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卓球の女王・平野 早矢香と競泳界のスーパースター・北島康介が引退!? ああ無常、ああ無情?

卓球の第25回日本リーグ・ビッグトーナメント大会は9日、佐賀県総合体育館で行われ、2012年ロンドン五輪女子団体銀メダリストで大会連覇を目指した平野早矢香(さやか、31)=ミキハウス=は初戦の2回戦で敗退した。すでに引退を表明していた平野は、この試合が現役最後となった。

12年ロンドン五輪女子団体銀メダリストで今大会限りでの引退を表明している平野早矢香(31=ミキハウス)は、初戦の2回戦で藤井優子(愛媛銀行)に1-3(7-11、11-9、7-11、5-11の1-3)で敗れた。

 藤井優子(愛媛銀行)に1―3で敗れた平野は「もうちょっといい試合がしたかったが、やりきったという気持ち。温かい拍手をいただいて、すごくうれしかった。感謝の気持ちでいっぱい」と最後の試合を終えた。序盤からややミスが目立つ展開となり、第2ゲームは奪ったものの、押し切られた。

 

 開会式で君が代が斉唱されると早くも涙ぐんだ。「(ロンドン)オリンピックで日の丸が揚がった時のことを思い出しました」。この日、観戦に来ていた母美恵さん(56)から試合前にもらった手紙をバッグに忍ばせ、「いっしょに戦った」。手紙には「いろんな所に試合で連れて行ってもらって世界一幸せな両親です」とあったという。

 「卓球とは一心同体。いろんな経験をさせてもらった卓球にすごく感謝しています」と、目を赤くして振り返っていた。

試合後は観衆から万雷の拍手が送られ、ねぎらいの大きな花束を受けとると、涙腺が決壊。
手で何度も濡れた頬を拭った。

 18歳だった04年全日本選手権女子シングルスで初優勝すると、5度の優勝。日本代表としても14年の世界選手権団体戦で銀メダルを獲得するなど、福原愛、石川佳純らの精神的支柱としても貢献してきた。昨年9月にリオデジャネイロ五輪での3大会連続出場を逃すと、1月の全日本選手権(東京)終了後に一時休養。3月14日に、同19日の東京都選手権と今大会の2戦で現役を退くことを正式発表していた。12日に大阪府内で引退会見を開く予定だ。

女子は森薗美咲(日立化成)が初優勝した。


★平野 早矢香(ひらの さやか、1985年3月24日 - )は、栃木県鹿沼市出身の日本の女子卓球選手。全日本卓球選手権大会・女子シングルスで5度優勝している。ITTF世界ランキングにおける自己最高位は2011年8月時点の10位。2012年ロンドンオリンピック卓球競技・女子団体銀メダリスト。
不動の「女王」・「求道者」や「卓球無双」、「鬼」などと呼ばれている。

生年月日1985年3月24日(31歳)

最高世界ランク10位

利き腕右

グリップ シェークハンド(ローズウッドNCT V)

戦型ドライブ主戦型

フォア面ラバーヴェガプロ

バック面ラバーテナジー64

●来歴

幼稚園の時に両親の影響で卓球を始めた。小学校時代は華卓会(- 小4)・城山クラブ(小5 -)で卓球を学ぶ。中学・高校時代は、仙台育英学園秀光中学校・仙台育英学園高等学校に在学。中学時代から技術面以上に精神面の強さがあったとされている。

高校卒業後はミキハウス(大阪)に入社。早々にシニア代表入りし、日本の期待の若手として注目される。18歳の若さで2003年度の全日本卓球選手権を初制覇。この時はかなりの接戦や逆転を経てのものであったが、翌年も連覇した。内容も圧勝が多く、その実力が確かなものであることを証明した。

2006年あたりは調子を落とし、同年の世界選手権ブレーメン大会では試合数がサブ扱いと不本意なシーズンとなったが、1年ほどでスランプから抜け出し、その後は国内で圧倒的な力を発揮、大会や選考会においてほとんど負けることなく優勝し続けており、不動の「女王」の称号を得ている。2008年1月開催の全日本卓球選手権(2007年度)・女子シングルスではトータルで3ゲームしか落とさず4度目の優勝を果たし、翌年の全日本選手権も制し3連覇(通算5度)。

2008年の北京オリンピックに出場し、個人シングルスは3回戦敗退、団体戦では3位決定戦で韓国に敗れメダルを逃す。 2009年・2010年には中国卓球クラブリーグ甲Aリーグ(中国超級リーグの下部リーグ)に参戦する。

2012年ロンドンオリンピックは福原愛、石川佳純と共に団体戦のみに出場し、準決勝でシンガポールを下して男女通じて日本卓球として初めてのメダルを確定させる。決勝では中国の前に敗れたはしたもののオリンピックの卓球競技において初の銀メダルを獲得した。帰国後は平野の地元・鹿沼市で凱旋パレードが行われた。ロンドンオリンピック後の各種記者会見等にて「リオデジャネイロオリンピックを目指す」ことを公言する。

東京で開催された2014年の第52回世界卓球選手権団体戦では日本女子として31年ぶりとなる銀メダルを獲得。

2015年に入ると16歳年下の伊藤美誠、平野美宇らが台頭してオリンピックメンバー選出基準となる世界ランキング上位3名から漏れるようになり、選考対象となる2015年9月のランキングで日本女子としては5番手の世界19位となり3大会連続のオリンピック出場を逃す。

2016年3月、現役引退を表明。同年4月9日に行われた日本リーグ・ビッグトーナメント佐賀大会の初戦で敗れ、現役生活にピリオドを打った。

戦型・プレースタイル
シェークドライブ攻撃型。
ミキハウス入社後、平野は大嶋雅盛監督指導の下で卓球のスタイルを今までの「相手がミスするまで粘るタイプの卓球」から「自ら仕掛けていく攻撃的なタイプの卓球」へと進化させた。しかも世界の上位に勝利するため、まだなおも進化途上である。
ミキハウス入社直後から「体の力を無駄なくボールに伝える」ため、練習に甲野善紀から指導を受けた古武術を取り入れている。

エピソード
2008年1月開催の全日本卓球選手権(2007年度)・女子シングルス決勝の地上波テレビ中継(NHK教育)の中で「もっとも尊敬するスポーツ選手はイチロー選手」と紹介された。
月刊誌『卓球レポート』2004年3月号のインタビュー記事内で「目標にする選手はいますか」との問いに、平野は「卓球選手ではありませんが、マラソンの高橋尚子さん」と答えている。
月刊誌『卓球王国』2003年7月号のインタビュー内では「だれみたいな人になりたいと聞かれたら、人間として、父や母みたいな人になりたいと答えます」とも語っている。
2008年1月開催の全日本卓球選手権(2007年度)のころ、麻雀界の巨匠である桜井章一に精神的アドバイスをもらっている。
故郷の栃木県鹿沼市では、平野の五輪銀メダル獲得記念と次世代のホープ育成を主眼として『平野早矢香杯卓球大会』を創設、第1回大会が2013年6月2日に開催されることとなっている



●獲得メダル


卓球


オリンピック

銀 2012 ロンドン 女子団体

世界卓球選手権

銅 2004 ドーハ 女子団体
銅 2006 ブレーメン 女子団体
銅 2008 広州 女子団体
銅 2010 モスクワ 女子団体
銀 2014 東京 女子団体

主な受賞歴
2003年 第5回 『卓球王国大賞』審査委員賞
2004年 第5回 『日本卓球人賞』選手大賞
2004年 第6回 『卓球王国大賞』プレーヤー・オブ・ザ・イヤー
2006年 第8回 『卓球王国大賞』荻村伊智朗賞
2007年 第9回 『卓球王国大賞』プレーヤー・オブ・ザ・イヤー
2008年 栃木県鹿沼市民栄誉賞
2008年 第13回 『読売栃木スポーツ大賞』大賞
2008年 第9回 『日本卓球人賞』選手大賞
2009年 第10回 『卓球王国大賞』プレーヤー・オブ・ザ・イヤー
2011年 2010年度JOCスポーツ賞特別功労賞
2012年 栃木県スポーツ功労賞
2012年 栃木県鹿沼市特別賞
2012年 宮城県特別表彰
2012年 宮城県仙台市より「賛辞の楯(たて)」贈呈

 

■日本競泳界のスーパースター、北島康介(Kosuke Kitajima)が8日、リオデジャネイロ五輪の代表選考会で自身5度目となる五輪出場権を逃し、現役引退を表明した。

 33歳の北島は、第92回日本選手権水泳競技大会(92th Japanese national swimming championships)の男子200メートル平泳ぎで5位に終わり、100メートルに続いてリオ五輪の出場権を獲得できなかった。 ファンに手を振って別れを惜しんだ北島は、涙をこらえながら「リオ五輪か、この日本選手権でキャリアが終わると思っていた」と報道陣に明かしている。

 2004年のアテネ五輪と2008年の北京五輪で2大会連続の平泳ぎ2冠を達成した北島は、「再び五輪を目指すのは長く厳しい道のりだったが、結果を受け止める。悔いはない」と言い切った。

 この日の決勝では、後継者筆頭と目される小関也朱篤(Yasuhiro Koseki)が2分8秒14で優勝したのに続き、19歳の渡辺一平(Ippei Watanabe)が2分9秒45で2位に入り、今夏のリオ五輪出場権を獲得して世代交代を進めた。

 後半の失速で2分9秒96というタイムに終わった北島は、「自分らしい泳ぎをしたかった。最後の25メートルで勝負できなかった」とレースを振り返った。

 2012年に開催されたロンドン五輪の男子4×100メートルメドレーリレーで銀メダルを獲得した北島は、5日に行われた100メートル平泳ぎの決勝で2位に終わり、自分自身に腹を立てていた。同種目では、優勝した小関も派遣標準記録には届かなかった。しかし、北島は得意種目の200メートルで5位に終わると、より冷静に結果を受け止め、「結果は不本意だったけれど、やり切った。これが現役最後になるが、頑張り切れたという思いと、五輪に行きたいという気持ちをもう一度持ってやれた」とコメントした。

 北京五輪の100メートルと200メートル平泳ぎで前人未到の2連覇を達成した北島は、一時は引退するとみられていたものの、母国開催となる東京五輪の決定を受けて競技への強い意欲を募らせ、ゴーグルを手放さなかった。

 世界選手権(FINA World Championships)を3度制している北島は、リオ五輪の代表権を逃して報道陣の涙を誘いながら、「競技のスリルに代わるものが何なのかは分からない。引退した選手に、どうするか聞いてみなければ」と語った。

 

 なお、この種目では小関也朱篤と渡辺一平がそれぞれ五輪初出場を決めている。

※リオオリンピックへの切符をかけた一発勝負、日本選手権。北島康介選手、33歳。5度目のオリンピックへ、いざ・・・

 「もう一回、五輪に行きたい。もう一回、五輪の興奮を味わいたい」(北島康介選手)

 4年前のロンドンオリンピック以降、北島選手は結果を出せず、もがいていました。
 「桜のように散ってしまいました」(北島康介選手)

 日本代表から2年以上も遠ざかり、引退を囁かれたこともありました。それでも、4日の準決勝。33歳、最年長の北島選手が決勝へ、見事1位通過。リオの切符を大きくたぐり寄せます。
 「やるしかないよ、もう。それだけです頑張ります」(北島康介選手)

 そして5日、すべてが決まる決勝。北島選手はいつもと変わらない表情で会場に入りました。オリンピックに出場するには、この決勝で2位以内に入り、派遣標準タイムを切るのが条件ですが北島選手の結果は59秒93で2位。派遣標準タイムである59秒63の突破とはなりませんでした。1位は小関也朱篤選手で、タイムは59秒66でした。

 100メートルでのオリンピック出場を逃した北島選手。得意の200メートルでリオへの切符を狙います。

 「何とも言えないというか積極性に欠けたというか、らしくない泳ぎをしてしまった。きょう(五輪出場を)決めてはずみをつけて200メートルに臨みたかったというのが本当のところですけど、1回気持ちを冷静にして自分らしい泳ぎをして(200メートルでは)必ず代表権を取ります」(北島康介選手)

ああ無情!
北島康介には最後のオリンピックとして出場させたかった。

小関&北島は【特別枠】でリオに送り出すことはできないのか。

本番に行ってみないと結果はわからない。

最後まで頑張った北島の姿が・・・・・・・・。

 

★北島 康介(きたじま こうすけ、1982年9月22日 - )は、日本のプロ競泳選手。アテネオリンピック並びに北京オリンピック100m平泳ぎ、200m平泳ぎの金メダリスト。

日本コカ・コーラ所属。身長178cm、体重72kg。

●受賞歴
2002年度JOCスポーツ賞最優秀賞
日本スポーツ賞グランプリ(2002年、2003年、2008年)
日本スポーツ賞オリンピック特別賞(2004年)
第21回新語・流行語大賞年間大賞(2004年)「チョー気持ちいい」
紫綬褒章(2003年褒章、2004年飾版、2008年飾版)
2006年度JOCスポーツ賞特別功労賞
バカラ・アスリーツ・オブ・ザ・イヤー(2008年)
第25回新語・流行語大賞ノミネート(2008年)「なんも言えねえ」
GQ Men of the year 2012

●CM出演
「arena」水着宣伝(デサント、2001年 - 2003年及び2012年 - )
「SPEEDO」水着宣伝(2004年 - 2007年5月)※2007年5月までミズノのライセンス商品(現在はゴールドウイン)。
「ミズノスイム」水着宣伝(ミズノ、2007年6月 - 2011年)
第43回衆議院議員総選挙投票啓発(総務省ほか、木村佳乃と共演。2003年)
レオパレス21(企業CM)
アミノバイタル(味の素)
キシリトール(ロッテ)
アクエリアス(コカ・コーラ)
クォーターパウンダー(マクドナルド)
ヤマト運輸(企業CM、2009年 - 2010年)
スイフト(スズキ、2011年-2012年)
「ジャワカレー」(ハウス食品、妻・千紗と共演、2015年6月 - )

 

☆彡付録
1位 小関也朱篤選手(24歳、ミキハウス)59秒66
2位 北島康介(33歳、日本コカ・コーラ)59秒93
五輪派遣標準記録は59秒63なのでリオ代表にはならず。

海外では1分台でリオに行けるのに残念です。

アメリカ の五輪派遣標準記録1:057

オーストラリアの五輪派遣標準記録 1:07


●リオ派遣標準記録


競泳:第31回オリンピック競技大会(2016/リオデジャネイロ)派遣標準記録

【男子】
50m自由形 21:87
100m自由形 48.16
200m自由形 1:46.10
400m自由形 3:46.53
1500m自由形 14:55.30
100m背泳ぎ 53.49
200m背泳ぎ 1:56.79
100m平泳ぎ 59.63
200m平泳ぎ 2:09.54
100mバタフライ 51.64
200mバタフライ 1:55.39
200m個人メドレー 1:58.02
400m個人メドレー 4:12.24
400mメドレーリレー 3:33.46
 (背泳ぎ54.36・平泳ぎ1:00.57・バタフライ52.36・自由形48.99)
400mリレー 3:15.96(個人48.99)
800mリレー 7:11.88(個人1:47.97)

【女子】
50m自由形 24.59
100m自由形 53.81
200m自由形 1;56.82
400m自由形 4:05.49
800m自由形 8:25.86
100m背泳ぎ 59.85
200m背泳ぎ 2:08.76
100m平泳ぎ 1:06.87
200m平泳ぎ 2:23.21
100mバタフライ 57.77
200mバタフライ 2:07.82
200m個人メドレー 2:11.03
400m個人メドレー 4:36.88
400mメドレーリレー 3:37.72
 (背泳ぎ1:00.25・平泳ぎ1:07.85・バタフライ58.74・自由形54.43)
400mリレー 3:37.72(個人54.43)
800mリレー 7:55.84(個人1:58.96)