風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

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10月31日はINFOBARの日。出雲ぜんざいの日、ハロウィンの日、日本茶の日、クレアおばさんのシチューの日、ガス記念日、世界勤倹デー、陶彩の日、天才の日、等の日

おこしやす♪~

10月31日は何の日? その時、そして今日何してた?

 


2023年(令和5年)
10月31日はINFOBARの日。出雲ぜんざいの日、ハロウィンの日、日本茶の日、クレアおばさんのシチューの日、ガス記念日、世界勤倹デー、陶彩の日、天才の日、等の日です。


●INFOBARの日 

 

 


KDDI株式会社が制定。「INFOBAR」はau Design Projectから製品として最初に発売された携帯電話で、日本を代表するプロダクトデザイナー深澤直人氏がデザイン。発売当時大きな反響を呼び「デザインケータイ」の原点となった。グッドデザイン賞、アジアデザイン賞・大賞、iF DESIGN AWARDなど、数々の賞を受賞。2007年にはニューヨーク近代美術館の永久収蔵品に選定されている。2003年の発売から20周年を記念するとともに、今なお愛され続けている「INFOBAR」の魅力を多くの人に知ってもらうのが目的。日付は初代「INFOBAR」が発売された日(2003年10月31日)から10月31日に。
 

 

 
●『(出雲)ぜんざいの日』 :

 

 

出雲地方では旧暦の10月を神在月と呼び、その神在祭に振る舞われたのが「神在もち(じんざいもち)」。これが「ぜんざい」の語源となったと言われていることから、島根県出雲市の出雲観光協会が制定した日。日付は神在月(出雲以外の地では神無月)の10月のなかでも、10と31で「せんざい」語呂合わせで読める10月31日を選んだもの。
これが「ぜんざい」の語源となったと言われていることから、島根県出雲市の「出雲観光協会」が2007(平成19)年に制定した日です。日付は神在月(出雲以外の地では神無月)の10月のなかでも、1031を千三十一とみなして、「ぜん(千)ざ(3)い(1)」の語呂合せによります。
 

※ぜんざいは、出雲地方の「神在(じんざい)餅」に起因しています。
出雲地方では旧暦の10月に全国から神々が集まり、このとき出雲では「神在祭(かみありさい)」と呼ばれる神事が執り行われています。
そのお祭りの折に振る舞われたのが「神在(じんざい)餅」です。その「じんざい」が、出雲弁(ずーずー弁)で訛って「ずんざい」、さらには「ぜんざい」となって、京都に伝わったと言われています。


 

●『ハロウィンの日(Halloween Day)』 : 

 ハロウィンとは毎年10月31日に行われる、古代ケルトを起源とする民間行事のひとつです。古代ケルトでは、この夜に悪霊や魔女などが出てくると信じられていました。そのため、悪さをする霊や魔女から身を守るために仮面を被ったり魔よけの焚き火などをしたと言われています。現在では宗教的な意味合いは薄れ、子供たちが精霊やお化けに仮装してお菓子を貰ったり、ホラーを楽しんだりするイベントとなり多くの国で親しまれています。
アメリカやカナダではホームパーティーを開催して楽しむことも多く、近年日本でも多くの方が地域のハロウィンイベントに参加したり、ホームパーティーを開催する方も増え、注目が高まっています。ハロウィンに向けてお家をホラー風に装飾するのもイベントの醍醐味のひとつで、子供のいるご家庭では親子で一緒に飾り付けをして楽しみます。 


★ハロウィンの日(Halloween Day)について

  11月1日のキリスト教の総ての聖人の祝日「万聖節(All Saints' Day)」の前夜祭です。アメリカ等では、この日の夜、カボチャをくりぬいて作った「ジャック・オー・ランタン(お化けカボチャ)」に蝋燭を立て、魔女やお化けに仮装した子供達が「Trick or Treat(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)」と唱えて近くの家を1軒ずつ訪ね、各家庭では、カボチャの菓子を作り子供達にふるまいます。子供達はもらったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりします。※古代ヨーロッパの原住民「ケルト族」の収穫感謝祭の日で、ケルトの4大祭祀の一つでした。また、ケルト族の1年の最後の日(大晦日)でした。聖地「ターラの丘」で、31日の晩に1年の始まりを祝った「サウィン(サワーン)の祭」にあたる日で、「火の祭典」かつ「死者の祭」でした。この夜は死者の霊が家族を訪ね、精霊や魔女が出てくると信じられ、それらの悪霊から身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚火を焚く習わしがありました。その習わしが、キリスト教に取り入れられ、現在の「ハロウィン」になったとされています。


※日本にも同じようなイベントが昔からありました。

北海道の「ロウソクもらい」(北海道風ハロウィン)子供が近所のお宅をまわって「ローソクだーせーだーせーよー」と歌いながらお菓子をもらいます。"7月7日:富良野市や函館市8月7日:その他の多くの地域七夕から盆にかけておこなわれる地域もあります。

 


●『日本茶の日』 : 

 

 

お茶を日本で広めた人は、臨済宗の開祖「栄西禅師」と言われています。彼が、1191(建久2)年、宋から茶の種子と製法を持ち帰ったのがこの日だとされています。栄西は、茶の種子を庭に蒔き、茶の製法を伝え、「茶は養生の仙薬なり・・・」で始まる「喫茶養生記」を著しています。


●『クレアおばさんのシチューの日』矢崎グリコが制定。同社の人気商品「クレアおばさんのシチュー」を、より多くの人においしく味わってもらうのが目的。 

 

 


 日付は今までハロウィン(10月31日)の定番メニューがなかったことから、家族で楽しむのにふさわしい「クレアおばさんのシチュー」を食卓にとの思を込めて。 
 

●『ガス記念日』 : 

 

ガス燈(吹替版)

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1872(明治5)年9月29日(新暦10月31日)、横浜の馬車道で、日本初のガス灯が点灯された事を記念して、「日本瓦斯(ガス)協会」が1972(昭和47)年に制定。ガスの安全な使い方や有効利用の方法などのPRを行っています。

 

●『天長節(大正節)』 : 1914(大正3)年~1926(大正15)年まで「大正天皇」の誕生日を祝う祭日でした。大正天皇の誕生日は8月31日で、即位後の最初の天長節は、1913(大正2)年には8月31日に行われましたが、暑い夏季では天長節の式典に不都合であるとして、翌1914(大正3)年から祝日は2ヶ月後の秋に移された経緯がありました。
 
●『世界勤倹デー(World Savings Day)』 :  1924(大正13)年、イタリアのミラノで開催されていた国際貯蓄会議の最終日のこの日を「世界勤倹デー」とする事が決定されました。日本は、1952(昭和27)年から活動に参加しています。
 

 
●『陶彩の日』 :

「陶(10)彩(31)」の日。色鮮やかな日本の自然の中、豊かな食卓を「器(うつわ)」で彩りよく演出し、より美味しく食べて欲しいとの願いを込めて、岐阜県土岐市に本社があり、和陶器を百貨店に納入している商社が共同出資して運営している陶彩の会社が制定。

●『天才の日』 :

「てん(10)さ(3)い(1)・天才」の日。「誰もが一冊の本を書く事ができる」との思いから1999(平成11)年に吉田浩氏により設立され、数多くのベストセラーや作品を手がけてきたSOHO型の編集プロダクション会社が制定。誰もが天才であるとして、自分の才能に気づき、天才の一人であることを再確認してもらおうという日です。

 

 
●『宗教改革記念日・Reformation Day・Reformationstag・Dan Reformacije・Deň reformácie』 : 


1517(永正14)年のこの日に、ドイツの「マルティン・ルター」が、「95ヶ条の論題」を教会の扉に提示しました。これを新教の始まりとしてキリスト教プロテスタント系教会で祝われる記念日です。

 

☆彡忌日(カッコ内は生年)
1005年(寛弘2年9月26日) - 安倍晴明、平安時代の陰陽師
1517年 - フラ・バルトロメオ、画家( 1472年)
1730年(享保15年9月20日) - 中甚兵衛、河内国今米村の庄屋、大和川の付け替え工事に尽力( 1639年)
1768年 - フランチェスコ・マリア・ヴェラチーニ、ヴァイオリニスト、作曲家( 1690年)
1806年(文化3年9月20日) - 喜多川歌麿、浮世絵師( 1753年?)
1811年 - クリスティアン・ゴットヒルフ・ザルツマン、牧師、教育者( 1744年)
1829年(文政12年10月4日) - 徳川斉脩、常陸国水戸藩の第8代藩主( 1797年)
1881年 - ジョージ・W・デロング、海軍士官、探検家( 1844年)
1884年 - マリ・バシュキルツェフ、画家、彫刻家、作家( 1858年)
1918年 - エゴン・シーレ、画家( 1890年)
1926年 - ハリー・フーディーニ、マジシャン( 1874年)
1944年 - エドゥアルト・エンゲルマン、フィギュアスケート選手、エンジニア( 1864年)
1966年 - 佐々木隆興、医学者( 1878年)
1969年 - 木々高太郎、推理作家( 1897年)
1984年 - インディラ・ガンディー、政治家、第5代・8代インド首相( 1917年)
1990年 - 幸田文、小説家( 1904年)
1993年 - リバー・フェニックス、俳優( 1970年)
1993年 - フェデリコ・フェリーニ、映画監督( 1920年)
1994年 - 河本栄得、お笑いタレント(ベイブルース)( 1968年)
1996年 - マルセル・カルネ、映画監督( 1906年)
1997年 - シドニー・ダーリントン、電子工学研究者( 1906年)
2000年 - 華月、ギタリスト(Raphael)( 1981年)
2000年 - 真鍋博、イラストレーター( 1932年)
2003年 - 圓鍔勝三、彫刻家( 1906年)
2007年 - 大滝愛子、バレエダンサー( 1928年)
2009年 - 銭学森、科学者、航空力学研究者( 1911年)
2015年 - 篠原一、政治学者( 1925年)
2015年 - 佐木隆三、小説家( 1937年)
2019年 - 山谷初男、俳優( 1933年)
2020年 - ショーン・コネリー、俳優( 1930年)

 

 

 


★インディラ・ガンディー
インディラ・プリヤダルシニー・ガンディー(Indira Priyadarshini Gandhi、इंदिरा प्रियदर्शिनी गाँधी、1917年11月19日 - 1984年10月31日)は、インドの政治家で第5代、8代首相。日本語ではガンジーとも表記される。
インド初の女性首相。父はインドの初代首相であるジャワハルラール・ネルー。息子に第9代首相を務めたラジーヴ・ガンディー、及びサンジャイ・ガンディーがおり、この政治家一族は「ネルー・ガンディー王朝」と呼ばれるようになった。なお、マハトマ・ガンディーとの血縁関係はない。


★リバー・フェニックス
リバー・ジュード・フェニックス(英: River Jude Phoenix、旧姓: ボトム/Bottom、1970年8月23日 - 1993年10月31日)はアメリカ合衆国出身の映画俳優。

活動期間    1985年 - 1993年
活動内容    1985年:映画デビュー
1986年:『スタンド・バイ・ミー』に出演
1988年:『旅立ちの時』
1989年『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』
1991年:『マイ・プライベート・アイダホ』
配偶者    未婚
主な作品
『スタンド・バイ・ミー』
『旅立ちの時』
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』
『マイ・プライベート・アイダホ』
 受賞
ヴェネツィア国際映画祭
男優賞
1991年『マイ・プライベート・アイダホ』
全米映画批評家協会賞
主演男優賞
1991年『マイ・プライベート・アイダホ』
その他の賞
インディペンデント・スピリット賞
主演男優賞
1991年『マイ・プライベート・アイダホ』
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
助演男優賞
1988年『旅立ちの時』


★フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini, 1920年1月20日 - 1993年10月31日)は、イタリア・リミニ生まれの映画監督、脚本家。「映像の魔術師」の異名を持つ。
1993年に脳内出血で倒れ、同年10月31日、心臓発作で死去。73歳。
妻のジュリエッタ・マシーナは駆け出し時代の彼のラジオドラマに出演し、『道』、『カビリアの夜』、『魂のジュリエッタ』、『ジンジャーとフレッド』などにも主演した。

活動期間    1950年 - 1993年
配偶者    ジュリエッタ・マシーナ(1943年 - 1993年)
主な作品
『青春群像』(1953年)
『道』(1954年)
『カビリアの夜』(1957年)
『甘い生活』(1960年)
『8 1/2』(1963年)
『魂のジュリエッタ』(1964年)
『サテリコン』(1969年)
『フェリーニのアマルコルド』(1973年)
 受賞
アカデミー賞
外国語映画賞
1957年『カビリアの夜』
1963年『8 1/2』
1974年『フェリーニのアマルコルド』
名誉賞
1992年 映画監督の中でも偉大な巨匠の一人であることを称えて
カンヌ国際映画祭
パルム・ドール
1960年『甘い生活』
国際カトリック映画事務局賞
1957年『カビリアの夜』
40周年記念賞
1987年『インテルビスタ』
ヴェネツィア国際映画祭
銀獅子賞
1953年『青春群像』
1954年『道』
栄誉金獅子賞
1985年
ヨーロッパ映画賞
生涯貢献賞
1989年
ニューヨーク映画批評家協会賞
作品賞
1974年『フェリーニのアマルコルド』
監督賞
1974年『フェリーニのアマルコルド』
外国語映画賞
1956年『道』
1961年『甘い生活』
1963年『8 1/2』
1965年『魂のジュリエッタ』
英国アカデミー賞
美術賞
1976年『カサノバ』
フェローシップ賞
1986年
ゴールデングローブ賞
外国語映画賞
1965年『魂のジュリエッタ』
ブルーリボン賞
外国語作品賞
1957年『道』
その他の賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
外国語映画賞
1960年『甘い生活』
1963年『8 1/2』
1965年『魂のジュリエッタ』
1973年『フェリーニのアマルコルド』


★マルセル・カルネ
マルセル・カルネ (Marcel Carné, 1906年8月18日 - 1996年10月31日) は、フランスの映画監督、脚本家。詩人でもあった脚本家のジャック・プレヴェールとの共同作品で有名である。

主な作品
『霧の波止場』(1938年)
『陽は昇る』(1939年)
『天井桟敷の人々』(1945年)

 

 

『天井桟敷の人々』は世界映画史上ベストワンといわれています。
『嘆きのテレーズ』(1953年)

 

 


 受賞
ヴェネツィア国際映画祭
銀獅子賞
1953年『嘆きのテレーズ』
栄誉金獅子賞
1971年
ヨーロッパ映画賞
生涯貢献賞
1995年
セザール賞
名誉賞
1979年
その他の賞
ルイ・デリュック賞
1938年『霧の波止場』
備考
第6回ベルリン国際映画祭 審査員長(1956年)
第39回ヴェネツィア国際映画祭 審査員長(1982年)


★大滝愛子
大滝 愛子(おおたき あいこ、1928年5月21日 - 2007年10月31日)は、日本のバレエダンサー。大滝愛子バレエ・アートを主宰していた。

幼くして、パヴロヴァ・バレエ・スクールに入学。エリアナ・パヴロヴァに直接指導を受け、師の没後助教師となり、エリアナの妹ナデジタ・パヴロヴァを助力。
1945年には横須賀市に大滝バレエ研究所を開き、また、小牧バレエのプリマとしても活躍。1950年には東宝初のバレエ映画「裸女の愁」にヒロインとして出演した。
1953年、単身渡米バレエ留学する。バレエ・アーツ・スクール、アメリカン・バレエ・スクールなどに通い、アレクサンドラ・ダニロワ、ヴァディミル・ドコダヴスキー、マーサ・グラハム、エイチ・ニムラ等に師事。以降「ニューヨーク・コンセル・バァトリー・オブ・ダンス」で指導する。
帰国後の1956年より宝塚歌劇団にバレエ講師として招かれ、多くのタカラジェンヌの指導にあたった。
1993年、日本バレエ協会より「舞踏文化功労賞」を受賞。1995年、自身が演出・振り付け・主演を務めたスタンダール作「赤と黒」で「第17回ニムラ賞」を受賞
2007年10月31日、脳出血のため死去。享年79

 

★山谷初男
山谷 初男(やまや はつお、1933年12月19日 - 2019年10月31日)は、日本の俳優。本名:山谷 八男。旧芸名は山谷 初夫。秋田県仙北郡角館町(現仙北市)出身。秋田県立角館北高等学校(現:秋田県立角館高等学校)卒業。役者仲間からは「はっぽん」の愛称で親しまれた。
2019年10月31日、間質性肺炎のため、秋田市の病院で死去。85歳だった。
生家はJR角館駅前の「やまや旅館」である(「食堂やまや」も経営)。

活動期間    1953年 - 2019年
主な作品
テレビドラマ
『国盗り物語』
『ジャングル』シリーズ
映画
『キッズ・リターン』


★ショーン・コネリー
サー・トーマス・ショーン・コネリー(英: Sir Thomas Sean Connery, 1930年8月25日 - 2020年10月31日)は、イギリス(英国)スコットランド出身の映画俳優。『007』シリーズの初代ジェームズ・ボンド役で有名。2000年、英王室よりナイト(サー)に叙任された。
コネリーは2006年にアメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI:American Film Institute)の生涯功労賞を受賞したのを機に、俳優業引退を宣言した。2020年10月30日深夜から31日早朝にかけて滞在先の大西洋の島国バハマの自宅で没した。

活動内容    1962年:『007 ドクター・ノオ』

 

ドクター・ノオ (吹替版)

ドクター・ノオ (吹替版)

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1987年:アカデミー賞受賞
1999年:ナイト叙任
2006年:引退宣言
配偶者    ダイアン・シレント(1962年 - 1973年)※離婚
ミシュリーヌ・ルクブルン(1975年 - )
主な作品
『007』シリーズ(1962年 - 1983年)
『史上最大の作戦』(1962年)
『マーニー』(1964年)
『丘』(1965年)
『オリエント急行殺人事件』(1974年)
『王になろうとした男』(1975年)
『遠すぎた橋』(1977年)
『バンデットQ』(1981年)
『ハイランダー』シリーズ(1986年 - 1991年)
『薔薇の名前』(1986年)
『アンタッチャブル』(1987年)
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)
『レッド・オクトーバーを追え!』(1990年)
『ライジング・サン』(1993年)
『トゥルーナイト』(1995年)
『ドラゴンハート』(1996年)
『ザ・ロック』(1996年)
『エントラップメント』(1999年)
『小説家を見つけたら』(2000年)
 受賞
アカデミー賞
助演男優賞
1987年『アンタッチャブル』
ヨーロッパ映画賞
生涯貢献賞
2005年
MTVムービー・アワード
最優秀スクリーン・デュオ
1996年『ザ・ロック』
AFI賞
生涯功労賞
2006年
英国アカデミー賞
主演男優賞
1987年『薔薇の名前』
フェローシップ賞
1997年
ゴールデングローブ賞
助演男優賞
1987年『アンタッチャブル』
セシル・B・デミル賞
1995年
トニー賞
演劇作品賞
1998年『'Art'』
その他の賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
助演男優賞
1987年『アンタッチャブル』
生涯功労賞
1993年

 
☆彡毎月31日は、

●『野菜(菜)の日』 :

野菜中心の健康的な食生活を広める為に「1日5皿分(350グラム)以上の野菜と200グラムの果物を食べましょう」と呼びかけて、食育活動などを行っている一般社団法人「ファイブ・ア・デイ協会」が制定。

記念日名は野菜の「菜」からで、日付は31を野菜の「菜(さい)」と読む語呂合わせで、毎月31日(月末)を「カラダの決算日」として継続的、定期的な取り組みを行う為の日です。
 
☆彡毎月最終日は、

●『そばの日』 :昔、江戸の商人が毎月月末に縁起物として「蕎麦(そば)」を食べていた事に因んで「日本麺業団体連合会」が制定。


  

 

☆彡10月31日の誕生花:

コスモス(秋桜)  花言葉は乙女の真心
ヘリコニア(オレンジ)  花言葉は注目、脚光
モミジ(紅葉)  花言葉は遠慮、自制、大切な思い出
カラー  花言葉は乙女のしとやかさ、清浄、素敵な美しさ
スキミア(ミヤマシキミ)  花言葉は寛大、清純
マユミ(檀)  花言葉はあなたの魅力を心に刻む、艶めき
カーネーション<白>・White Carnation 花言葉は「清らかな愛・私の愛は生きている」
モミジ(紅葉)・Maple Tree 花言葉は「調和」です。

 
☆彡今日の誕生石は「ホークス・アイ・クォーツ(ファルコンズ・アイ・クォーツ)」石言葉:GoodLuck


☆彡10月の誕生石TOURMALINEトルマリン宝石言葉 心中の歓喜、安楽、忍耐
◆効果トルマリンの両端はプラスとマイナスを帯電し、摩擦することでマイナスイオンを発生させるといわれています。このマイナスイオンには、水や空気を浄化し、心身のストレスやイライラをやわらげてくれる効果があるといわれます。心身を浄化し、精神との調和をはかり、安定させ、ストレスを緩和させます。また、からだをリラックスさせ、心を鎮め、安らかな眠りを約束する石として愛されています。
◆由来・伝説スリランカのシンハリ族の言葉で「土で出来た小さなもの」を意味する"turmali(トルマリ)"が由来といわれているトルマリン。その昔、エメラルドと混同されていたため由来や伝承が少ない宝石です。また、電気的な性質をもつことから、古くからさまざまな民族の間で、神聖な儀式にはもちろん病気の治療にも用いられてきました。健康をもたらすといわれるマイナスイオンを特殊な条件化において発生させるトルマリンは、和名で"電気石"と呼ばれています。 

 
☆彡今日の一言 佐木隆三 1937年4月15日-2015年10月31日
「もう、あの、温かな中に戻れませんが、私のぼけてゆく頭の中に、たゆたゆと光を放っているのです」

「小説の世界で追憶してみる。その試みが、ここに収めた小説なのだ。むろん作者の経験であろうはずはなく、虚構にすぎないけれども、どこかに自分が投影されている気がする」

「わたしは今頃になって、自分の青春が何であったかを、考えてみることがある」

「妻に先立たれたとき、男にはどんな思いがあるのだろう。辛いでしょうが、こういうときほど酒を飲みましょう」

「これまで100件以上もの死刑判決に接し、そのつど冷静でいられなくなりながらも傍聴に通うことを繰り返してきた私は、豊田や広瀬は死刑にすべきじゃないと思うくせに麻原など特定の人物に関しては、こいつだけは死刑にすべきと思ってしまうんです」

「先日死刑が確定した『北九州監禁殺人事件』の松永太の場合もやはり死刑は当然でしょうし、そこがまた私の大いなる矛盾というか、インチキなところなんですが、死刑制度そのものには懐疑的でいながら死刑廃止とは言い切れないんです」

「事実は光を当てる角度によって、まったく異なる表情をみせる」


★佐木 隆三(さき りゅうぞう、本名:小先 良三〈こさき りょうぞう〉、1937年〈昭和12年〉4月15日 - 2015年〈平成27年〉10月31日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家で、北九州市立文学館名誉館長、九州国際大学元客員教授。当初は純文学作家として活動したが、直木賞受賞の『復讐するは我にあり』以降は犯罪ノンフィクションで人気を博し、後年は法廷のルポルタージュでも広く知られる。旧朝鮮咸鏡北道穏城郡生まれ。
最終学歴    福岡県立八幡中央高等学校
活動期間    1961年 - 2015年
ジャンル    ノンフィクション小説
代表作    『復讐するは我にあり』

 

 


受賞
1963年、組合活動を戯画化して描いた「ジャンケンポン協定」により、新日本文学賞受賞。
1976年、実際に発生した連続殺人事件をモデルとした『復讐するは我にあり』により第74回直木賞受賞。
1991年、『身分帳』により第2回伊藤整文学賞受賞。


☆10月の行事・暦・祭り(2023年・令和5年)
神無月
この月に日本中の八百万(やおよろず)の神様が、出雲の国(島根県)に集まり会議を開き、
他の国には神様がいなくなってしまうことから「神無月」と呼ばれてきました。
神様の集まる出雲の国では「神在月(かみありづき)」と呼ばれています。
季節:晩秋(ばんしゅう) ※寒露から立冬の前日まで。 
1日    (日)        衣替え
7日    (土)        長崎くんち(→9日)
8日    (日)        寒露
9日    (月・祝)        スポーツの日        
14日    (土)        灘のけんか祭り(→15日)
21日    (土)        秋土用入り
22日    (日)        時代祭
24日    (火)        霜降
27日    (金)        十三夜
28日    (土)        秋土用の間日
30日    (月)        秋土用の間日

※10月の他の別名
吉月(きちげつ)陽月(ようげつ)時雨月(しぐれづき)初霜月(はつしもづき)
建亥月(けんがいげつ)良月(りょうげつ)大月(たいげつ)雷無月(かみなかりづき)
神去月(かみさりづき)鎮祭月(ちんさいげつ)

【出雲地方】
神在月(かみありづき)
神有月(かみありづき)


☆彡ごきげんよう♪~