルド創立,日本トイザらス創立) <78歳>
[1926年3月13日生]
2010年 フアン・アントニオ・サマランチ (スペイン:IOC会長(7代)) <89歳>
Juan Antonio Samaranch Torello[1920年7月17日生]
2011年 田中好子[たなか・よしこ] (女優,歌手(キャンディーズ[解散])) <55歳>
[1956年4月8日生]
アンソニー・クイン(Anthony Quinn, 1915年4月21日 - 2001年6月3日)は、アメリカで活躍した俳優、画家及び作家。
来歴
生い立ち
メキシコ・チワワ州チワワでアントニオ・ルドルフォ・オアハカ・クイン(Antonio Rudolfo Oaxaca Quinn)として生まれた。父はアイルランド系メキシコ人、母がアステカ族系メキシコ人。
少年時代にカリフォルニア州ロサンゼルスに移住。早く父親を亡くし、クインは俳優になる前には靴磨きやプロボクサーのスパーリング・パートナーや画家など転々とする。
演劇活動
クインの俳優としての経歴は1936年にデビュー作の『Parole』や『The Milky Way』を含む幾つかの作品に出演したことから始まる。短期間の劇場出演の後、セシル・B・デミルの目にとまり、1940年代にパラマウント映画の幾つかの作品で様々な人種の悪人を演じることを依頼された。
1947年には彼は50本以上の作品でインディアン、マフィアのドン、ハワイの酋長、中国人ゲリラ、など様々な役を演じたが、大物俳優ではなかった。彼は劇場に戻り、ブロードウェーで3年間を過ごし、『欲望という名の電車』のスタンリー・コワルスキー役などを務めている。
1952年の『革命児サパタ』でサパタの兄役を、1956年の『炎の人ゴッホ』でゴーギャンを演じ、アカデミー助演男優賞を受賞した。また、1986年にはゴールデングローブ賞の生涯功労賞(セシル・B・デミル賞)を受賞している。
また、『アラビアのロレンス』でのアウダ・アブー・ターイー、『ザ・メッセージ』のハムザ・イブン・アブド・アル=ムッタリブ、『砂漠のライオン』ではオマル・モフタールといった、実在した歴史上のアラブ人を演じた。
一方で、1969年の『サンタ・ビットリアの秘密』では脳天気な酔いどれ市長を演じた他、1970年代以降は性格俳優としても開眼した。晩年はテレビ作品にも多数主演し、中でも異色SFドラマ『スター・レジェンド』や20世紀のギリシャの豪商の生涯を描いた大河作品『海運王オナシス』、神話をモチーフにした娯楽ファンタジー『勇者ヘラクレス』シリーズでは全能の神ゼウスを演じた。映画でも脇役ながら出演を続け、『リベンジ』や『雲の中で散歩』などの作品では、幅広い年齢層のファンを多く獲得し続けた。
家族
クイン自身は3回結婚して子供が13人[要出典]いる。息子のフランチェスコ、ロレンツォ、アレックス、娘のヴァレンチナは俳優になった。また、末子であるライアン・ニコラス(1996年7月5日生まれ)は81歳のときに生まれている。2011年、フランチェスコはジョギング中に心臓発作で亡くなった。
★シルヴァーナ・マンガーノ (Silvana Mangano、1930年4月21日 - 1989年12月16日)は、イタリアの女優。
●関連人物
ディノ・デ・ラウレンティス 元夫
フェデリコ・デ・ラウレンティス 息子
フランチェスカ・デ・ラウレンティス 娘
ラファエラ・デ・ラウレンティス 娘
El Negro Zumbon (Anna) - Silvana Mangano 対訳付き
生涯
ローマ出身。7歳から13歳までジア・ルースカヤ舞踏研究所でバレエを習う。16歳の時、ミス・ローマに選ばれたのがきっかけとなり、1946年に端役で映画にデビュー。その後、映画実験センターに入学して、本格的に演技を学ぶ。
1948年、ジュゼッペ・デ・サンティス監督に見出され『にがい米』に主演、当時としては強烈なセックス・アピールで一躍スターとなる。日本では「原爆女優」と呼ばれた。1949年に『にがい米』の映画プロデューサーであるディノ・デ・ラウレンティスと結婚し、夫がプロデュースする作品に数多く出演する。
グラマー女優としてキャリアを続けたが、『華やかな魔女たち』が転機となり、その後ルキノ・ヴィスコンティ監督やピエル・パオロ・パゾリーニ監督の作品では主に貴族やブルジョワの中年女性を演じるようになる。
1989年、癌で死去。
主な出演作品[編集]
『にがい米』 - Riso amaro (1948)
『シーラ山の狼』 - Il lupo della Sila (1949)
『紅薔薇は山に散る』 - Il brigante Musolino (1950)
『アンナ』 - Anna (1951)
『マンボ』 - Mambo (1954)
『ユリシーズ』 - Ulisse (1954)
『人間と狼』 - Uomini e lupi (1957)
『テンペスト』 - Tempest (1958)
『海の壁』 - The Sea Wall (1958)
『戦争・はだかの兵隊』 - La Grande guerra (1959)
『五人の札つき娘』 - 5 Branded Women (1960)
『バラバ』 - Barabbas (1962)
『私は宇宙人を見た』 - Il disco volante (1964)
『華やかな魔女たち』 - Le Streghe (1967)
『アポロンの地獄』 - Edipo re (1967)
『テオレマ』 - Teorema (1968)
『ベニスに死す』 - Morte a Venezia (1971)
『デカメロン』 - Il Decameron (1971)
『ルートヴィヒ』 - Ludwig (1972)
『家族の肖像』 - Gruppo di famiglia in un interno (1974)
『デューン/砂の惑星』 - Dune (1984)
『黒い瞳』 - Oci ciornie (1987)
★エレイン・メイ(Elaine May、1932年4月21日 - )は、アメリカ合衆国の女優・コメディエンヌ、脚本家、映画監督。
マイク・ニコルズと舞台での喜劇コンビ「ニコルズ・アンド・メイ」を結成する。1962年には「ニコルズ・アンド・メイ」でグラミー賞の最優秀コメディ・パフォーマンス賞を受賞。
Elaine May On Warren Beatty & HEAVEN CAN WAIT
出演作品
おいしい生活(メイ)
イン・ザ・スピリッツ
カリフォルニア・スイート
おかしな求婚
監督作品
イシュタール
マイキー&ニッキー/裏切りのメロディ
55歳だった。田中さんは1992年に左胸に乳がんが見つかり、以後、闘病生活を余儀なくされた。昨年9月に急性腸炎、その後は十二指腸潰瘍も発症して入院。今年2月に再び体調が悪化。入院した。最期は夫で実業家の小達一雄(56)らにみとられ、静かに息を引き取った。
田中 好子(たなか よしこ、1956年4月8日 - 2011年4月21日)は、日本で活動していたアイドル歌手でキャンディーズのメンバー・女優。本名;小達 好子(おだて よしこ)。旧姓:田中。愛称「スーちゃん」。
本名小達 好子(おだて よしこ) 旧姓:田中
『黒い雨』
『鉄道員(ぽっぽや)』
『リング0 バースデイ』
第13回 1989年 『黒い雨 (映画) 』
挙式・披露宴には、両家の親族や田中のプロダクション関係者らごく内輪の人たちだけが出席した。
また女優以外にも、夫の小達一雄が夏目雅子の実兄であることより夏目雅子ひまわり基金の活動、厚生労働省の公衆衛生審議会委員、国立国際医療センター顧問、エイズ予防財団及び日本エイズストップ基金運営委員なども務めた。
こんにちは。田中好子です。今日は3月29日。東日本大震災から2週間たちました。被災された皆さまのことを思うと、心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。